魔女のお茶会
最終章⑩(ハートは一つじゃない)

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 すその見えない、あまうみ。  さっきまできらめいていた無数の星々が、一つ、一つと輝きを消していく。  空は今、夜の終わりを告げていた。  この闇が果てる時、アニンと人類と魔女は絶望のみぎわを歩き出しているのか。  ――――いな。  華茂かもには聞こえる。  アニンから届く、魔女たちの、そして人間たちの声。  願い。明日が訪れることを、願ってやまない声。  また、みんなと明日を迎えたい。  その思いだけが、華茂にとっての酸素だった。栄養だった。力だった。自分の限界を超えていくための力。華茂は手の人差し指から小指までを順番に折り畳み、最後にそれらを親指で固く閉じた。これこそが、拳だ。  だが華茂とけがれとの間には、一人の強敵が待ち受ける。  リリー=フローレス。  ライラとアルエの血液を沸騰させ。  マロンとチャーミの肉体をえぐり。  かつて、イアを絶命寸前にいざなった魔女。 「この時を待っていました。それではいよいよ、大団円といきましょうか」  リリーがしめやかに十字を切ると、彼女の身体から金色の光が瞬いた。  衝撃波が生じ、華茂の前面をドン! と押す。前髪が、ひるがえる。  今までに感じたことのない、強大な強大な魔力だ。リリーもまた、限界を超えている。華茂への怒り。屈辱。そして辛酸しんさんの全てを薙ぎ払わんと、魔女のすいを極める。  そして華茂は知っていた。  彼女を倒さなければ、つばめを救えないということを。 「リリーさん、思いっきりいくよ」  華茂は自らの拳を、炎に包ませる。 「ええ。思いっきり、死んでいただければと思いますわ」  リリーは両手の人差し指を華茂に向け、狙いを定める。  ひらひらと。  羽風はかぜに吹かれた、桜の花弁はなびらのように。  時の欠片が舞い散って――、  ――――ゼロ。 「そこをどけぇぇぇぇっ、大魔女っ!!!!」 「全身を塵にしてあげましょう、クソガキがああああああっっ!!!!」  防御の類いはない! 華茂はリリーに向かって全力で飛ぶ!  痛くはない。  痛くなど、ないだろう。  きっと自分は死なないのだ。  そう言い聞かせた。騙した。だから、相手の攻撃のことなど微塵みじんも考えなかった。  いくつものまたたきが線と化し、華茂の側方を流れていく。  できることは、ただの一つ。  全ての思いを拳に乗せて――――。  ギュ、  ――――ヒュンッ。  それは、呼吸の『吸』を行った瞬間だった。  星粒の一つが具体化した。それはリリーの姿だった。彼女は前傾し、三つ編みを後方にはためかせながら突っこんでくる。  だが今のリリーは弓を握っていない。なら、 『火龍ひのたち!!!!!!』  腰を入れた一撃! その速度はまさに剣突けんとつ。リリーの像を鮮やかに殴り抜ける。拳によって生じた風により、炎はブオオオオ! と勢いを増した。  しかし、撃ちこんだはずのリリーがブンッ……と消える。  しまった、今のは残像だ! 仰ぎ見る。上方。リリーは身体を90度ひねる。その体勢から繰り出されるは、強烈な回し蹴り――、  の、はずが。遅い。これは受けられる。華茂はリリーのすねにしがみつき、互いの速度を相殺させる。そのままぶん回して放り投げた。リリーの靴がすぽっと脱げる。そのなめらかな脱げ方はまるで、あらかじめ靴からかかとを外していたかのようで――、 『五臓六腑の間欠泉ジャクリアンッッ!!!!』  な、にっ!?  リリーのタイツが弾けたと思ったら、砂の奔流ほんりゅうが華茂の心臓を目がけて一直線に撃ち出された。あの技を、足先から放ってきたというのか!!  砂粒が螺旋らせんを描き、急接近する。でもこれは、以前に一度は跳ね返せたはずの魔法。かつてできたことが、今できないはずはない。  唇を突き出し、半円の軌道でフックを入れる。第二関節から下、基節骨きせつこつにジインと鈍痛どんつう。それでも華茂はたしかに砂塵さじんを払った。やはり……できた!  今、華茂はリリーに通用している。  イアが凶弾に倒れたあの日……頭の中が真っ白になっていたあの時とは違う。しっかりと考え、相手を『敵』と認識しながら戦えている。 (イア師匠、できたよ。教えてもらったことが、今、できたんです)  長い旅を続けて。  たくさんの魔女と出会った。  その中で華茂は、生きている。  生かされている。  その単純な事実を、強く胸に刻みこんだのだ。  だから――――!! 「負けないッッッ!!!!」  再びリリーの方を向く。だがその瞬間、華茂の目の前を赤茶色のなにかが横切った。  これは……、星石せいせきだ。そしてこの色からして、おそらくは石鉄隕石せきてついんせき。宇宙の古き住人が、5メートルほどの陰で華茂とリリーを分断する。  その壁の中心が――、  紅く。  じわりと、溶けて――、 「!!!!」  えぐりとられた。ど真ん中だ。リリーの炎弾が飛来する。華茂は咄嗟とっさに下方によける。そのまま星石の壁へと近づき、気配を殺した。  この壁の向こうに、リリーがいる……。  そしてリリーもまた、こちらが張りついていることを知っているだろう。  先に動くべきか。  それともリリーの挙動を待つべきか。  二つの選択肢の間で迷っていると、背中が急にぞわりとした。 「えっ!!」  リリーが、いた。  いつの間にか、星石のこちら側に音もなく回りこんできていた。華茂との距離、柄杓ひしゃく一本分。リリーはその麗しい手で、華茂の横髪をぐしゃりと掴んだ。痛い! 頭部の皮膚が、悲鳴を上げる。 「本当に……小賢しいですわね!!」  ボギイッ!!!!  頬骨ほおぼねが、本来鳴ってはいけないような音を鳴らす。リリーは華茂の髪を掴んだまま、余った拳を顔面へと叩きつけてきた。 「本当に! あなた!!」  ドボギッ!!!!  さらにもう一発。華茂は骨伝導こつでんどうで着弾の音を聞いた。脳みそがシェイクされる。口内の粘膜から血が滲み出る。  ゆら、と、少しよろめいて。  片目を閉じながら手を伸ばす。視線は、常にリリーを逃さない。  ――――ガシッ。 「うっ!!!!」  リリーが小さく叫ぶ。華茂もリリーの三つ編みを掴んだ。これでともに、髪を掴み合った状態となる。  華茂は頭部を大きく後方に反らし……、 「うああぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあっっ!!!!」  ガボギィィィィィ――――――ッッッ!!!!  渾身の頭突きだ! リリーの眉間に、ひたいをめり込ませる! 頭蓋がミシリと音を立てた。リリーは鼻筋に血の川を流す。だがまだ離さない。華茂もリリーも、まだ相手の髪を離さない。  このいっときを逃してはならない。思った。感じた。自分が自分に呼びかけた。  勝手に左拳が動いた。  鳥の飛び立ちにも似た迅さで横殴り。これがリリーの肋骨に、もろに入った。骨を破壊した感触を覚えた。今、華茂とリリーの痛覚は繋がっている。 「どぇっ……ふっ……」  リリーの瞼がひきつる。華茂の髪を掴む手が緩んだ。  こ、  ――――ここだァァァッッ!!!!  華茂の脚が撃鉄を起こす。関節をしならせ、斬線一発ざんせんいっぱつの浴びせ蹴りだ!  しかしリリーは瞬時の判断でこれを回避してきた。再び華茂と距離をとり、十本の指をこちらへと向ける。あ、あれは……。 『五臓六腑の間欠泉ッッ!!!! 十殺じゅっさつッ!!!!!!』  リリーの全ての指先から。  どす黒い砂が、シャアアアアアアッッッ!! と吐き出される。それらは伝説に聞いたことのある、大蛇の波状攻撃にそっくりだ。ひと噛みすらも受けてはならない。冥土への切符を持った砂塵が、流星群と化してコンマ単位で迫ってくる!  それでも……。  それでも華茂の心は落ち着いていた。  やる、と決めたのだから。  自分で決めたのだから、そこに迷いなど一分も生じなかったのである。 『うわああぁぁぁぁあああぁあぁッッ!!!! 火龍……火龍火龍火龍っ……ああぁぁあああぁああああっあああぁぁああぁあああっっ――――――――――ッッッ!!!!!!』  正眼せいがんの構えから、火龍の連打。  殴る。  殴る殴る殴る。  殴って殴って殴り抜ける。  もう目の前は、宇宙なんかではなかった。  リリーの像も、アニンの姿も、大量の砂が全て覆い隠した。  華茂は殴る。殴る。殴る。殴る。  もう戦略もなにもあったものではない。ただただ、狂気の集合を打ち払う。その拳で。炎を巻き上げ。やたらめったら、五里霧中。息という息を肺に落とした。殴る殴る殴る。 「あああああああああああああ!!!!!!」  やがて。  ――――やがて!  砂の攻撃が、次第に少なくなってくる。視界が再び晴れてくる。ようやく捉えることのできたリリーの影が、華茂に向かって驀進ばくしんしてきていた。  砂に続いてなにか仕掛けてくるのか!?  と、思ったが、リリーは妙な位置で片手を振り上げた。  たしかにリリーは華茂に急接近している。しかしまだ間合いはある。あの位置から殴ろうとしたって、華茂にはかすりもしないだろう。  その思考がすなわち、  ――――油断だった。  リリーの手にブゥン、と生じたのは、それ。  バイオリンの、本体…………、  ばぎぃぃいぃいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃいぃッッッ!!!!!!  バイオリンが、大破した。  ネックも弦も。あご当てもペグも……。  全てがその構造を捨てた。  だが同時にそのバイオリンは、華茂のこめかみに直撃していたのである。  三半規管が壊れる。  意識が混濁する。眼前はブラックアウト。頭の中で何本かの電気信号が走った。  なんだか時間が、ゆっくりと流れているような気がした。  自分は、致命傷をくらった。  それだけはわかった。 (負けちゃったの、かな?)  自問した。  負けないと決めていたのに、事実は残酷だ。 (今、負けたの?)  もう一度訊いてみる。  すると今度は、どこかから答えが返ってきた。 (負けてないぞ、遠野とおの)  この声、この声は……。  忘れはしない。忘れようがない。朗々とした、この声は。 (イア、師匠……?) (ああ。待たせて悪いな) (し、ししょおおおおおおおお!!!! でも、こ、これってわたしの妄想?) (なんちゅう情けない声出してんだ。違うよ、私は本物のイアだ) (師匠、無事だったんですね……) (まあな。それより遠野、零式ぜろしきを護れるのはお前しかいないんだぞ) (わ、わかってますよぅ。でも、今、わたし……)  弱音を吐くと、イアの小さな鼻息が聞こえた。  それは華茂の弱音を責めているような、あるいは、華茂を信頼しているような息だった。 (ハートだよ、ハート) (わたし、たくさん心を使いましたよ?) (そうかぁ? お前はまだ、本当の力を出していないと思うぞ)  本当の力。  本当の、魔力。  それはかつて、イアが引き出してくれようとしたものを差しているのだろうか。 (お前が最強の魔女たるゆえん。それはな、お前のハートは一つじゃないってことさ) (ハートが、一つじゃない……?) (そうさ。よーく耳を澄ませてみな。お前だけの詠唱えいしょうが聞こえてくるから)  イアに言われたとおり、心を静めてみる。  そうしたら。  たしかに、耳の奥でいくつかの声が交差した。  耳の奥……いやこれは……自分の、心の奥から聞こえてくる声たち。 (任せたぞ遠野。私も、間もなく着く。……借りを返しにな)  そこでイアの言葉は、ぷつりと途切れた。  目の前がぼやつき。  宇宙の香りが鼻腔びこうを流れる。  それらは鼻から舌へと落ち、華茂は、宇宙を呑みこむ。  そして心から吹き出した言葉たちは、今。  一点で、結ばれた――――。 『水面みなもを指でつつけば出立しゅったつの鐘が鳴った。靴を新たにし、羽ばたく鷹を見上げよう。街がアムトを呼び起こす。ブラックチェリーの香が漂う。洞穴の奥にいた、私の運命は簒奪さんだつされた。嗚呼、私はほむら。貴女はラクト。手を繋ぎ、明日の音楽ディッフェを奏でるの』

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