二つの衛星――リーフスとハーバルは雄大な顔で、今日もアニンのそばを回る。 ここは魔女のお茶会。芳醇な香りがほこほこと立ち上がるテーブルを眺めながら、ライラ=ハーゲンは急遽設けたベッドでうつろな顔をしていた。 十数分前まで、このベッドに転がっていたのは主に燕だった。だって彼女は腕を大きく斬られていて、しかもほとんど魔力を使い果たした状態になっていたのだから。ライラは華茂と燕の帰還を一瞬喜んだものの、燕の深手を見てすぐに回復魔法を開始した。いや、本当にやばかったんだ。腕の傷はもちろんのこと、肋骨の一本にひびが入っていたし、胸部には大きな打撲の後があった。華茂が「早く! 早く早く早く!」と急かしてくるので余計に焦ってしまった。そういう華茂にも、複数箇所に痣が見られた。これも雑巾を絞るように魔力を使い、治してあげた。 で、だ。 魔力の使いすぎで前後不覚に陥ったライラは、燕の代わりにベッドに倒れこんでしまったのである。おでこには、キンキンに冷やしたタオルを一枚。華茂の目の前だというのに、じつにふがいない。だけどその間に、華茂たちが成し遂げたこととその結末を教えてもらうことができた。 まず、アルエをリーフスの味方につけるという話だが、これはうまくいったらしい。当のアルエがリーフスの仲間入りを許諾した。積極的になにかをするつもりはないと言っていたが、やはり人間たちの暮らしを破壊することには納得がいかないみたい。サジャンノという駄菓子屋の女将を始め、お世話になった人にはひととおりの挨拶を終えたアルエ。とりあえず行動をともにしてくれると聞いて、そこは安心した。リーフスからはアルエの町の復興を行うため、十名の魔女に現地に向かってもらった。結局一人の人間も死なせることはなかったみたいだし、あとは自分たちのやるべきことをやり、この戦いで失われたものをとり戻していくだけだ。華茂、燕。ほんとにほんとにありがとう。 一方心配なのは、逃してしまったという強力なハーバルの魔女二人だ。マロンという風の使い手は目を覚ますなり、アルエの頬をひとさすりして笑顔で去っていったという。アルエはマロンを止めなかった。でもまあ、そこの判断は微妙なところだし、アルエを責めたい気持ちも特にない。そしてもう一人、温度を分断するという魔法を駆使する魔女――チャーミもまた、燕に挨拶をして逃げてしまったという。この二人は今、どんな感情を抱いているのか。また、いつかどこかで交戦せざるをえないのか。そこは気になるところなのだけど、今は深く考えても仕方がないことだろう。 「ねえ、ライラさぁん」 「わっ!!」 いきなり華茂の顔が近くにあったのでびっくりした。 や、やめてよー。すごく愛らしいんだから。びっくりっていうか、ときめいちゃうじゃないの、もう。 「なになに……なんなの」 「お茶、飲む?」 アルエが魔法で出してくれた紅茶、ストロベリーティーのフレッシュな香りが鼻腔に潜りこんでくる。とれたての苺のみずみずしさ。呼吸をするたび、幸せになれそう。 ……だけどだ。 「いや、飲めないだろ……」 「無理、かなぁ?」 「寝てるからね。こぼしたら火傷するからねー」 さっきライラは倒れる前に、三人の戦いを労う意味でもお茶会を提案した。そのとおりお茶を楽しんでくれていた華茂たちだが、参加できないライラをかわいそうに思ってか、こうやってお茶をもってきてくれたのだろう。ふふ……やさしいやつめ……ふふ……。 「どうやったら元気になる? わたしにできることある?」 「いや別にな……あ! あるある!」 「なになに? なんでもやるよ!」 うひょー!? じゃあ、後で脱いでくれ! では、なく。 「華茂ちゃん、ライラの身体に触れてくれ」 「身体に!?」 「うん。ライラは、魔女に触れられると魔力が回復する(気がする)んだ」 「じゃあ……えいっ!」 こちょこちょこちょこちょ!! 「!? ぎゃーははははははは!!」 「どう? 回復する? えいっ、えいっ!」 わーきばらを! こーちょこちょこちょこちょこちょ!! 「うぎゃははははははははは!!」 いいぞいいぞ、もっとやれ! 「イイヨイイヨ、モットヤッテイイヨにゃははははっはははは!!」 恍惚、恍惚、恍惚……。 「華茂、いたずらしてはいけませんよ!」 と、止めてきたのは、やはり燕だった。 途端に遠のいていく、天使の指。くそー、こいつ。余計なことを……。 でも、やっぱり止めてくれたのは正解だったかもしれない。今のふざけあいで猛烈な頭痛を覚えた。ライラは毛量多めのツインテールをベッドに広がらせ、眉をしかめる。 「ところでライラさん。私たち、次はなにをすればいいんですか?」 燕はこちらの不調を感じとったのか、抑えた声で訊いてくる。まあ、本人たちも気になるだろうし、訊かれたのであれば答えてあげなくちゃいけない。 「ある魔女のところに、行ってもらう」 「ある魔女、ですか……?」 「うん。ナンドンランドンさんっていう魔女だ。リーフスなのかハーバルなのかはよくわからないんだけどさ、彼女は人間たちと一緒に暮らしてるらしいよ」 「それなら、争いにはならなさそうですね」 「でも、今回はライラも行く。ナンドンさんは607歳の魔女だから、そこそこな先輩にあたるわけなんだよね。華茂ちゃんと燕さんだけじゃ説明できないことがあるだろうし、そこはライラがちゃんと話をしないと」 「なるほど。それは助かります」 緩やかに笑う燕。するとテーブルに座るアルエが、ティーカップを静かに置いた。 「アルエは?」 「アルエちゃんはここに残ってほしい。通信魔法、使えるでしょ?」 「通信魔法って?」 「えとね、心の中で遠くの魔女とお話する魔法だよ」 「あ、それなら。リリー師匠と一回だけやったことがあるわ。リリー師匠は、その魔法はもう練習しなくていいって言ってたけど」 「そうなのか? でも、その魔法ってかなり難しいんだよ。だから、他のリーフスがここに緊急の連絡をもってきたら、アルエちゃんの方で受けてライラに伝えてほしいんだ」 「いいわよ。でも、あれって難しい魔法だったんだ。そういえばあなたも通信魔法を使えるのよね。それに、回復魔法も。あなたって、じつはすごい人?」 「すごくはないけど……でも、ライラは魔女学校を首席で卒業したよ」 「えええええええ――――――――――っっ!?」 驚愕の面持ちで後ずさりをする、華茂。 おお、よかった。いいところを見せられたのかも! 唇だけで笑んで、キラン!☆ だけど燕とアルエはふむふむとうなずくだけ。まあー、そうでしょうね。 「では、ライラさんが回復されるまで、私たちはなにをしましょうか?」 燕に訊かれて、ハッ、となる。 そうだなぁ、それは考えてなかった。でも、この弱り具合なら回復まで数日はかかりそうだし……うーむ。 迷っていると、華茂が手を片方の手でポン、と叩いた。 「じゃあ、燕さんとわたしで知らない国を見てくるよ!」 は。 あ~~ん!? なんかもう、色々ヤバいので。ライラは力を振り絞って身を起こす。 「だ、だめだろだめだろ! だめだだめだだめだ!!」 「え、なんで?」 「なんで……って。そりゃ、そんなことしてる場合じゃないし!」 「そうかなぁ? 私たちって一つの国しか担当したことないから視野狭窄なところがあると思うんだよね。ハーバルの魔女と対峙した時に、ちゃんと相手のバックボーンを理解できないと不適切な行動に繋がってしまうと思うし。リーフスとハーバル、思想的な分離を組織として捉える前に、まずは魔女を一人の存在として理解する必要があるんじゃない? そのための視察なんだよ。知見拡大なんだよ。今ある時間を最も有効に使うために提案したんだよ。けして燕さんと遊びたいとか、そういう理由じゃないよ。けして」 「いや、明らか怪しいし! っていうか、なんだよ今の!? あなたの語彙って、そんなだったっけ!?」 「…………ハッ!? わ、わたしは今……な、なにを……?」 なんかよくわからないが、どうやら華茂の脳みそが異次元に吹っ飛んでいって、超越したなにかをもって帰ってきたらしい。 口をアワアワとさせる、華茂。ライラはそれを見て、投げやりなため息をついた。 「……いいよ」 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! ……って、え?」 「このお茶会からあまり遠くない国なら、行くだけ行ってみな。アルエちゃんを連れてきてくれたあなたたちなんだから、まあ、これからも前面で力になってほしいし」 「え、ほんと? じゃあ、行こ、燕さん!」 「え、え? か、華茂?」 「行こ行こ! 今がチャンス!!」 なんと。 華茂は燕と手を繋ぐと、さっさとお茶会から飛び降りていってしまった。 「なんちゅー、子」 それに、止めなかった燕も燕だ。二人して、もう……。 でも、胸の中がチクッと痛む。 取り残されたような、寂寥感。 ライラは華茂の元気なところをかわいいと思っているし、だから、一緒に暮らせたら楽しいかなと思っていた。だけどあれは、まあ、半分冗談の気持ちだったはずだ。 それでも華茂は、マロンとチャーミの矜持を正面から受け止めた、強い魔女。 誰かのこころをないがしろにしない、優しい魔女。 もしかして、本気になっちゃったのかなぁ。 ふふ。まさか……ね。 「あのさ、ちょっといい?」 アダージョな声で訊いてきたのは、アルエだった。ざわつくこころには、一度蓋をする。 「ナンドンランドンっていう魔女だけど、アルエに留守番を頼むほどだから相当重要な魔女なのね」 「あ、ああ……」 「二人に、なにか隠していたことがあるわね」 鋭いな……。たしかに、あえて説明を端折ったところはあった。 だが、気づかれているなら、アルエには話しておかないといけない。 「ナンドンさんはどうも……穢れを祓おうとしてる人間たちを管理してるみたいなんだ。ただ、その地域の穢れはちゃんとナンドンさんが祓ってるらしい」 人間たちが、魔女の手を借りずとも自分たちで穢れを祓う技術を身につけつつあることは周知のとおり。しかしそれ系の人間はえてして魔女狩りに加担するもの。にもかかわらず、ランドンはそれらの人間とうまくやっているという。彼女たちがどういった関係を築いているのか、どういう流れでそういう関係に至ったのか。ライラとしてはきちんと調べておく必要がある。 そこまで説明すると、アルエはまたちびりとお茶を口に含んだ。 その素朴であどけない横顔に、ライラは思わず魅入られる。 「ではライラちゃんも、気が気ではないでしょうね。早く身体を治さないと」 「う、うん……。とりあえずはじっとしてるよ。ところで……」 「ん?」 「ライラと一緒に寝たいと思わない? かな?」 「思わないわ」 即答っすか! ――がっくしOTL 「ふーん。いいよいいよ。どうせライラなんて、美人じゃないもん」 ふてくされて横寝になると、アルエが自分の髪を手櫛で軽く梳かした。 「そうは思わないわ」 「……ふえ?」 「あなたは、美人よ」 な、なぬなぬ!? じゃあ一緒に――――――!! と起きかけたところで、身体中に電流が走った。 やば……。無理、しすぎ、た。 「なにやってるの」 アルエの微笑の音が届く。 ライラはぐったりと仰向けになり、宇宙の奥をじっと見る。 遠い、遠い、空。 あの空の向こうに、ライラたちのような、別の存在があるのかもしれない。そしてその存在たちも同じように、笑ったり泣いたりして、たいせつな一日を生きているのかも。 ちょっと浮気をしたライラのこころを。桃色の、髪を。 パノラマに広がる星々が、笑っているような気がした。 【⇒いつも楽しんでくれてありがとう! 穢れがキーになる、第三章へ続く!】 【⇒……の前に、華茂と燕の特別デートストーリーをちょっとだけお届けします! お楽しみにっ!】
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