魔女のお茶会
第一章①(なんでわたしのおしり触ってるの!?)

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【第一章――遠野華茂は、恋に遊ぶ――】 「うぬぬぬぬぬぬぬ……」  気合いを溜める。つい、声が漏れる。  もう血管が破裂しそうだ。だけど、なんのこれしき! 「せりゃ――――――――――――っっ!!」  遠野とおの華茂かもが両腕を十字に広げると、天上の黒雲はザバーッ! と霧散した。そのまま微妙な調整で魔力を操ると、黒い塊はあっという間に透明へ。  やがて春らしいあいの風が、遠くの連峰へと吹き抜けていった。  ここは山間の小さな集落。街道に出るまでは険しい藪道やぶみちを通っていかねばならない。十字に区切られた田んぼを十数枚越えると、村の端までたどり着く。日々丁寧に雑草を刈り取ったこの広場で、華茂はいつもの役目を担うと決めていた。 「……ぜいっ。ぜいっ」  肩で息をする。しんどかったけどやり遂げた。これでなんとか、一服できそうだ。  さ、みなさん。お茶にしましょう!  そう言って村人たちの方を振り向こうとしたら――、 「にゃにゃぁ~~っっ!?」  さすりさすり。  もみもみもみ。  村人の一人――次期村長との声も高いおじさん(当年50歳)に、おしりをめっちゃ揉まれていることに気がついた。 「こらー、弥助やすけ! なんでわたしのおしり触ってるの!?」 「だって華茂ねーちゃん、いいおしりしてんだもん。胸はあんまりないけど……」 「全然理由になってなくない!? ていうか、ちょっとバカにされてるし!!」  …………。  こいつもあれだなー。  四十年ほど前は鼻を垂らして「華茂ねーちゃん、ねーちゃんねーちゃん」と自分の後ばかりついてきたものだったが。いつしか立派な青年になり、今は立派な変態中年だ。  しかし魔女の成長は18歳くらいで止まってしまう。華茂の身長は150センチちょっと。身長もお胸ももうちょっとほしかったけれど、もはや今更って感じだ。 「華茂ねーちゃん、早くお茶淹れてよ。『けがれ』のはらいも終わったことだしさぁ」 「いやー、もっとわたしに感謝してよね! けっこう力いるんだから、これ!」 「んなこと言ったって、華茂ねーちゃんはそれしかできないじゃん」  弥助の言い草にべろを出して絶句。と、まあ。実際にそうなんだけどさ。  穢れというのは、この惑星アニンを取り囲む存在だ。ちょうど、アニンが黒袋で包まれている様子を想像してくれればわかりやすいと思う。  だけど穢れは舐めてかかっていいものではない。これがアニンを覆えば、恒星からの熱が遮断され、アニンは死の星へと化してしまう。それを防ぐのが魔女の役割であり、魔女ってそもそも、アニンが穢れに対抗するために生みだした存在だとか、なんとか。魔女学校ではたしかそんなふうに習ったはず。たしかたしか。  しっかしこの穢れ。祓っても祓っても、定期的に発生してくれるのだから困りもの。  ぶっちゃけ、しんどい。 「華茂ちゃん、おはぎできたって!」 「早くおいでよー」 「華茂ねーちゃんはいい香りだぁ~~すりすりすり……ぎゃああああぁぁぁーっ!!」  肘鉄をくらわせておいた弥助はともかく、みんなは遠くから、華茂に優しく手を振ってくれている。うず高く積もる、春の香り。どこかで犬が早朝のひと鳴きを上げた。  だからまあ、しんどくてもいいっかと思う。  華茂は村の人々に愛されている。それは実感としてわかる。華茂は農業も炊飯すいはんも知らずにバカにされてばかり。だけどみんなは、華茂が魔女だからといって特別扱いをするようなことはない。人間たちとの暮らしは、華茂にとって当然の日常になっているのだ。  むしろ辛いのは別れの方だ。どうしたって人間の方が先にこの世を去る。ススキの裏で照れくさそうに初恋の話をしてくれた弥助の姿が……まるで昨日のことのようにまなこに映る。かわいかったなぁ。でも、自分よりも先に弥助の方が……。  ぶんぶん、と頭を振って、益体やくたいもないせつなさを取り払う。 「うん、行く!」  まさに走り出そうとした、その時だった。 「――――!?」  上空から、強い魔力の気配。  黄色の稲妻が爆ぜるとともに、一体の影が華茂の眼前に垂直降下してきた。  突然の闖入者ちんにゅうしゃに身構える華茂――だが。 「遠野ぉ、お前は相変わらずだね」 「え……い……」 「人間に優しくしてもらってうぬぼれるなよ? 本当は心で笑われているかもしれないんだぞ?」 「い……イア師匠じゃないですかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「どうやらその声はやっぱり、遠野みたいだな! このぉぉぉぉ!!」  イア=ティーナ。  深紅のドレスを纏ったこの魔女は、210年ほど昔……華茂が魔女学校に通っていた時に多くの指導をしてくれた伝説的魔女だ。歳は1000歳を重ねるというが、あまりに怖すぎてその話題を振ったことはない。流水を扱う魔女で、彼女の生みだした激流は一国の水力発電の動力源となっているとか。  その大魔女イアの繊細な指が、華茂のボブカットをごしごしと撫でつけた。 「ん……あ……」  唯一意表を突かれているのは弥助だけだ。弥助は驚愕きょうがくあらわといった表情で、何度も何度も華茂とイアを見比べてきた。 「こ、この人が華茂ねーちゃんの、師匠……」 「うん。そうだけど?」 「全然違うじゃない。その、特にこのへん……」  ドレスのコサージュの奥にある、形よくぷりんと張り出した胸に手をやろうとして。  ……イアの魔眼にすくめられた弥助は、「ひいっ」と短く声を発した。でも大丈夫。イアは人間との共生を望むグループ――リーフスの先導者的存在なのだから。  そしてイアは、めたくそに美人だ。  瀟洒しょうしゃな鼻筋に切れ長の黒瞳こくどう。インテークの利いた長い髪は、魔女たちの間でも憧れの対象となっている。  ……で。 「イア師匠ご無沙汰していますけど、今日はなんでここに来たんですか?」 「ああ、それそれ」  イアは人差し指を立てて、左右に二振りほど往復。それから華茂の両肩をガシッと掴んできたものだから、華茂は思わずびくついてしまった。 「遠野を、最強の魔女にしてあげようと思ってね」  イアの簡単な言葉が、時間の流れを縫い止めた。  淡い雲の行進だけが、今がリアルなのだと告げている。

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