魔女のお茶会
第一章③(セカイイチ! セカイイチ!)

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 馬鹿だった。  ひじょーに、馬鹿だった。  華茂かもはなんというかもう、後悔の境地にたどり着いていた。  イアに呼び出されたのは、村の端から徒歩二十分の滝の前。露出岩ろしゅつがんに腰かけ、空中で脚をブラブラとさせてみる。跳ね上がる白水しらみずをぼやっと眺めながら、この一ヶ月の出来事を思い出していた。  まず初日。  これはとんでもなかった。華茂は足腰が立たず、10メートル進むたび派手に転んだ。手をついて四つん這いになるも、そこから力が入らない。顔中から大粒の汗が吹き出る。目も口も限界まで見開き、そのまま意識を落とすことだけは避けた。  案の定、村の子供や暇な大人が華茂の周囲に黒山をなしているようだったが、声の振動がわずかに鼓膜に届くくらいだった。なにを言ってるか、全然わからない。華茂のピンチにかこつけて弥助やすけが身体を触ってくるかと思ったが、特になにもされなかった。そういえばこいつには、大切な人がいるから。まあ、そりゃそうだろう。  しかし眼前に現れた弥助の顔に驚いて、反射的にももに力を入れることができた。 (ねーちゃん、大丈夫?)  たぶんそんなことを言っていたのだろう。弥助の口がパクパク。「ハアッ……ハアッ……大丈夫、だ、から」と気力を振り絞り、起き上がることができた。すぐに、またこけた。  そのまま村を十周だなんて、まずできる気がしない。  それでもイアの命令を守るため、華茂は零時までかけて村を十周した。弥助が指示を出してくれたのだろう、何人かの大人は松明たいまつをもって華茂の道を示してくれた。十周が終わってから一瞬で意識がブれ、気づいたら次の朝だった。次の日は、十五周を命じられた。  歩く距離は長くなっていったものの、次第に脚に力が入るようになってくる。そろそろイアの試みも終わりかと思った一週間後、次は腕にあの(ビリビリビリ!!)をやられた。その腕を使い、モッコクの樹で懸垂けんすいを百回やれという。華茂は何度も地に落ち、擦り傷を負った。その擦り傷を、イアが水属性の治癒魔法でなおす。頭がぼうっとして、ニヘラニヘラと笑えてくる。つばめはなんでまだ帰ってこないのかなぁ。「お。零式のこと、考えてんだな」とイアに指摘されて、びっくりして。また枝から落ちて、涙がポロリ。 「もう許してくださいよぉぉぉぉぉ!!」  脚、腕ときて次はなにをされるかわからないので、ついに泣きを入れた。 「なに言ってんだ、まだこれからじゃないか」 「これ、から! って! わたしなにか悪いことしました? でしたらこのとおり謝りますのでどうか……どうかご勘弁おぉぉぉぉ……」  直角に腰を折る。もしかしてイアが家に来た時にお茶を出さなかったのがマズかったのかもしれない。魔女はみんな、お茶が好きだから。  だけどイアは涼しい笑みを浮かべるのみ。いや、怖い怖い怖い。 「んー……。あ、あれがいいな!」  イアが指先をクイクイと動かすと、大地は鈍く鳴動めいどう。土の中から巨大な奇岩きがんが現れた。これ、相当深くまで埋まっていたやつだ……。 『黒鬼幽谷こっきゆうこくいにしえは深し。とびは近づかず、たかは烈として羽ばたき去る――』  あ、あれっ?  これ……詠唱えいしょうじゃない? 『大門ダイバーンの決壊はこれに有り。全霊ぜんれいたれ、烈風レストレズム!!』  風切り音が聞こえたと同時、独楽こまのような二つの竜巻が生じる。その竜巻は周囲の空気を巻きこんで真空状態を現出。空気たちが閉じようとした隙間に、大岩が突っこんだ。 「え、えっ?」  岩がうなりを上げて華茂を襲う。これは燕が得意とする魔法に、比べものにならないほどの加速度をくわえた――大魔法だ! 「打ち壊せ、遠野とおの!!」  イアの一喝。  身体が勝手に動いていた。肘を引いて、迎撃の構え。ためらう時間は一秒もない。 (壊す……!!)  華茂の目尻がキッ、と上がる。イアは、無理なことは命じない。  だから――、やれる! (火龍ひのたち!!)  拳に炎熱を点し、打ち抜く。渾身こんしんの右ストレート。ずっと息を止めたまま、自分は鉄の塊になったものだと思いこんで勝負に出た。  岩は。  ――軽々と。  ――――爆砕ばくさい、した。 「す……」  なんか、めっちゃ……、 「すごいすごいすごいすごいすごいすごい!!」  きっもちいい!! 「わたしすごくないですか!? すごいすごいすごいすごいすごいわたしかっこいい!!」 「だろー? やっぱりな、もうお前最強だぞ!」 「わたしすごい!」 「よっ、世界一!」 「セカイイチ!」 「うわはははははは!!」  二人で同時に、イエイ、と勝利のブイサイン。空中で手を合わせ、謎のダンスを踊る。  踊る。踊る。踊りまくる。  セカイイチ! セカイイチ!  セカイイチ――。  …………。  …………それが、大いなる間違いの始まりだった。  透明な聴覚が華茂を現実に引き戻す。滝の音の隙間に、ツグミの軽い鳴き声が潜んでいるようだ。  どうして華茂はイアに乗せられてしまったのか。  命令は命令だとしてもだ。少しでも嫌がるそぶりを見せたら、手加減くらいはしてもらえたのではないか。しかし華茂の心が凱歌がいかを上げてしまったものだから、脚、腕に続き、背中、腹――果ては頭にまであの奇妙な魔法をかけられた。  頭までやってしまったのだ。今日はいったいなにをされるのか……、 「待たせたな、遠野」  上の歯と下の歯を合わせて慚愧ざんきふける華茂の肩を、イアがポンと叩いた。 「イア師匠……」  華茂が斜め上を振り向くと、イアは柔らかく笑みながら華茂の隣に座った。  しばし、秒針のない時間が二人を支配する。  ……言うんだ。  言うんだ言うんだ。もう最強になりましたからって。だから、これまでたいへんお世話になりました、ありがとうございましたって――。 「全然最強じゃないぞ、遠野」  鼻先で小さな息を吸い込んだ。イアは華茂の心を、読んでいる。 「ぶっちゃけた話、お前の能力はまだ半分しか開花してない。だから今日、仕上げをやるんだ。お前の一番大事な部分を咲かせてやる」  イアは笑っているようで、笑っていない。  今まさに、集大成を送りこむ。その決意に満ちた表情をしている。  でも、一番大事な部分……それって、なんだろう。 「それって」  ひとこと目を発するのと、空が突如の暗雲に覆われるのは、同時だった。  本当に一瞬だったんだ。雲が集結するそぶりはどこにもなかった。青にドバッと墨をこぼしたように、全天の色が牙を剥いた。  辺り一面に瘴霧しょうむが立ちこめる。靄気あいきが、雷鳴を呼ぶ。  ほとばしる――強大な魔力。  華茂も魔女のはしくれ。その絶対的存在感に、肌がぷつぷつと粟立あわだっていく。 「こんにちは。あたしでございましょう」  慌てて立ち上がった華茂たちの前に、片側を三つ編みにまとめた長い髪があった。  フォグブルーのロングドレス。その魔女は手のひらを耳のそばで立てたかと思うと、そのままスッと腹部へと移動させる。 「ごきげんいかがでしょうか。ティーナに、遠野さん」  知っている。華茂は、この魔女のことを知っている。  いや、華茂だけじゃない。おそらくほぼ全ての魔女は、今目の前で艶然えんぜんと笑むこの魔女のことを――知っている。いうなれば、魔女の中の魔女たる存在。その名は――、  リリー=フローレス。 「あたしが、推参すいさんでございましょう」  目をパチクリとさせる華茂。  ゆ、有名人だ。有名人が来た。もしかして自分の修行を見学に来てくれたのだろうか? 「リリーさん、わたし、知ってます! ずっと会いたいなって思ってたんです! ほんとにほんとにリリーさん……」  脇をワクワクとさせて駆け寄ろうとする華茂を、 「なんですよ、ね……?」  イアが、腕を伸ばして止めた。  その手が震えている。大魔女の、麗しき手のひらが。  わけが、わからない。

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