やってもうた~~! ほんまにほんまにやってもうたで~~!! 遠野華茂は、胸の中で西国の方言をわめき散らす。 でも、やってしまった、というのは事実だった。低い円卓に、しなりのある座椅子。らくだの絵が刺繍されたクッションにもたれかかる燕は、その目をとろーんとさせている。 「つ、つ、燕さん……なに飲む?」 「うふっ。遠野さんは?」 「えーと……じゃあわたしは、白いハチミツ入りのお茶で……」 「うふふふっ。私も、それにします。遠野さんと……おそろいですねっ」 拒否なんてする意味もないので、華茂は手を挙げて店員を呼ぶ。頭に布を巻いた店員が円卓に近づいてきて、ハチミツティーを二つ、大声で厨房に注文した。 「おそろいだなんて……うふっ」 声を抑えて呟く燕。いやいやー、聞こえてるから、それ。 つい、二時間ほど前のことだった。 華茂と燕はしばし飛行し、ランダムで選んだ街へと下りた。 そこは大陸のちょうど真ん中にあたる都市。東西文化が行き交う、雑多で元気な街だった。人々の装いもバラバラ、冠に羽をつけた将軍もいれば、手枷をはめられた奴隷も歩いている。しかしどんな身分の者も顔を明るくしており、どうやらこの街は東西交易における休憩宿場として機能しているようだった。そこに言葉はいらない。みんな、身振り手振りで自らの意思を伝え合っている。 そしてだ。華茂たちは、ホロの波打つ露天商の前で雑貨を物色した。ザクロ模様の皿に、鳳凰の絵が描かれた水差し。あれやこれやとかしましく盛り上がっていたところ、華茂が香炉に注目をした。その香炉には、特別なお香がセットでついてくるという。 「まあ、おねえちゃんたちはやめといた方がいいな」 商人がバカにしたように笑うものだからなんだか悔しくなり、華茂はお香を購入して火を入れてみたのだ。商人は「ま、まじか。やめろやめろ」と最後まで反対していた。そして商品の説明がネタバレふうになされようとしたその瞬間――、 香炉から白い煙が立ち、ちょうど吹いてきたいたずら風がその煙を燕の方へと運んだのであった。 「ねぇー、遠野さん。私たち、しばらくここにとどまるんですよね?」 「う、うん……」 「うれしい……」 座椅子にもたれかかり、しなをつくる燕。 そう、このお香とは。 一番近くにいる者を美男子に見せるお香、だったのだ。 つまり今、燕から華茂は超絶イケメンに見えているわけで。 歩いていてもちょいちょい肩とかぶつけてくるわけで。 なんじゃーそりゃー、というわけでもある。 二人でハチミツティーを楽しんだ後は、カフェを出て再び散策。ちなみに白いハチミツはしっかりとした甘さをそなえながらも、まるでミルクのように優しい味だった。 またも二人で、てくてくてく。白装束が並んでいても、誰も気にしない。清天の下、風は穏やか。細かい砂道の感触に、足裏が喜んでいる。 まぁ、気にしても仕方がないか。 華茂は小さく鼻息を吹いて、さやりと笑った。 そこへ、ゴリゴリゴリゴリ、と固い音。 「あ、燕さん。木を削ってる人がいるね」 「あら、ほんとう。きっと家具をつくっているのですよ。見学しにいきませんか?」 「うんうん! 行こう行こう!」 職人を指さし、大股で進む華茂。すると、大きな影が三つかかった。 「ん?」 振り返る。背後には、高身長の男が三人。タンクトップを着ていてあの帽子は……そうか、どこかの国の海軍兵だ。 「なに? わたしたちになにか用?」 「んひひひひひひ」 一人の男が笑い、指で鼻をこする。 なんだなんだ? こちらがフレンドリーに話しかけているのに、どういうこと? 「ねぇ、なんなのよー」 もう一度訊くと、男は華茂の顎をくいっと手で上げた。 「おじょうちゃんも悪くねぇ……悪くねぇが、あと五年だな」 「ああ。五年経ったら相手してやるよ」 そして男たちは声を揃えて大笑いする。いくら鈍感な華茂でもわかった。こいつらは任務の休憩中に女漁りをしてやがるんだ。 華茂は男の手をパシッと払いのけ、上目遣いで睨んだ。 五年……っていうか。華茂は魔女だから、もう成長なんかしないんだけどね……! ところがせっかくこちらが目力を利かせているというのに、男たちはまるで素無視。燕を囲み、あれやこれやと褒めちぎっている。 「きれいだな、君」 「どうだい、俺たちと遊ばないか」 「女神を見た気分だよ」 いやいやいやいや……。 華茂のこめかみに、ピキピキピキピキ! と青筋が走る。 「お声をかけてくださり、ありがとうございます。でも私、だめなのです」 「ん? もしかして、好きな男がいるのか?」 「ええっ……! その……好きな、とか、そういうの……」 「やめろジョーイ。この娘照れてるじゃないか!」 「わざとだよ。照れてるところもまた、かわいくないか?」 「たしかに! いわれてみれば、グッジョブだ!」 ……トテトテ、トテトテ。 ……テクテクテクテク。 つんつん。 「ん?」 華茂はうつむきながら、一人の男の肩をつついた。 「ああ、おじょうちゃんごめん。よかったらきみも一緒に、お茶でもどうだい?」 「お茶ならさっき……飲んだから……(ボソッ)」 『我が名において、紺碧に命ずる――』 突如、旋風がビュォォォォォ!! と吹き荒れ、男たちの下半身を襲った。 ブチッ。 バスッ。ブチッ。 人差し指をくるりと回し、細かなコントロール。風は男たちを傷つけることなく――、だが、男たちのズボンの留め金を切って捨てた。 ずるり、とズボンが落ち。 ――パンツ一丁。 「ん?」 「え?」 「うわわっ!!」 男たちは、ひええええ! といった感じで逃げていった。その間抜けな様子に、各国の言語で笑い声が立ち起こる。うーん、スカッと爽やか。華茂ちゃんだ! すると、ガバッ――。 「遠野さぁぁぁぁぁぁん!!!!」 にゃっはーっ!? つ、燕が華茂に……抱きついてきた!? 「怖かったです。怖かったですよ……」 「あ、ああ……。もう、大丈夫だから」 「かっこよかったです。遠野さん、私を護ってくれて……ありがとうございます」 そこで禿頭のおじさんが、わざとらしい口笛を吹いた。 冷やかすようにおおはしゃぎする子供たちまでいる。 燕はしばらく華茂の背中に両腕を回していたが、離れるとすぐに、はかなく笑った。 「ねぇ、遠野さん」 なんだか、燕の頬が赤く染まっているような気がするけど……。 「遠野さんって、その……好きな人とか、いるんですか……?」 「うええええええええええ!?」 いきなり!? いや、待て待て待て待て。このテンションは明らかにおかしい。そうかあのお香、華茂をイケメンに見せているだけじゃなく、燕の恋心(みたいなもの)にも作用を及ぼしているんだ! 「燕さん、もう!」 華茂の中に、決死の覚悟がみなぎった。アルエを探す旅の途中、抱き合ったこともあるんだ。このくらいはいいだろう! ――――えいっ! 華茂は燕の手を掴み、自らの胸へと押し当てた。 ちょっと自信はないのだけど……。 「ほら、わたしは女の子だよっ! 男の人じゃないよ!」 「う、あ……?」 「目を覚まして、燕さん!」 「うううううああああああ……あ。……華茂?」 よかった、いつもの呼び方だ! 「あれ? 私、なにか変なことやっちゃいましたか?」 しかもなんだか耳に残るせりふだ! 百年くらい経ったら流行るかも! 「大丈夫だよ。元に戻ってくれてよかった……ごめんねごめんね、燕さん」 「いえ、その……それで、華茂は……好きな人とか、いるんですか?」 ズコー!! 「燕さん、まだ戻ってないの!?」 「あ、いえ……なんか……目が覚めた気分です」 そして二人で。 視線を、瞳水晶で交換して。 燕が華茂の胸を触っているのを確認して。 ――照れて。 「うわ――――っ!!」 「わわわわ! か、華茂!」 磁石のS極同士みたいに、ぴょいーんと分離。二人して地面にずっこけた。 後ろ手をついて、とにかく呼吸を整える。 どうやって燕に声をかけようかと思案していると、上から拍手の音が降ってきた。 「いいものを、見せてもらったわ」 若い女性だ。誰だろう? 頭の上で髪をしばり、眼鏡をかけている。東国風の青いドレスはたいへんきらびやかだ。 「あたし、そこの店でキネトスコープをやっているのよ」 「キネトスコープ?」 「知らない? 写真が動くのよ」 写真が動く。どういう理屈だかわからないが、面白そうではある。 「貴女たちかわいいから気に入ったわ。無料でいいから、試しに観ていかない?」 燕に目で確認する。燕は「行って、みます?」と言った。これは正直助かった。このままだと燕と会話できないところだったが、この見知らぬ女性のおかげで自然と話をすることができそうだ。 華茂がうなずくと、女性は猫のように笑った。 「はい、お二人様、ご案内ー!」 というわけで、のれんをくぐり、白レンガ造りの建物へと入る。ひやっとした廊下を歩いていくと、奥に真っ暗な部屋があった。 女性に座椅子を勧められ、燕と隣同士に座る。 「それじゃあたしは映写するから、いったん失礼するわね。ゆっくり、楽しんで」 女性が去って一分ほど経つと、前面の白壁に矩形の光が当たった。 なにが始まるんだろう? 燕をちらりと見て、二人で相好を緩める。 だけど。 壁面が光っているだけで、なんにも映らない。 まだかなぁ、まだかなぁ、と思っていると、だんだん眠くなってきた。 瞼がとろんとする。おかしいな、さっきまでちっとも眠くなかった、の、に。 ぼやける視界。やがて意識は、黒の中へと落ちていった。 ……ん。 …………んん。 薄目を開ける。なんだか頭がぼんやりとする。 (燕、さん?) 呼びかけようとして。 (あれ? 燕、さん?) ――――声が、出ない。 隣に燕がいない。座椅子もない。白い壁もなければ、支えとなる床さえもない。 華茂は、宇宙の中にいた。 星々が輝いている。とめどない浮遊感。どちらが上で、どちらが下かもわからない。目を強くつぶった時に瞬くような光が、輪郭をもって明滅している。 そして頭の中で、何者かの声が反響した。 『あなたは、どこか遠くへ行きたいと思ったことはありませんか――』と。
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