【最終章――銀河を歌う、彼女は誰――】 ニスの利いたテーブルに、淡い照明が落ちこむ。 ライラがぐいっとビールをあおると、彼女の口元には白い泡がついた。 「で、どうするかねぇ」 ライラは不満足そうに言う。 しかしそうこぼされても、向かいに座る華茂も燕も答えようがない。 デフューの港町に到着してから、かれこれ一週間になる。日中は足を棒のようにして聞きこみに回っているのだが、依然としてアルエの行方がわからない。この町からは一日に何便もの船が出航する。係留する船もあるが、その期間は商談用であったり人足の休憩用であったりするわけで、二、三日が経てばすぐに港を離れてしまう。 すなわちこの町に住む人間といえば、宿場、食堂、酒場、歓楽店を営んでいる、いわば客商売ばかりなのだ。昼間は仕込みをしているか店を閉めているか寝ているかのいずれかで、夜になれば営業へと入る。アルエについて聞きこみをするチャンスが少ない。店先に果実を並べている途中の中年女性に「忙しいんだ!」と叱られたこともある。 とはいえ、リリーが残したヒントは『デフュー港に来い』ということだけだ。ここから先どうしてよいかわからず、華茂たちはいたずらに時間を費やしていた。 「ぎゃーはははは!! おおい、ねえちゃん! 一緒に飲もうぜ!!」 べろべろになって肩を組んだ男同士が、赤ら顔で華茂のテーブルにやって来る。 どこの店でも男性が多く、こうやって絡まれることも一度や二度ではなかった。 「うるさいなぁ。あなたたち、昨日もライラに声をかけてきたでしょ」 「そうだっけ!? 昨日は昨日、今日は今日! どうだい、一緒に!!」 「いらない。ライラは、酔っ払いに興味がないから」 ライラがわざとらしくそっぽを向く。店内に流れるラジオから、軽快なコントラバスの音が聞こえてきた。 「なぁー、あんたぁ、ひどくないこのねえちゃん? 俺たちを無視すんだぜぇ?」 「……え? 私ですか? その、えっと」 「かわいそうだろ、俺たち? ていうか俺はあんたの方がいいなぁ。一緒に飲るかい?」 うむむむ。 華茂としてはうざいことに、今度はやはり燕の方に来たか。 大体がこうなのだ。男たちはまずライラに声をかけ、断られたら燕に絡みにいく。そして当初は華茂が文句を言うという展開が続いていたのだが、途中からはめんどくさくなり、こういう言い訳をしてしのぐようになった。 「だめだよ。わたしたち、Angel's rest号に乗るんだから。後で船の人に言いつけちゃうよ? ……って、昨日も言ったよね」 「なんだぁー、そうなのかぁー。そいつはいけねえな、ぎゃはははは!!」 男たちは異国の歌をうたいながら、去っていった。 Angel's rest号。それは贅の限りを尽くした豪華客船だ。デフュー港から出て、世界半周の旅をするための船らしい。当然、乗船している人間には権力のある者が多く、これを言い訳に使えばどの男もすごすごと退散してくれた。 だけどAngel's rest号の出港は、今夜未明だ。明日になればこれを利用できなくなるし、さらには嘘つき扱いをされていっそう絡まれるかもしれない。想像するだけで気が重くなってくる。テーブルに両肘をつき、その上にあごを置いた時だった。 「やぁ、お嬢さんがた。こんばんは」 ……また来た、ナンパ男だ。キャメル色のテンガロンハットをかぶり、片手にはスコッチウイスキーの瓶。異国ではめを外しているのか、たいへんご機嫌な様子である。 華茂は、深いため息をついた。 「ごめんだけど、わたしたち暇じゃないんだよ。もうすぐAngel's rest号に乗らないといけないんだから」 これで席に戻ってくれるかと思ったが、男は口元をニヒルに歪めるだけだった。 「レディー。まぁそう言わず、私と賭けをしませんか?」 「賭け?」 男は軽くウインクをし、チョッキのポケットからひと組のトランプを取り出した。 「今からこれをよくシャッフルします。そして私を含み四人に二枚ずつカードを配りますが、その合計が21に近い方の勝ちです。エースは1としても11としても使えます。キングとクイーンとジャックは、全て10と計算します。どうです、単純でしょう?」 「……いや、いらないよ。賭けとか、する気分じゃないし」 華茂たちには、アルエを探すという目的があるのだ。遊んでいる時間があるなら、無駄かもしれないが明日以降の捜索方法について考えを巡らせた方がいい。 ――が。細目になり身を乗り出したのは、ライラだった。 「その賭け、ライラたちが負けたらどうなる?」 「そうですねぇ。では、ワンコインいただきましょう」 「……いいよ。あなたが負けたら、明日からライラたちに協力してもらっていいかな」 なるほど。ライラは、この男をアルエの捜索に利用するつもりだ。 負けてワンコイン、勝てば人手を得ることができる。男はライラか燕に鼻の下を伸ばしているようだし、この条件ならまず受けてくれるだろう。 ところが男は、渋そうな顔をした。 「お嬢さんがたが勝てば、その条件ですか……」 しばし黙考の後、男はうなずいた。 「承知しました。それでは、その条件で勝負しましょう」 そして喧噪の中、四人の勝負が始まった。 華茂たちの手元に、そして、男の手元へとカードが配られる。工夫もなにもない。これは単なる運だけによる勝負だ。全員同時に、カードをオープンすることにした。 ――オープン。 「おお」 男が、うやうやしそうに十字を切る。 華茂は目を見開き、燕は手で口を覆う。 ライラだけが、変わらぬまなざしでカードを見つめていた。 全員のカードが、エースとキングだった。 「引き分けですね」 男はそう言って、カードを回収する。 引き分けなのだから再試合だろう。華茂はそう思った。至極当然の流れのはずだ。 だが男は革製の鞄を開け、そこから長方形の紙を三枚出した。 「引き分けですから、ワンコインは必要ありません。そして私がお嬢さんがたに付き合うこともありません。神が我々にくださったこの奇跡に感謝し、こちらを贈らせていただきましょう」 華茂は渡された紙に目を凝らす。 それは、Angel's rest号の乗船チケットだった。 「では私は、失礼しますね――」 「待ちな」 椅子を立った男の背中に、ライラが声をかけた。 「なんでライラたちがチケットを持ってないって知ってたんだ? それにあなた、ボトムに入れたカードが混ざらないようにシャッフルしたよね」 ライラが訊くと、男は背中だけで笑った。 「目のいいお嬢さんだ」 「なにが目的なの」 「目のいいお嬢さんに敬意を表し、教えて差し上げましょう。私は少しばかり駄賃を頂戴し、お嬢さんがたにこのチケットを渡すよう頼まれただけです」 「誰に」 「それは申し上げられません。が、予想以上の出費でした。服装の特徴を元にあなたがたを探すのに、一週間もかかってしまったのですから」 「ふうん」 ライラは指で自らの鼻を弾く。つやつやした前髪が数本、緩やかに風に乗った。 「もういいですか。私はこれで」 「いいけど、最後にもう一つだけ教えてよ」 「ふ。欲深いお嬢さんだ」 「チケット渡すなら渡すで、どうして普通に渡してくれなかったのよ。わざわざ賭けをした理由はなに?」 「さぁ。私の依頼人は、キネトスコープの真似だとか言っていましたけどね」 「ははっ」 ライラは、えくぼをつくって笑った。 「なんだそりゃ。じゃああなたの技術に、ライラからはこれを贈るよ」 言ってライラは、なにかを手首のスナップだけで投げる。 パシッという音が立つ。男が指先で掴んだのは、ワンコインだった。 誰かが酔って、椅子から落ちた。その拍子にジョッキが割れ、店員が慌てて処理に当たる。わはははは!! 間抜けな声が響く。天井から吊されたいくつもの国旗が風に揺れる。サラミの、香ばしい匂いが漂っていた。 「美しいお嬢さん。なによりもの駄賃、頂戴しました」 やはり男は背中で笑い、今度こそ華茂たちのテーブルを去っていった。
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