魔女のお茶会
第三章②(どういうことじゃ)

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 華茂かもたちはすぐに岩山を下りた。  今度は聖地にみさおを立てている場合ではない。山小屋から、魔法を使っての急降下。ふもとに到着すると、溶岩はすでに火山の中腹ちゅうふく踏破とうはしてきていた。腐った卵の臭いがする。思わず鼻をつまむ。仰ぎ見れば、火口では熱された岩石がみぎわ飛沫しぶきのように跳ね上がっている。村人たちは退避の大混乱に陥っていた。警笛の高い音も、複数聞こえる。  大地が、軽く揺れた。  仮に湯飲みがあったとすれば、それを横へ倒す程度の地震。華茂がバランスを崩して一歩を踏み直す間に、つばめはもう詠唱に向けて厳粛な声を紡いでいた。 『ラクト音楽ディッフェが聞こえるかしら。その先端で貴女の胸を突くかしら。私は横から眺めていましょう。ラクトが貴女を仕留め損ねた時、ホルンの刺突を贈れるように――』  その間、華茂やライラはもちろんだが、ナンドンランドンは微々とも動かない。ただ唇を小刻みに開閉しながら燕の魔法を横目で見ている。 『氷舞ひむらッッッ!!!!』  燕が片腕をL字に曲げると、その直上に人間三人分ほどの氷槍ひょうそうが現出。燕は数歩ステップを踏んでリズムをとり、これを火口に向けて放った。  凝縮された氷が高速で発射される。燕のことだ、狙いに間違いはない。氷槍は一直線の軌道で進み、上空で急旋回、直ちに火口へと鋭く突っこんだ。  しかし――、なにも、変わりはない。  火口は非常事態の口泡こうほうのように、ゴップゴップと紅蓮ぐれんを吐き出している。  ただ、これは華茂にとっても予想の範疇はんちゅうだった。いくら燕の魔力をもってしても、相手は最大の自然災害だ。氷で封じようとしても、まさに焼け石に水。ここは諦めて、村人たちの退避を最優先する他はない。 「ナンドンさん、まだ残ってる人を助けよう、よ……」  言って、ナンドンランドンの様子が一変していることに気づく。  さっきまでは石柱せきちゅうのように立ち尽くすだけだったナンドンランドンが、今度は重心を低くし、腕を広げ、その重厚なオーラを自ら高めている。 (やるしか、ないのか)  そんな小声が聞こえた。  続いて、詠唱が流れ出す。 『一人、歌っていた。神に捧げる曲を奏でていた。隣には誰もいない。ブラックチェリーの香が漂う。果たして開闢かいびゃくか、宿痾しゅくあか』  ナンドンランドンの肩を覆う毛皮が、一本一本の毛を逆立て始める。 『依然、ようとして……ONLY SING』  そして彼女は、著しく頬を歪めた。 『夏の逃げ水エーレン――――ッッ!!!!』  時計の、秒針の音が聞こえた。  華茂の頭の中に、いくつかの懐中時計の像が結ばれた。どうしてこんなイメージが広がるのだろう。首を左右に振り、燕とライラに目で助けを乞う。だけど二人は表情を引き締めて、ナンドンランドンに注目しているのみ。なんだ。どういうことなのだ。今も懐中時計は黄土色の宇宙の中、狂ったように針を回している。このイメージが与えられているのは、華茂だけなのか。  う、と確認。  そして時計のイメージは透明と化し。  多量の息が、肺の驚愕に吸いこまれていく。  溶岩は……跡形もなく、消滅していた。 「え」 「えっ?」  燕とライラが短く言う。  二人とも、信じられないといった顔をしている。  そうだろう。  なんなのだ、この魔法は。  華茂は見た。  たしかに見た。あの溶岩は逆流したのでも、空に蒸発したのでもない。もっといえば、消滅という言葉は間違っている。なぜならあの溶岩に包まれていた家屋、広葉樹、目隠しさくの類の表面が、全て元どおりになっていたからである。仮に一度でも溶岩に包まれてしまったとしたら、あのように無事であるはずがない。 「ナンドンさん、今の、」  問いかけた瞬間だった。 「ナンドンランドン! 無事かっ!!」  二階建ての家の二階まで首が届きそうな大男が、地面を揺るがせて走ってきた。その後ろから二十人くらいの村人が続く。ナンドンランドンも苦悶あらわといった顔をしているが、ようやくたどり着いた大男は肩で息をする始末だった。 「パチャラ、みんなは無事か?」  ナンドンランドンが訊く。なるほど、この人はパチャラというのか。 「……ああ。とりあえず今はまず、状況確認ってとこだ」 「よかった。じゃけど、なんでまたこんなことになるんじゃ。キミん家が治めとった時は、数十年と噴火してなかろ?」 「おらが生まれてからは……一度も……ねえ」 「ふうむ」  ナンドンランドンは、不機嫌そうにあごを指で撫でる。するとパチャラが、隣に立つ村人の襟をぐいと引いた。 「それよりっ! こいつから聞いたんだ! 火山に遊びに行った子供たちがいるらしい!」 「なにっ」  ナンドンランドンは腰をかがめ、村人に目を合わせる。 「本当か」 「は、はい。トルクンの家の子が二人、マーシャヌの家の子が一人、サバンの家の子が一人、合わせて四人の子供が二時間前、火山に入ったらしいです」 「二時間前……昼飯を食ってすぐか」 「まだ、戻ってきてないそうで……」 「わかった」  ナンドンランドンに躊躇ちゅうちょはなかった。下唇を噛み、目の前にそびえる火山を見上げた。標高300メートルほど。小ぶりな山だが、この山が一度怒れば、何者もの命を鹵獲ろかくする。 「華茂、零式ぜろしき、ライラは一緒に来てくれ。歩いて子供を探そう。パチャラは村の状況確認を継続せい」  断る道理はない。華茂たち三人で、同時にうなずく。パチャラもすぐに、村人を連れて引き返していった。  ――――さて。  華茂たちはまず、石段を上る。この山にはいくつかの民家が、石段の左右に建っている。どの家もシーンと静まりかえっている。入口の扉はどれも開いたまま。中には荷物や靴がぶちまけられているところもある。きっと慌てて避難したのだろう。  それから石段をどれほど上っただろうか。足がばかになりそうなところで、石の道は途切れた。ここからは、樹林地帯へと入っていく。ひとたび影に潜ればさっきまでの暑さはなりを潜め、ヒンヤリとした空気の中、カラフルな鳥たちがとぼけた声で鳴いていた。  幸いだったのは、山道もある程度はひらけていたところだ。ナンドンランドンによると、かつてこの山を管理していたパチャラが火口を確認するために設けた道だという。  やがて樹林地帯も過ぎ、背の低い植物だけが生える場所へと出る。傾斜はさっきよりもかなりきつい。しかし緑に覆われた大地はまるで、大陸の草原のようだった。  そして、頂上。  山の頭が、ずっぽりとえぐれている。それもじつに広大な面積だ。アルエの住む町で見た自動車という乗り物。もしあれが火口を走っていたとしたら、ここからは肉団子くらいの大きさにしか見えないだろう。  振り返る。  湿気交じりの風が強い。  再び火口を確認してみるが、ど真ん中に広がる湖にも、その周囲に生えるヤマボクチの間にも、子供たちの姿を見つけることはできなかった。そして、ここに来るまでの捜索においても子供たちはいなかった。かすかな声も聞かなかった。もしかして、樹林地帯のどこかに隠れていたのだろうか。だとしたら、今はお手上げだ。 「とりあえず、下りてみよう」  ナンドンランドン自身も、視界に子供たちがいないことには気づいているだろう。しかし華茂たちは彼女の指示に従い、かかとに重心を置いて火口への坂を下った。  湖に近づくにつれ、その水が緑色に染まっていると気づく。しかもおびただしい量の湯気。そうか、あの湖に広がる液体は……水じゃない。あれは火山ガスの影響を受けた、湯だまりだ。  ナンドンランドンは湖まであと十数メートルというところで足を止め、首を上げた。  そして次に発されたのは。  衝撃的な、言葉で。 「どうしようもないのう。フローレスに、相談するか」  華茂の拳が、少し熱くなる。  ライラのまなこが開かれたような気がしたが、華茂は間髪を入れずに訊いた。 「フローレスって、もしかして、リリーさんのことなの」 「ん」  ナンドンランドンが、おや、というふうに振り向く。 「知っとるんか?」 「うん。でも、リリーさんはもう……いないはずだよ」  言って、心の中がいびつにきしむ。  華茂は弥助やすけや村人を、そして燕とイアを助けるつもりだった。  しかし華茂はこの手で……、リリーを討伐してしまった。  誰かの命を護るため、リリーの命を奪ってしまった。  それは、いつも忘れられない……いや、忘れてなどならない十字架。  だけどそれでも、自分はなにかを成す必要がある。自分が選んだ道を粛々と歩き続ける義務が、華茂にはあるのだ。  だから、ちゃんと言おうとした。 「私が、リリーさんを……」 「どういうことじゃ」  はっ、とする。  ナンドンランドンの瞳に、炎が宿っている。さっきまでの友好性はもうない。明らかに敵を睨むような、その目――。 「私がリリーさんを、この拳で撃ち抜いたんだよ……!!」 「だから、どういうことじゃっちゅうとる」 「え」  なにを説明すればいいんだ。  どこからをどうやって、彼女に告げればよいのだろうか。  逡巡しゅんじゅんする華茂の膝を、ナンドンランドンが軽く蹴った。 「どういうことじゃ。もう一度言え」  足がすくむ。  気が、遠くなる。 (華茂!) (ナンドンさん、聞いてください……!)  燕とライラがなにかを言っているらしいが、どこか薄膜うすまくを一枚隔てたように聞こえる。  目の前の座標が左右にずれ、無数の白点はくてんが踊り出した。  そしてその震えはどんどんどんどん大きくなり――――、  ゴゴゴゴゴガガア!!!! ガガッガガガアゴゴゴゴガガ!!!!!! 「いけない! これは!」  一番に叫んだのは、燕だった。  そして全員がおそらく、同時に理解する。  火山が間もなく噴火をするであろうことを。  なのに自分たちは噴火のすぐ手前に立っているということを。  ナンドンランドンの唇がひくつく。  華茂はその唇の奥に、本来ならありえないものを見てしまった。  火口にとりついている、黒い靄。  あれは――、  けがれ、だ。

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