Anfang Sage
2章13話 ふたつの歌

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〈ご主人様、起きろ!〉 「ふあ?ドロップどうしたの〜?」  水都ドリュープ・サルの中心、天傘の館の一室でアマネル・レインメロディアは使い魔のビンタで目を覚ました。 〈どうもこうも、敵襲だ!〉 「へ?敵襲?」  その言葉にアマネルはベッドから飛び起きる。 〈だから言ってるじゃないか。まあ、結界が破られる可能性は低いけど〉 「そういう問題じゃないよ!とりあえず街の人達をここに避難させないと!」  慌てて動き出したアマネルを涼しい声が制した。 「大丈夫よ。お姉さんがきちんとやっておいたから」 「え、ニミュエ?」 「あら、昨日から泊まりに来てたの忘れたの?じゃあ昨日の夜のこと、もう忘れちゃったのかしら?」  ニミュエと呼ばれた人物はアマネルに近付くと、耳元でそう囁く。 「よ、夜?な、何かあったかな?」 「うふふ。忘れているならそれでもいいわ」  ニミュエはそう言うと長いウエーブの髪をかき上げた。ふわっと甘い香りが舞う。 「さて、冗談はこのくらいにして。困ったことに、シュリ様がこっちに向かってるらしいのよ。このままだと敵と鉢合わせるわね」 彼女は困った、と口にしているがその瞳にはどちらかというと面白そう、という感情が浮かんでいる。 「アマネル、ここの護りは任せるわよ。お姉さんはこの色香と強力な呪文で敵を虜にしてきちゃうから」 「わかった。じゃあお願いね」 「うふふ。任せて。上手くいったらご褒美にキスを貰うわよ?」  ニミュエはそう言い残すと髪をなびかせ、甘い香りを残してその場から姿を消した。 〈なあ、大丈夫なのか?あのセクシー姉さん〉  心配そうに呟くドロップに、 「大丈夫。性格はちょっとあれなところがあるけど、ニミュエは【湖の貴婦人】の二つ名を持つ魔女だからね。実力は本物だよ」  アマネルは微笑んでみせる。 「はあ、しかしニミュエって何であんなにセクシーなのかなあ。スタイルいいのもあるけどこう、雰囲気というか……それに引き換え……ぺったんこだし……童顔だし……」 〈ま、まあご主人様もいずれは……というかスタイルよくする呪文とかもあるだろ、きっと〉  ドロップは落ち込んでしまった主人の頭を撫でる。 「いいもん、別に女の魅力はスタイルだけじゃない!よし、このもやもやをパワーに変えて敵を叩きのめすよ!」 〈おう!〉 ──  一方その頃。 水都ドリュープ・サルへ向かう鉱石船は、海上で急停止した。 「何があったの?」  シュリ達は船室から出て、近くにいた乗客に声をかける。 「襲撃みたいです。ですが何が何だか──」 「乗客の皆さん、ボクの声を聞いて下さい!早く耳を塞いで……じゃないと海に引きずり込まれます!」  乗客との会話は、ひとりの青年によって中断された。大振りで宝石がつけられたじゃらじゃらしたイヤリングをつけ、極端に露出が少ない白い服を身に纏っている。薄い水色の長い髪に、深い青色の瞳。儚げで中性的。華奢な印象を与える人物だった。 「ちょっと待て。耳を塞ぐって一体……」 「説明は後でします。お願いです……ボクのこの血が役に立つのは……今しかない」  シュリ達が戸惑いながらも、そして乗客達が青年の気迫におされて耳を塞ぎ終わった時だ。  どこからともなく、美しい歌声が聞こえた。 〈…Emoc Htiw Em?…Ew An Aes Om Hctiw……I Evol Reverof……Thgil Om Un Hcael Aes Om Mottob……Ruoy Om Ydob LLef Otni Niur……〉  セイレーン。古い伝承で船を難破させ、乗客を海に引きずり込む。美しい歌声で歌う闇の眷属。 〈I Epoh Aes Og Hguor……Retne Ecifircas Ow Tae Gnaf!〉  そしてその歌は、嵐を喚ぶという。セイレーンの歌に呼応するように、海が泡立ち、波が荒れ狂い始めた。甲板に出ていた乗客達は急いで部屋に戻っていく。  「……貴方達も船室に戻ってください!」  その様子を見て、先程の青年が再びシュリ達に声をかける。 「それはできないよ。……あいつらの狙いは私たちだもの」 「え?」  シュリはそう言うと腰の剣を抜き、構えた。 「けど、どうするのよ?あの歌があると厄介ね」 「だよな。海に引きずり込まれるんだろ?この人の話によると」  シュネルはそう言って青年を見る。 「……そうです。申し遅れました。ボクはアマディス。理由があってセイレーンには詳しいんですけど……」  アマディスはどこか躊躇いながらそう口にする。 「アマディス!こんなところにいたの?」 「あ、セレス……」  アマディスの後ろから澄んだ空色の髪を持つ女性が現れた。年は彼と同じくらいだろう。 「あ、じゃないわよ。早く避難しないと……アマディスはあまり丈夫じゃないんだから」 「……あ、うん……だけど……」 (ボクなら、この状況を打破できるんだ。だけどそうしたらセレスはきっと──)  アマディスは悲しそうに睫毛を伏せる。 「どうしたの?顔色が……」 「ねえ、セレス。君はボクが──」  アマディスはその問いを最後まで続けることは出来なかった。 「っ!」  セイレーンが放った水の刃が、彼の肩を裂いたからだ。そしてそれ以上に、そのことが彼が隠し続けてきた秘密を明らかにしたからだった。服の下から現れた彼の皮膚は、美しい青色の鱗に覆われていた。 「……うそ……何なの?この鱗……アマディス……貴方は……」  その様子にセレスは息を呑む。それは普通の精霊には決してないものだったから。 「……ごめんね。気持ち悪いでしょ?そうだよ……ボクも……セイレーンだから。正確には半分だけど」  アマディスはそう言うとセレスの手を振り払い、真っ直ぐセイレーンの前へと歩いていく。 〈お前は……セイレーンの王子か。話に聞いたことはあるぞ。チェンジリングで連れ去られて来た人間とセイレーンの女王が恋に落ち、生まれた子ども〉 「貴方は……マリス。聞いたことがあります。セイレーンとしてもっとも美しい歌声を持つ者。しかし闇に堕ちたと」 「アマディスさんがセイレーンの王子?」  驚いたように言うシュリに、彼は微笑む。 「貴方がシュリ様なんですね。……ボクがセイレーンの歌で海を鎮めます。だから貴方達は、彼女を」  アマディスはそう言うと息を深く吸って歌いだす。 〈I Epoh Aes Om Evol Og Ew Ow Parw……Os I Teg Ow Evol Rehtaf Ot Rehtom……Siht Gnos Rof Aes Ot SeLes……〉  荒れ狂っていた海の波が少しずつ治まりはじめた。吹き付けていた風も勢いを弱めていく。 「……セイレーンは船を難破させる悪い存在と教わってきたわ……だけどそうじゃないのね……」 〈I Yas Dloc Thgin Oh Nwad……I Gnis a Teews Oh Gnos Ow Dlrow……I Epoh Ruoy Om Eliams〉  セレスの目から涙が落ちる。 「少なくともアマディスは……だってこんなにも……優しい歌が歌えるのだから」 〈く!邪魔をするな!〉  セイレーンが苦し紛れに放った水の刃は、木の盾によって弾かれた。 〈おにいちゃんはぼくがまもるから!〉  樹木を操る精霊常葉。彼の森の護り、という技だ。 「アルヒェ、プロミネやっちゃいなさい!」  クルクの声にプロミネがセイレーンに飛びかかり、アルヒェがスペルを発動した。 「これで終わりです!還りなさい……セイクリッド・パージ!」 「乱れ散る花びらのような剣戟の舞!フィオーレ・ロラージュっ!」 〈ぎゃああっ!〉  光の剣と弱点である緑属性を纏った剣戟に切り裂かれ、セイレーン、マリスは塵となって消えた。 「……よかった……」  それを見届けたアマディスは、安心したようにその場に崩れ落ちる。 その体を、恋人であるセレスがそっと支えた。 「……アマディス。貴方が何者でも私は貴方が好きよ。護ってくれてありがとう……」 「あらあら。お姉さんが来るまでもなかったわね」 「誰?」 「そうね。初めてだものね。お姉さんの名前はニミュエ。アマネルとは知り合いよ」  ニミュエと名乗った女性はそのままアマディスの前に歩いていき、そこで足を止める。 「この子、大分無理しちゃったのね。セレスちゃんだったわよね、これを彼に渡してあげて」 「あ、はい……」  セレスが受け取ったのはアクアマリンのペンダントだった。澄んだ明るい水色はまるで彼女や彼の髪の色のようだ。 「セイレーンは本来水から長くは離れられない種族なの。アマディスちゃんは人間の血が入っているから普通のセイレーンよりは平気だったみたいだけど」 「そうなんですね……」 「それは水のマナを大量に必要とするからよ。このアクアマリンは大気中の水のマナを集めてくれるから、砂漠に行かない限りは大丈夫」  ニミュエはそう言って、優しく微笑む。 「あの、本当に貰ってもいいんですか?高そう……なので」 「気にしないで。それよりもいいもの見せてもらっちゃったもの。人と精霊はわかり合える。半精霊というのは蔑まれる存在じゃなくて世界が繋がっている証なのよ。だから、そうね、もしただで貰うのは悪いと思うのならいずれ貴方とアマディスの間に生まれてくる子を全力で愛してあげて」 「はい。約束します」  セレスは力強くそう言って、微笑んだ。 ── 「あら、襲撃がおさまったみたい。さすがニミュエ」 〈確かにご主人様の言う通り、実力は本物みたいだな〉  その頃ドリュープ・サルへの襲撃もおさまり、アマネルはほっと息をついた。 「よーし、じゃあ今夜はパーティーよ。シュリ様たちもここに来るんでしょ?さあ準備準備!」 〈おー!〉  アマネルは住民への避難指示を解除すると共に、パーティーが開かれることを告げた。 そして慌ただしく、その準備を始めたのだった。

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