Anfang Sage
14話  断罪の刃

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 夢を見ていた。かつて親友とふたりであてのない旅をしていた頃の夢。  今から10年前のある事件で住み慣れた里は壊滅した。いつものように訪れた朝は、いつものような日常全てを惨劇の色に塗りつぶした。香ばしいパンの匂いはむせかえるような血の匂いに、小鳥のさえずりは人々の断末魔に──  それから彼はずっと独りで行くあてもない旅を続けて来た。  後に親友となる彼に、シェイルに会うまでは。 (シェイルと出会ったのは南方諸島の綺麗な浜辺だったかな)  星が綺麗な夜だった。その日は流星雨が見られるというので、宿から浜辺まで少し足を伸ばし、マットの上に寝転がってずっと空を眺めていた。流星は夜が更けるにつれてその数を増し、最後には雨のように降り注いだ。 「うわあ……綺麗だ!」 「全くだね。今夜の流星雨は本当に素晴らしいよ。」 ふと響いた声に驚いて起き上がると、そこにはひとりの青年が、シェイルが立っていた。 「隣、いいかい?」「あ、どうぞ」  それから夜が明けるまで俺とシェイルは他愛無いことを星の雨の下でずっと喋っていた。思えばあの流星雨の夜が俺やシェイルにとっては一番幸せな時間だったのかもしれない。  彼はもう、いない。1年前に俺を狙った「断罪の牙」の襲撃から俺を庇って命を落とした。もうすぐ世界が春を迎えるという頃の惨劇。今でも頭をよぎるのだ。あの時の苦しそうな彼の声と、真っ白な雪によく映えた真っ赤な、 「……夢……か」  マトリは体を起こすと冷気に身を震わせた。カルストラ台地を抜けた先にある旅人用の小さなロッジ。そこが昨晩の彼の宿泊場所だった。設備は簡素なもので、火を起こして料理が作れるスペースと小さなテーブル、そしてひとり用のベッドが1つ。近隣に小さな村があるらしく、掃除も洗濯も行き届いていた。 「……」  彼は起き上がるとやかんを火にかけ、お湯を沸かす。一見すると我々の世界のガスコンロ等と変わらないが、この世界の場合、動力はマナであり、燃料は石だ。自然界にマナはごく普通に存在するが、それを集めるための媒体となるのがマナと親和性のある天然石。例えば炎のマナの場合はジャーマ火山島で産出した石か赤い色の天然石を媒体として用いる。適した天然石はマナごとに異なり、水のマナの場合は水晶等が用いられる。  ペパーミントティーを眠気覚ましに1口飲んで、保存食のパンを口にする。 「……大丈夫だよシェイル。必ずあいつは見つけ出す。君の無念は……俺が晴らすから」 彼はそう言って拳を握りしめ、朝食を済ませて足早にラーファガ山脈へ向かった。 ──  その少し後。新聞でサヴィドゥリーアが封鎖されていることを知ったリヒト達もカルストラ台地のロッジを訪れていた。 「ふう。ちょっと休憩!」 「それじゃあお昼にしましょうか。シャレンさんの家でキッシュ作っておいたんです」 「おお!美味そう!」  テーブルに置かれたキッシュを見て、シュネルは思わず目を輝かせた。 「シュネルってば子どもね。確かに凄く美味しそうではあるけど」  アルヒェは手早くキッシュを切り分けてお皿に盛る。 「さあ、どうぞ。そんなに美味しくはないかもしれないですけど」 「いただきまーす!」  シュリやシュネルは元気よくあいさつを済ませると勢いよくかじりつく。 「おいしい!」「美味いなー。思ってた通りだ!」  そして一口食べるとすぐに満面の笑みを浮かべた。 「……確かに美味しい」「そうね。美味しいわ」  リヒトとクルクは大げさなリアクションこそしなかったが、味にはとても満足したようだ。 「良かった。実は、ホウリ様から教えてもらったんです。ホウリ様のキッシュは本当に美味しいんですよ。この数倍くらいは」  アルヒェはそう言って微笑む。 「何だかアルヒェの笑顔、久しぶりに見た気がするね」  悪気のないシュリの言葉に、 「確かにそうかもしれないです。色々大変だったし、あたしにはとても笑う余裕なんてなかったから」  アルヒェは再び柔らかな笑みを浮かべた。 「無理もないよ……友人を失って、信じていた大陽聖堂にも裏切られたんだ……僕ならとても耐えられない」  寂しげに睫毛を伏せたリヒトに、アルヒェは笑って答える。 「あたしは大丈夫です。それに、確かめなきゃいけない。アスセナ様が何故こんなことをしたのか……その理由を聞きたいんです」 「俺たちは、そのためにイグレシアに戻るって決めたんだよな」 「……みんなを危険に晒してしまうことになるのは辛いんですけどね。だけどこれだけは譲れないの!じゃないとあたしはずっと後悔してしまうから」  瞳に強い光を宿した彼女に異論を唱えることの出来る者はいなかった。 「気にしなくてもいいわ。あたしも焚書の件の真意を問いただしてやりたいし。何より他の大陸に行くにもイグレシア経由が一番いいわよ」 「行こう。ラーファガ山脈を越えてイグレシアへ」 ──  一方その頃、ラーファガ山脈の山頂で青い髪の青年と黒髪の少女が対峙していた。青年は聖剣を構え、少女は投げナイフを構えたままで互いに仕掛ける様子はない。 「見つけたわ。貴方がマトリね。シェイルさまを殺した男!」 「何だって!?」  剣を構えたままでマトリは驚いたような表情を浮かべる。 「俺は確かにマトリだ!けどな、親友であるシェイルを殺してなんかいない!シェイルは『断罪の牙』に殺されたんだ!」 「嘘よ!嘘吐きっ!」  少女はそう叫んで投げナイフをマトリめがけて放つ。しかし動揺のせいかナイフは的を大きく外れて地に落ちた。 「俺は聖剣デュランダルに誓って嘘はつかない!騙されているのはきっと君の方だ!話を聞いてくれ!」 「シェイルさまは『緋月』の異名を持つほどのお方よ!仲間に……『断罪の牙』に殺されるはずなんて……!?」  その刹那少女の頭上から巨大な落石が落ちて来た。 「きゃあああああ!?」 「っ!」  激しい音を立てて、落石は粉々に碎け散った。 「……う……」 「よかった。無事?」 「!?」  少女は自分がマトリに抱きかかえられていることに気付き、慌ててその腕を振りほどこうとする。しかし思ったよりも強い力で、少女の力では振りほどくことができない。その上ナイフも全て失って彼女は丸腰だった。 「こうでもしないとまともに話ができなそうだったからね。君の名前は?」  勝ち誇ったような笑顔まで向けられて、少女は観念したように口を開いた。 「……ミストよ。『断罪の牙』の『迷霧』」 「ミスト?じゃあ君がシェイルの言っていた女の子なんだね」  マトリはそう言うと色褪せた手紙を取り出し、ミストに手渡す。 「シェイルから預かっていた手紙だよ。もし自分に何かがあったらミストという女の子に渡して欲しいって」 「……シェイルさまが……」 ── ミストへ。 君がこの手紙を読んでいるということは僕はもうこの世界にいないらしい。 君が僕を好きだったことは知っていた。 僕が『月の子ども』であることを知っても君は気味悪がることもなく接してくれて嬉しかったよ。 僕が不安に思っているのはその君の純粋な恋心を『毒花』が利用しないかということなんだ。 恐らく彼女は僕を殺した後に君にこう吹き込むだろう。「シェイルを殺したのはマトリだ」とね。 そして君は恐らく彼を殺そうとするだろう。だけどそれだけは僕が許さない。 マトリは僕のただひとりの親友だ。優しくて温かくて身も心も綺麗で透明なマナを持った存在。 元々僕は彼の暗殺のために派遣されたというのに、結局はすっかり惚れてしまった。 僕は馬鹿だろう?けど、君にもいつかわかるよ。 人は本当に大切なもののためならば命をかけられること。それは月のこどもでも同じだということをね。 ミスト、僕の最期の願いを聞いてくれるなら、『毒花』からマトリを守ってあげてくれ…… 「……これが真実なのね」  ミストは手紙を読み上げると、嗚咽を漏らしながら呟く。 「……っ……私は……ずっと騙されていたのね。よりにもよって……シェイルさまを……っ……ころ……た……張本人にっ!」 「……ミスト……」 「……ありがとうマトリ。貴方のおかげで落石を避けられたわ。そして……」  ミストの手のひらから黒い霧が溢れ出し、周囲を包んで行く。 「どうやらシェイルさまの最期の願い、叶えることになりそうだから……」  その刹那、かすり傷だらけになった男女数人がその場へと駆け込んで来た。 ── 「大丈夫か?君たちは一体?」 「僕たちは……追われているんです。大陽聖堂の追っ手が……」 「大丈夫よ。ここは私の『迷霧』の中。まずは傷を癒しなさい」  ミストに促され、アルヒェがひとりずつにヒールを唱える。温かい光に包まれて全員の傷が癒えた。 「助かったよー!ありがとう。ええと……」 「俺はマトリ。放浪の剣士だよ。こっちはミスト」 「マトリさんにミストちゃんだね。あたしはシュリだよ。よろしくね」 「シュリ!僕たち指名手配中なんだから名乗ったら駄目……」 「指名手配!?」 「……あー……えっと……その……」  リヒトとシュリにクルクは盛大に溜め息をついた。 「……もういいわ。どのみちあたしたちは潔白なんだから。これは冤罪よ。事実無根のね」 「……なるほどね。じゃあなた達が『毒花』の今のターゲット……か」  ミストの呟きに、 「『毒花』を知ってんのか?じゃあこいつまさか断罪のー」  シュネルが慌てたように続ける。 「そうね。私は『迷霧』。『断罪の牙』のね。でも今はもう『元』よ」 「元……?」 「真の仇が『毒花』だってわかったから。私はマトリ側につくわ。そしてマトリはきっと貴方側につく。だから味方よ」 「そうだね。新聞で君たちのことは見たけど、とても重罪人には見えないし……俺は君達を信じよう」 「……あ、ありがとう……」  こうしてマトリとミストを仲間に加えたリヒト達は迷霧で身を隠しながらラーファガ山脈を越えようとしていた。  その時だった。  黒い風が吹き、黒い羽根をまき散らして黒髪に緋色を持つ瞳の青年が姿を現した。だが、様子がおかしい。服はあちこち裂けており、肩口からはとめどなく血が溢れ出して地面を染めて行く。 「兄さん……」 「……僕には弟はいないよ!どうして……フィンス、君は僕をそう呼ぶの!?」  フィンスは一瞬、酷く寂しげな表情を浮かべる。 「……はは。いない、か。元気ならその言葉がどれほど僕を傷つけたか思い知らせてあげたいんだけどね……今の僕はもう生きているのがやっとなくらいなんだ」 「え?」 「……手短に話すよ。大陽聖堂の長、アスセナは『断罪の牙』、特に『毒花』とつるんでる。兄さん……逃げて。じゃないと殺される……アルヒェ……を……あの女は……」 「フィンス!?」  フィンスが意識を失った瞬間、リヒトの背に投げナイフが突き刺さった。 「あ……ぐ……っ……」 「どうかしら?この『精霊喰らい』は。マナを糧とする月の子どもには致命傷でしょう?」 「ノナ!」  ノナはそう言うと苦しむリヒトと気を失ったフィンスを満足気に見下ろす。 「ええ。ノナ。これで『月の子ども』や人外種族の殲滅が楽になりそうです」  そして物影から姿を現したもうひとりの人物にアルヒェは息を呑んだ。  漆黒の髪に聖女の証である緋色の聖衣を纏ったその人物は、 「アスセナ……さま……」  冷たい笑みを浮かべたアスセナがノナの隣に立っていた。

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