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 孫権、張昭、魯粛。一同が注目する中、朱拠は語り始める。 「天下の中心は今は北にあります」  その言葉に一同の間にどよめきが走る。孫権のいる南は天下の中心ではない、と言ったようなものだからだ。だが、孫権は不快そうな顔をせず、続けろ、と促す。 「天下の中心、それは曹操孟徳。天子様を手中に治め、敵対する河北の雄、袁紹をも打ち破り、今や天下に号令せんとする天下人であります」  朱拠は言葉を続ける。次第に周りが聞き入っている雰囲気を感じながら、朱拠は言った。 「ですが、官渡の戦いで勝利し、袁紹も病没したとはいえ、袁紹の勢力は強力です。曹操といえど、完全に滅ぼすには後数年はかかるでしょう」 「袁紹の勢力が強力なら、袁紹の勢力が盛り返してくる可能性もあるのではないか?」  張昭が言葉を挟む。朱拠は動じることなく答えた。 「勿論、その可能性もあります。ですが、袁紹は後継者を宣言せずに没したと聞きます。袁紹の息子たちの間では袁紹の後継者争いが行われていることでしょう。特に長男の袁譚は末子の袁尚に対抗すべく愚かにも曹操に協力を打診したと聞きます。自ら袁家に付け入る隙を曹操に与えたと言えるでしょう。この後継者争いの果てに袁家の滅亡が待っているのは火を見るより明らかです」  周りが完全に聞き入っている雰囲気を感じながら、朱拠は続ける。 「袁家を滅ぼし、その勢力を曹操が完全に取り込めば、最早、曹操は誰にも文句の付けられない天下人になります。そうなると次に狙うのは南……この江東でしょう」  その言葉に周囲に緊迫した雰囲気が走る。曹操の南下、それはいずれ起きることと想定はしていたが、孫呉に仕える身としてはなるべく考えたくなかったことであるからだ。  曹操の勢力が南下する。とすればまずは劉表を目当てに外圧を掛けてくるであろう。それが済めば次に狙うは孫家に他ならない。張昭は難しそうな顔をする。一方で孫権、魯粛は朱拠に対して感心した、という風な視線を向ける。 「遠からず、曹操は南下してくることでしょう。ですが、恐れることはありません。孫呉の力を結集して当たれば曹操に対抗することもできます」 「曹操は強大だぞ? それに我ら孫家が対抗できる、と?」  孫権は真っ直ぐに朱拠を見て言う。朱拠はハッキリと返した。 「対抗できます。この江南には長江というものが走っております。曹操が完全に孫権殿の勢力を取り込むには長江を越えねばならない。ですが、それはできないでしょう」 「何故、そう言い切れる?」  張昭が問い掛けてくる。朱拠はよどむことなく返した。 「この孫呉には周瑜殿が率いる強豪水軍がいるからです。曹操軍の主だった面々は北で育った身、河の上での戦いなどまるで未経験でしょう。そんな曹操軍に、周瑜殿が率いる水軍が敗れることはあり得ません」  朱拠は前世で得た知識で物事を語った。そうだ。曹操軍は長江を越えることはついにできなかった。  それは曹操が没し、曹丕の代に移った後も変わらない事実だ。長江は孫呉を守る鉄壁の防御網である。魏が滅び司馬一族の普の時代になっても、孫呉を滅ぼすのは蜀漢方面からの侵攻であったくらいだ。長江は鉄壁の守りである。 「長江は孫呉を守護する鉄壁の守りとなります。その長江と長江を守る強豪水軍がある限り、孫呉は安泰と言っていいでしょう。曹操が侵攻を掛けてきても長江に拠って戦えば決して敗れることはありません」 「なるほど、よく分かった」  孫権はそう言い、朱拠の言葉を断ち切る。孫権も張昭も魯粛も、周泰ですらも朱拠に対して感心の視線を向けていた。最も朱拠からしてみれば前世で読んだ三国志の知識を語っただけなのだが。孫権は満足気に口を開く。 「朱家に生まれた神童。どうやら単なるほら話ではないようだな」  孫権の言葉に「恐れ多きながら」と朱拠は謙遜した姿勢を示して見せる。実際のところ10にも満たない子供がこれだけ天下のことを理解し、天下の事を語った事に対して、孫権も張昭も、魯粛も心底、感心していた。  噂は事実であったということを知ることになった。最も、朱拠からしてみれば前世の三国志で知った事実を語っただけなのだが。 「曹操が侵攻を掛けてきても、我々ならそれを撃退できる、ということだな、朱拠殿」  孫権がそう言って朱拠に問い掛ける。朱拠は「できます」と答えた。 「元よりこの江南の地と中原の地では風土も違います。おそらく曹操軍の中では疫病が蔓延することでしょう。そして、長江も周瑜殿率いる水軍に阻まれ越えられないとなれば、いずれ曹操は撤退を選ぶことでしょう。孫権殿の勢力を完全に脅かすには至りません」 「ふむ。そうか。それが朱家の神童の見立てか?」 「はい」  朱拠はよどむことなく答える。そに孫権は満足した様子だった。 「曹操の侵攻、それはいずれ起こることだと前々から考えておかねばならないと思っていたことだ。それに対し我々より先に明確な方針を打ち立てている者がいるとは……なるほど、朱桓殿、貴殿の従弟はたしかに優秀であるな」 「ありがたきお言葉です。孫権殿」  朱桓は拝礼して返す。朱拠も習って拝礼をして孫権に向けた。 「朱拠殿、まだ10にも満たない身であればわしに仕えることはできんが、貴公が歳を重ね、わしの配下となれる日を心待ちにしているぞ」 「なんと、ありがたきお言葉。身に余る思いです」  孫権は朗らかな表情を朱拠に向ける。そうした末にそうだ、と口を開く。 「朱拠殿。我が孫家に加わらんか? 孫姓を与えるぞ? 貴殿なら我が親類に迎えるのも異論はない。兄、孫策の代に我が孫家一門に加わった孫桓という者もおるが、その者より貴殿は優秀そうだ」 「あ、ありがたいお言葉でありますが……」  そう言われて朱拠は言葉に詰まった。自分が孫家の一員になる。それは史実には全く記されていないことだったからだ。朱桓も少しの困惑をしながら言葉を返す。 「孫権殿、朱拠は我が朱家の宝です。たとえ孫権殿の頼みといえどそれを受け入れるのは……」 「はっはっはっ、やはりそうか。何、単なる戯言だ。流してくれ」 「殿、お戯れでもそのようなこと申すものではありませんぞ」  朱桓の言葉に笑った孫権に対し、張昭が釘を刺す。張昭の言葉にムッと孫権は顔をしかめる。 「分かっておるよ、張昭。単なる戯れだ。そう目くじらを立てるな。冗談だ。全く頭の硬いヤツだのう」 「頭が硬くとも柔らかくとも言わなければならないことを口にしただけです」 「分かっておる。分かっておるとも」  張昭に対し、孫権はそう返し、次に再び朱拠と朱桓を見た。 「朱桓殿、貴公を盪寇校尉に命じる。500の兵を与えよう。早速で悪いが、呂範の下に加わり、山越の討伐任務に当たってもらいたい」 「はは! そのご命令、謹んでお受け致します!」  朱桓は孫権に拝礼する。いきなりで校尉というのはかなりの高待遇だった。軍団を率いるのは都尉でもできるがその都尉よりも校尉は遥かに格上の称号だ。軍団の司令官の下に付く、参軍でもない。孫呉勢力内において朱家を優遇すると宣言しているも等しいことであった。  そうして命令を受けた朱桓はすぐに参戦できるようにこの豫章に残ることになった。朱拠はまだ10に満たない子供である。その朱拠を朱家の屋敷まで送り届けるのに孫権はなんと周泰を護衛として付けた。自身の最も信頼する守り手である周泰を朱拠の護衛に付けるとあれば、孫権の朱拠に対する評価の高さも伺えると言うものだった。  屋敷まで送られる途中、周泰は終始、無言であった。無骨な武人。周泰という武将は史実に記された通りの人物であるようだった。そんな周泰に朱拠は声をかけた。 「孫権様は偉大な方ですね」  主を褒められては無言を貫き通す訳にはいかないのか、周泰は「何故、そう思う?」と朱拠に訪ねてくる。 「私が孫権様が曹操に対抗する未来を語った時、孫権様はそれをいずれ訪れることを覚悟した上での返答をしてきました。凡百の人間ならあの曹操が攻めて来ると言えば怯むものです。ですが、孫権様はそれをせず対抗策を私にお訊ねになった。あの曹操にも立ち向かう君主としての器の大きさの現れです」 「なるほど……貴殿も幼少の身ながら大したものだと俺は思う」  周泰はそう言って、朱拠を褒めた。 「いずれは共に孫権様に仕える身。この周幼平の名を覚えていておいてくれるとありがたい」 「勿論です。周泰殿」  そうして、稀代の武人に護衛されながら、朱拠は自宅に帰った。時は建安8年|(西暦203年)。赤壁の戦いの5年前の話であった。

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