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 ルカは背から飛び降りてヴィヴィの隣に立つ。  二人の方へ振り返った蜘蛛であったが、段々と動きが弱まっていく。そして、やがては八本の脚でもその巨体を支えれなくなり地に伏した。 「やった、みたいだな……」  わずかに痙攣するだけの敵を確認し、二人は武器を下ろす。 「町の人たちの仇は取れて良かった。それにこんなのを野放しにしているとヤノシュさんの集落も危なかっただろうし」 「……いや」  ひと息つくルカに、重々しい雰囲気でヴィヴィが言う。 「森の中にあった獣の死体はこいつの仕業だろう。蜘蛛は獲物の体内を溶かしてそれを飲む。しかし、町をこんな風にしたわけじゃない。一回の食事に時間が掛かるから、ほとんどの人は逃げれるはずだ」 「それじゃあ、やっぱり犯人は別にいるってことか……」  彼女の推理は論理的で説得力がある。  しかし、それは他にも未知の怪物が潜んでいるということにも繋がる。 「……とりあえず、蜘蛛にトドメを刺そう。脳まで寄生された生物はきのこを切られると動かなくなるけど、完全に死ぬわけじゃないからな」 「ああ、そっちは頼むよ。ボクは弓を拾ってくる。一応、体液に気をつけてくれ」  そう言い残してヴィヴィは蜘蛛の向こう側に落ちている弓を拾いに行った。後ろ姿を見る限りでは、まだ左手は麻痺しているようである。  噛まれたルカが平気で、体液が掛かっただけのヴィヴィに効果があるなんて妙な話だ。おそらく彼女ならその辺りの目星もついているかもしれない。  あとでそれとなく訊いてみるか、などと考えながら、蜘蛛の脳天に斧の刃を振り下ろす。バキッと音が響く。刃を引っこ抜くと緑色の液体はポタポタと垂れ落ちるだけで、飛び散ることはなかった。 「さて」  次は置いてきたリュックを回収しなければならない。あの蜘蛛の群れはいなくなっているだろうか。  ハルバードの先端である穂を外そうと手を掛ける。すると、 「キュイイイイイイイイイ!」  耳をつんざくほどの甲高い音が空から降ってきた。同時に大きな影が地面を走る。  顔を上げると見覚えのある大きな鳥が翼を広げて横切った。その背から何かが飛び降りる。 「――お、お前は!」  高度から落下したというのに難なく着地したのは人であった。いや、人であるかどうかは怪しい。右肩から生える緑色の触手を腕に纏わりつかせているからだ。 「ブルゴー!」  突如現れた人物、ブルゴーに武器を向ける。俯いていた男はゆっくりと顔を上げ、名を呼んだルカを見た。 「はて? どちら様でしょうか? 劣等種に知り合いなんていませんよ?」 「なに……?」  呆けた顔を向けるブルコーに、ルカは目を見張る。  からかうために言っているような感じではない。本当にルカが誰なのかわかっていない様子である。  しかし、その姿や他人を劣等種と呼ぶ物言いといい、ケレットの町を襲ったブルゴー本人であることは間違いない。 「この町は『ドゥドゥ」が食べ散らかした後だと思っていたのですが……、生き残りがいたのですね。劣等種のしぶとさは尊敬に値します」 「ドゥドゥ……」  聞き慣れない単語にルカの眉がピクッと動いた。  しかし、それが何かはわからない。それよりも、あれほど狂乱していた男がおとなしく順序立てた言葉を話していることに、少年はひどく驚いた。 「喜びなさい。私があなたを優等なる存在に――」 「どうした! 無事か!」  その時、死んだ蜘蛛の陰から相棒の身を案じたヴィヴィが飛び出してきた。それにルカは声を出さずに前を見ろと顎で示す。 「あいつは――!」  その方向に目を遣ると、憎き男の姿があった。ヴィヴィはすぐに弓を小脇に抱いて矢を抜き取ると、不自由な左手に弓を乗せて弦に矢筈を掛けた。  ブルゴーの方は、信じられないものを見たかのような表情をしており、口をパクパクと開閉させている。 「お、おま、おまえ、おまえは」  ヴィヴィの方を指差して継ぎ接ぎをしたかのような言葉が並べられる。その指はわなわなと震えていた。 「……があ! がはっ! ああっ!」  ついには苦しげに両手で頭を抱え呻き始めた。二人は武器を構えて警戒する。  そして、ピタリとその声が止んだ。  一瞬、相対する間に静寂が流れたが、 「がああああああああああああ! ぶっ殺してやるうううううう!」  空気をビリビリと震わせるほどの叫び声を上げたブルゴーが二人に突っ込んでくる。すかさずヴィヴィは矢を放ち、男の胸を射抜いた。  だが、痛みに怯むことなく触手を纏わせた腕で二人を襲う。それぞれがその攻撃を跳び退いてかわした――、かと思われたが、ブルゴーは足を踏みしめて軌道を変え、ヴィヴィの体を殴りつけた。ヴィヴィは細腕を交差させてそれを受けたが、衝撃により後方に飛ばされて家屋の壁に叩きつけられてしまう。 「ヴィヴィ! ――この野郎!」  地に伏した彼女に追い討ちを掛けようとするブルゴーに、ルカは後ろからハルバードを力強く振るった。だが、右肩から左わき腹に抜けるはずの刃は、男に纏わりついている触手によって弾かれる。 「なっ――!」  まるで岩を叩いたような手ごたえに、手に痺れが走った。同時に両手が上がり無防備になってしまう。そこを、振り返ったブルゴーが左腕を伸ばしてルカの首を掴んだ。 「ぐがっ!」  体を持ち上げられて苦しさにもがくも、抜け出すことはできそうにない。  必死の抵抗を示す少年に、男は悲痛な表情を向ける。 「ああ、嘆かわしい。劣等種よ、今すぐ私が救ってあげましょう。まずはお顔をお見せなさい」  ブルゴーの背中から伸びた触手が、ルカが被っている防護マスクを割れ物でも扱うかのようにゆっくりと脱がせた。苦しさに歪む顔が外気に触れる。 「苦しいのですね。ええ、ええ、わかりますとも。私があなたを縛るものから解放して差し上げましょう。こんなものが無くとも、あなたには素晴らしい未来が待っている」  語りかけるようにそう言うと、触手でバキッと防護マスクを破壊した。  そうして幾本もの触手がルカに向けられる。 「さあ、昇華しなさい。コンターギオへと」  ブルゴーは目を閉じて空を仰ぐ。これから行われることが神聖な儀式かのように。  ルカは足をバタつかせてブルゴーの体を何度も蹴ったが、男は気にする様子もなく喜びに打ち震えていた。手にしたハルバードを振りかぶる余裕もない。  そして、触手がルカの体を突き刺そうと動く直前、ブルゴーの背中に一本の矢が突き立った。恍惚としていた顔から表情が消え、ゆっくりと首だけで後ろを見遣る。  そこには弓を持つヴィヴィの姿があった。口の端から赤い血をにじませ肩で息をしている。  真っ直ぐに睨んでくる彼女を睨み返すわけでもなく、ただ視界に捉えながらブルゴーは少年を押し投げた。 「ぐっ――! ごほっ! ごほっ!」  背中から地面に落下し、息ができない苦しみから解放されたルカは大きく咳き込んだ。防護マスクが無くなり、空気中の胞子が肺に入ってきているはずだ。  しかし、今はそれを気にしている場合ではない。ふらつく体を支えるためにハルバードを杖代わりにして立ち上がった。  男の方へ視線を移す。ルカを投げ飛ばした姿のまま固まっていたが、触手だけはうねうねと動いている。そのうちの二本がブルゴーの胸と背中に刺さっている矢を引き抜き、握り潰すように真っ二つにへし折った。 「ああ……! ああ……!」  また頭を抱えて呻き始めた。おそらくヴィヴィを認識することによるものだと思われる。 「殺す! 殺してやる! ドゥドゥから分けてもらった力で俺様はさらに強くなったんだ!」  もがき苦しみながらブルゴーが叫んだ。  先ほどまでの何かに取り憑かれたかのような口振りではなく、初めて遭遇した時のように傲慢な言葉遣いへと戻っていた。

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