日が天頂に差しかかろうとした頃、二人は森に作られた一本の道を歩いていた。 空が薄明るくなるとすぐに出発し、小屋があった荒野地帯から緑豊かな森林地帯までずっと歩き通している。 ヴィヴィが防護服を着込んだルカの背中に向かって、 「なあ、町はまだかい?」 「まだかかる」 「〝まだ〟が長いなあ。おなかがすいて倒れそうだ」 服の上から引き締まった腹をさすりながら文句を言う。だが、それ以上ルカから反応はなかった。 それもそのはず、既にこのやり取りを十回は繰り返されていた。 最初こそ振り返って返事をしていたが、もうその労力も使わなくなっている。 「あそこに生えている腰掛けれそうなきのこは食べれないのかい。食べごたえがありそうだ。ピンクの蛍光色をしているのが少し難点だけど」 「…………」 答える代わりに沈黙を返す。正確に述べると、このやり取りもひたすら繰り返されており、ルカに答える気もなかった。ちなみにピンクの蛍光色をしたきのこは食べない方が無難だろう。 それからも十五回と同じやり取りを行った。 そして次の通算にして二十六回目でついにルカの堪忍袋の緒が切れる。 「何十回言えばわかるんだよ! そんなに腹が減っているならお前一人でピンクだろうが青だろうが好きなきのこを食ってろよ!」 しばらくぶりに振り返るとそのままヴィヴィに怒声を浴びせた。かつてないほどの大声を出したため、ルカは肩で息をしている。 そんな少年に、担いだ弓を背負いなおしてから至って冷静に言葉を返す。 「生で食べるのは好きじゃないんだ」 「…………」 無駄な体力を使ってしまった、とルカはうなだれた。早い話が、〝焼け〟と言っているのだろう。だが、毒のないきのこを探して火を起こし調理して食す、なんてことをしていたら町に着くのが遅くなる。獣を狩るなんてすれば尚更だ。 しかし、かなり町に近づいたとはいえ、まだまだ歩かねばならない。このやり取りがこの後も延々と繰り返されるとなると、ルカの気が狂ってしまうだろう。 深く息を吐く。そして、根負けした可哀相な少年は、腰に携えたサイドポーチを開いて手を入れる。 手袋越しに摘まんで取り出したのは干からびたきのこであった。それをヴィヴィに投げ渡す。 「それでも食ってろ」 「なんだいこれは? 部屋の隅で長年放置されたようなきのこだね」 「それで合っているよ。たまに外に出して日にも当てていたけど」 「ふーん」 気のない返事をしながら、彼女は細く長い指できのこをくるくると弄んでいる。 食べないつもりか……。と、ルカの感情がまた沸騰しそうになるも、彼女が回すのを止めて先端をかじったので杞憂となる。 疑ったような顔でしばし咀嚼していたヴィヴィだが、きのこの味が染み出した瞬間に切れ長な目を見開いた。 「美味しいな! 少し苦いけどその向こうにたくさんの旨みが広がっている。こんなものを隠していただなんて、キミは意地悪だなあ」 「それがいくらすると思っているんだ。一本で小さな家が建つんだぞ。おいそれと出すか」 「へえー、こんなきのこがねえ」 そう言いながらもヴィヴィは次の一口を噛み千切る。 「でも硬いね。顎が疲れる」 「それで良いんだよ。少しずつかじって静かにしてろ」 滅多に生えていないきのこを採取し、気を配りながら管理して作ったそれは、ルカの生活を支える大事な商品であった。 世界に貨幣は存在しているが、もしもの時に何の足しにもならないものをルカは集める気にならなかった。なので、食料以外の生活必需品は今目指している町まで出向き、自身が作った保存食などと物々交換をして暮らしていたのである。その習慣のおかげで、ヴィヴィを黙らせるというもしもの時を乗り越えることができた。かといって、家を吹き飛ばされ無事だった数本のうちの一本を犠牲したのは痛い。 もぐもぐと口を動かすヴィヴィを見て、これで大人しくなるだろう、とルカは安心すると道の先にある町へ足を向けた。 結局、途中でもう一本要求されて渋々差し出すことになる。 しかし、色々と頭痛の種は尽きなかったが、町を囲う背の高い柵までたどり着くことができた。町の中から楽しそうな子供たちの声が聞こえ、ルカに到着したという実感が湧く。 ヴィヴィはというと、 「やっと着いた。早く何か食べさせてくれ」 相変わらずな調子であった。特に相手することなく、ルカは門へ向かう。 人が両手で押し開かなければならないほどの大きな門の前に、身の丈と同じ長さの槍を持った人物が立っていた。防護マスクで顔は見えないが、体格が良いので男性だということは一目でわかる。 「ポーターさん、こんにちは」 「んんっ、もしやと思ったがルカか? この間来たばっかりなのに、またすぐに来るなんて珍しいな。何か買い忘れか?」 「ああ、いや……、来ないといけない状況にされたと言うか……」 門番であるポーターの問いに少年の歯切れが悪くなる。突然やって来た女性に家を破壊された、と答えても説明に苦労しそうだ。 ルカが困っていると、ポーターの目線はその破壊した張本人へ向けられる。 「そっちのお兄さ――、いや、お姉さん? は、大丈夫なのか? 防護服も着てなけりゃマスクまでせずに……」 「えーと、こいつは一応女性で、マスクは――」 「ボクは平気さ。胞子の影響を受けないらしい」 ルカの声を遮ってヴィヴィが笑顔で答えた。 その言葉を頭の中で反芻するも、納得ができない表情でポーターは頭をひねる。できるだけ怪しまれないように取り繕おうとしていたルカは、頭を抱えたい気分になっていた。 「ま、まあ深くは考えないでください! そ、それより、レイジさんは町にいますか?」 「ん、ああ、今日も店を開けていたからいると思うよ」 「そうですか、良かった。今回はたくさん買う物があるので……」 ルカの様子がいつもと違うことが少し気になったポーターであったが、変わった美人を連れているのでそのせいかもしれないと推察する。もしかして……、と飛躍して、二人の関係の憶測を立てたりもしていた。 「うん、事情は大体わかった。それより、もうすぐ夕刻だけど今日は町に泊まっていくんだろ?」 「はい、いつも通りハージアさんの宿屋で」 「あー、やっぱりか……」 ポーターが悪い予想が当たってしまったように頭を掻くので、ルカは首を傾ける。 「いやさ、あのばあさんの宿屋なんだけどな。客室にきのこが大量に生えちまったらしくて今は休んでいるんだよ」 「ええっ、そんな……」 この町『ケレット』は外からの来訪者が多いわけではないが、ふらりとやってくる旅人や、地方の特産を運ぶ行商人が宿屋を利用することがしばしばあった。 その宿泊者の中に、胞子の払い落しが不十分なまま部屋を利用した客がいたらしい。 床板の隙間に入り込んだ胞子は女将であるハージアの目を盗んで発芽し、仲間を増やすと一気に床板を破った。 それが今朝の話であり、床の修繕やきのこの除去など、当然まだ終わっていないので営業休止というわけだ。 「他に宿屋はなかったですよね……。どうしよう……」 ルカは肩を落としてどうやって明日を迎えようかと悩む。そんな彼にポーターは声を上げて笑ったかと思うと、続けて自分の胸を叩く。 「よおし、任せろ。俺の家に泊まるといい。もちろんそちらのお姉さんもだ」 「うっ――、ほ、本当ですか! とても助かります」 一瞬、嫌な顔をしたルカだが防護マスクのおかげでポーターには伝わらなかった。戸惑う要因となった後ろにいる女性が言う。 「ボクも嬉しいよ。食事は全部しっかり火を通してたくさん用意してくれ」 「こ、こら! ヴィヴィ!」 人の家にお邪魔するというのに図々しい彼女をルカは慌てて咎めた。それが可笑しかったらしくポーターはまた笑う。 「はっはっは、俺も美人さんが家に来てくれることになって嬉しい――、おっと、フィルに聞かれたら大変だ。まあ、食事については俺の担当じゃないから、家に着いたら妻に遠慮なく注文してくれ」 「わかった。そうするよ」 「…………」 ヴィヴィの態度をポーターは全く気にしていないが、ルカは胃が痛くなる思いであった。 確かに、礼儀知らずな奴だということは骨の髄まで理解している。だが、実際にその実力を目の前で十二分に発揮させれると、ルカの性格ではハラハラして仕方がなかった。こんな人物と一緒に他人の家で一晩過ごすなんて嫌な予感しかしない。 同行者がそんな苦しみを味わっているとは露にも思っていないヴィヴィは涼しい顔をしている。 「じゃあ、門を開けるよ」 そう言い、槍を柵に立てかけるとポーターは、両開きの門の片側に両手を当てる。そして、足を踏ん張りながら押すと、門がゆっくり動いて人が通れるほどの隙間が開いた。 すると、それを待っていたかのように小さな白い人影がひょっこりと顔を出す。 「お父さーん、お仕事終わったの?」 「まだだよ。ほら、ルカお兄ちゃんが来たから開けてあげたんだよ」 父と呼ばれたポーターが白い防護服を着た子供の頭を撫でながらそう言った。 子供がルカのそばに近寄って、ゴーグルから見える顔を確認しようと背伸びをする。その仕草が愛らしく、ルカはくすっと笑ってから目線を合わせてあげる。 「こんにちは、メル」 「わー! 本当にルカお兄ちゃんだ! この前会ったばっかりなのにー」 子供らしい大きな瞳をキラキラと輝かせ、メルと呼ばれた女の子はルカに抱きついた。それを両腕で受け止めたルカは優しく頭を撫でてあげる。 ルカの胸から顔を上げたメルが続けて何かを言おうとしたが、じーっと自身を見つめている目鼻立ちの整った人物に気がつく。 「やあ、こんにちは」 目が合ったヴィヴィは微笑んで挨拶をした。 人によっては見惚れてしまうような笑顔だが、メルはビクッと小さな体を震わせ、ポーターに駆け寄って脚の後ろに隠れてしまう。 「こら、メル。ちゃんと挨拶しないとダメだろ」 「……こんにちは」 それをポーターが優しく叱り、メルはおそるおそるといった様子で顔を覗かせて挨拶を返した。しかし、すぐにまた顔を引っ込めて父の服をぎゅっと掴む。 「すみません、人の少ない町なので人見知りをしやすくて。メル、今日はルカお兄ちゃんとこのお姉さんが家に泊まってくれるそうだ。先にお家へ帰ってお母さんに伝えておいてくれ」 「えっ、うん……」 ルカが家に泊まると聞いて嬉しい気持ちもあるが、どこか冷たい雰囲気を感じる女性も一緒ということで複雑な心境であった。 だけど、ルカの友達なら悪い人ではないだろう。そう判断したメルは、父に頼まれたおつかいを果たすために自分の家へ駆けて行った。 この前まで言葉もまともに話せなかったのに大きくなったものだ、とルカは感慨深くなるも、用事を済ませなければと切り替える。 「じゃあ、俺も行きますね」 「おう。先にレイジさんの所に行くんだろ? 夕食のこともあるし、あんまり遅くならないようにな。俺も日が沈む前には帰るよ」 「わかりました。では、またあとで」 そう言い残し、ポーターに見送られてルカは門を抜ける。 町へ入ると、まばらだが作業に勤しむ人たちが見受けられた。皆しっかりと防護服を着ている。 小さな町なので少し歩けば目的の店だ。暗くなる前に用事を済まそうと歩き出す。 だが、その前にやることがある、とルカは門から少し離れた所で足を止めて振り返った。 「ん、どうしたんだ?」 そこには町の人たちの様子を観察していたヴィヴィがいた。少年が振り返ったことに気づき首を傾げる。 ルカはしっかりその瞳を見つめ返し、 「お前な、もう少し言葉を選んで話せよな」 先ほどのポーターとのやり取りについて注意をした。 だが、銀のサラサラとした髪を揺らし、コトンと反対側に頭が位置が変わっただけであった。 ルカの口角がピクピクッと動いた。 一度、怒りを抑えるために息を深く吐く。そして、 ――何を言っても無駄だ。 文字通り昨日今日の付き合いだがそう断定したルカは、続けて冷めた声で言う。 「ポーターさんの家に行くまで町の人と話すな」 「なんで?」 ヴィヴィにとってはもっともな疑問だ。 しかし、ルカはこれを無視して背中を向けると再び歩き始める。 遠ざかるルカの背中を見つめ、あの少年の考えていることはよくわからないな、と肩をすくめてから後を追った。
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