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 鞘の入ったナイフを腰後ろに携え、ヴィヴィは上機嫌で歩いていた。  前を歩くルカは、苦い顔で防護マスク越しにこめかみを押さえている。  町に来る途中できのこを二本も食わせなければ、快適な家を建てれたというのに。割りとノリ気になっていただけに悔やまれる。それもこれも――。と、あれこれ脳内で言葉を巡らせ苛立っていた。  そんなルカの余憤にまったく気づいていないヴィヴィは鼻歌まで歌いだす始末だ。  空は茜色に染まっていた。星もいくつか輝き始めている。  イライラとしながらも、遅くなってはいけない、とルカは足早に今晩お世話になる家へ向かう。欲しい物が手に入ったことと、食事が待っていることもあり、ヴィヴィも文句を言わずにその速さについて行く。  そして、町に入る時に通った大きな門からほど近い場所に建っている家に到着する。玄関の前に立つと香ばしいパンの匂いがヴィヴィの鼻腔をくすぐり、より一層心躍らせる。  ルカがノックをしようと手を伸ばす。――が、一旦その手を止めた。  ヴィヴィに、失礼がないようにしろ、と釘を刺しておいた方が良いだろうか。先ほども町の人と話すな、という言いつけは守っていた。  ……いや、今更こいつに何を言っても、一晩という時間を常識人のように過ごさせることなんてできない。  もう天に祈るしかないとも言える。  昨日今日で散々思い知らされたルカは、もうどうにでもなれ、という気持ちで戸を三回ノックした。 「はーい」  すぐに声が返ってくる。若そうな女性の声だ。 「いらっしゃい、ルカ。そちらがお連れさんね。話は聞いているわよ」  戸を押し開いて現れたのは、声の通り若々しく顔に小じわもない女性であった。 「突然すみません。フィルさんの手間を増やしてしまうことになり……」 「あら、いいのよ。特別なことをするわけでもないし、ご飯を作るのに三人前も五人前も変わらないわ」  ポーターの妻でありメルの母であるフィルは、申し訳なさそうにするルカに明るく振舞った。ルカは「ありがとうございます」と礼を述べると、後ろにいるヴィヴィに前へ来るように促す。 「こっちがヴィヴィです。礼儀知らずな奴ですけど、悪い奴ではないので……、たぶん……」 「なんだいその紹介は。まあ、知らないことが多いのは事実だけどね。よろしく頼むよ」 「あらあら、メルの言っていた通りすごい美人さん。それに防護マスクもされていないのも本当なのね。私たちにそのお顔をどこでも見せられるようにっていう神様の優しさかしら」  フィルは口元に手を当て、ころころ笑う。ルカは出来の悪い家族を褒められたような、なんともいえない笑顔になっている。 「そうかい? ボクはキミの方が美人だと思うよ」 「まあ、嬉しい。ありがたく受け取るわ」  嘘偽りのないという声色でヴィヴィが微笑んだ。世辞と思い、フィルも優しく笑顔を返す。ヴィヴィに世辞を言える機能は備わっていない、ということは二人のやり取りをハラハラしながら見守っている少年は理解していた。 「じゃあ、先にお風呂に入りましょうか。ヴィヴィさんは服の胞子も落とさなくちゃいけないから、火の番をしながら払っておくわ。私も防護服を着てくるからちょっと待ってね」  そう言って戸を閉めようとしたフィルを、ルカが呼び止める。 「あっ、火の番なら俺がしますよ。フィルさんは他に家事が残っていらっしゃるでしょうし」 「いいのよ、気にしないで。夕食の下ごしらえは済んでいるの。あっ、ヴィヴィさんの裸が見たかったりして。仲が良さそうだしそういう間柄なのかしら?」 「そ、そんなことないです! 仲も良くないので!」  手を頬に当てながらふふっといたずらっぽく笑う奥さんに、ルカは早口で否定した。 「キミはボクの体を見たいのかい?」 「違うって言ってるだろ!」  純粋な疑問としてヴィヴィは訊ねたのだが、年頃の少年には挑発しているようにしか聞こえず、顔を赤くし声を荒げさせてしまう。 「あら、火種を撒いちゃったかしら。ごめんなさいね、若い子と話すとついついからかちゃって」  フィルが申し訳なさそうに口にするが、その表情は微笑ましいと言わんばかりだ。 「じゃあ、ヴィヴィさんは裏に回った所にある扉の前で待っていてくれる? そこから入ったらすぐお風呂場なの。ルカは、悪いけど居間で待っていてね」 「は、はあ……、わかりました。メルと遊んで待っておきます」 「そう? 助かるわ。夫ももうすぐ帰ってくるだろうから、ついでにそっちの相手も頼もうかしら。おなかがすいたってうるさくなると思うのよね」 「あ、あはは……」  風呂上りのヴィヴィも一緒になって騒がせないように気を配らなくては。苦笑いをしながら、ルカの中で大部分を占める責任感が刺激されるのであった。  それから、ルカがメルと遊びながらヴィヴィが風呂から上がるのを待っていると、主人であるポーターが帰宅する。この後にルカも風呂に入ると聞いたポーターが、一緒に入ろう、とご機嫌に誘ってきたが丁重に断った。  夕食はランプの灯りよりも明るく団欒としたもので、ヴィヴィも美味しくたくさんの料理を頬張って大変満足したようだ。その中で再び二人の関係について訊ねられ、ルカが慌てふためく場面があったりと笑いも絶えなかった。  食後、居間でルカがメルと積み木で遊んであげているのをヴィヴィが眺めていると、メルがおそるおそると近づいてくる。少しの沈黙が流れた後に、メルが勇気を出して一緒に遊ぼうと誘った。それに彼女は優しげな笑顔を向けて了承する。そのやり取りにルカは、「人当たりはいいんだよな……」と、ぼそりと呟いた。  そして、時間は過ぎて行き、メルのまぶたが重くなってくる頃。  フィルが口元を押さえあくびをする我が子を持ち上げて抱きかかえる。 「ほらほら、もう寝る時間よ。お兄ちゃんとお姉ちゃんに、遊んでくれてありがとうって言いましょうね」 「うん……、ありがとうございました……」 「こちらこそ。おやすみ、メル」  眠そうに目をこすりながらもしっかりと礼を言うメルに、ルカは優しく頭を撫でてあげた。その後ろで口元に手を当てながらヴィヴィもあくびをしている。  フィルはまどろむメルを連れて、寝室がある扉の向こうへ行った。 「ふわあー、俺も寝るとするかな。明日も朝早くから門番しなくちゃいけねえ」 「お疲れ様です。じゃあ、俺たちももう寝ます」 「おう。悪いな、一人一室じゃなくて。まあ、ルカにしてみればそっちの方が都合は良いか」 「うっ……。相部屋でもありがたいですけど、そういうのは絶対ないですので……」  これまでも散々いじられルカも慣れてきたようで、取り乱すことなく否定した。それでもポーターは楽しそうに大口を開けて笑っている。だが、寝室から戻ってきたフィルにうるさいと怒られてしまい、しょげたまま寝室に行くはめになってしまうのであった。  ポーター家の客室は宿屋と比べても遜色はなく、小奇麗でベッドが二つ用意されている。二人が泊まると聞いて、フィルが掃除をしてくれたのだろう。  巻いていたベルトを取り外して楽な格好になると、ヴィヴィはベッドに腰掛ける。 「ふかふかのベッドはいいね。昨日は今にも崩れそうなテントの下で板に座っていたから」 「だからそれは――! いや、いい……」  また昨日の夜の二の舞になるところであった。ルカもベルトを外し、ヴィヴィに背を向けてベッドに横たわる。 「寝るのかい?」 「ああ」 「じゃあ、ボクもせっかくだし寝ようかな」 「灯りを消してくれ」 「はいはい、わかったよ」  仕方ないなあ、という声も聞こえてきそうだ。灯りはヴィヴィの方が近いのだからそれぐらい当然だ、とルカは心の中で思う。  ふっ、と灯りが消えて部屋が闇に包まれる。ヴィヴィがベッドに入るため衣擦れの音がしていたが、それもすぐに消えた。  遠くの方から夜の鳥の声がする。種類はわからないが、この町に泊まると寝る前に必ず聞こえてくる。そのまま眠りに落ちそうになったのだが、 「ルカ」  声量を抑えてヴィヴィが呼んだ。ルカは背を向けたまま応える。 「……なんだよ」 「キミ、本当にまたあの場所にボロい小屋を建てて住むつもりかい?」 「ボロいは余計だ。それに、またボロくなるのはお前がナイフなんか買わせたからだ」 「ああ、それは感謝しているよ」  その言葉にルカは引っかかりを覚えた。  しかし、その原因をハッキリとさせる前にヴィヴィが続ける。 「なあ、一緒にルトゥタイに行かないか?」 「またそれか……。行かないって言っているだろ。俺には何の用もない」 「そうか」  沈黙が訪れる。  旅の道中の召使いにしたいらしいがそうはいかない。明日からレイジが手配してくれた人たちと共に家を建てなければならない。俺は元の生活に戻るんだ。少年の心はそれ一色であった。  ヴィヴィから声が掛からなくなったので、ルカは明日に疲れを残さないように早く寝ようと目を閉じ――、 「ありがとう、世話になったね」  不意にそんな言葉が部屋に響いた。  ルカは驚いて上体を起こし、閉じようとしていた目を見開いて声の主を見る。薄ぼんやりとしか見えないが、体に布団を被った小さな後頭部があるのはわかった。  心臓の鼓動が早まる。ヴィヴィが礼を言うなんて……、と。 「……礼なんて言えたんだな」  心を落ち着けるために皮肉っぽく言った。だが、それに感情を揺さぶられることなく、ヴィヴィが言葉を返す。 「今日一日、キミが町の人たちと話してるのを見ていたんだ。そういうものなんだと思ってね」 「……ふーん」  あくびをしたり自分勝手な発言を繰り返していたが、そんな風にも見ていたらしい。  衝撃を受けたルカであったが、心を落ち着けてまた元の体勢に戻る。そして、散々振り回されたのだから礼を言われるのは当然だ、と誰に見せるわけでもなく自分の中で強がった。  そんなことをしていると、すっかりと目が冴えてしまう。やがて、自分のものではない寝息が聞こえてくる。  ポーターたちの茶化す言葉が脳裏をよぎった。首を振って思考を取っ払う。また寝息が耳に届く。  少年はそんな攻防を夜更けまで続け、最後には睡魔の助けもあり勝利することができた。

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