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 朝日が世界を照らし始めた頃。  ルカとヴィヴィはルトゥタイの根元にいた。世界を割る壁のようにも思えてしまう圧倒する大きさに、今更感慨深くなる。 「本当にここまで来たんだな……。防護マスクもなしに……」  伸ばした腕で壁のような柄を押し込んでみる。硬いのは硬いが石のような硬さではなく、不思議な感触を手の平に感じた。 「何かわかったかー?」  少し離れた所で紙を何枚か手にしてルトゥタイを観察している彼女に声を掛ける。だが、熱中しているのか相手にしていないのか、返事はない。  ルカはため息を吐く。それからゆっくりと歩み寄った。 「おーい」  そばまで来たというのにヴィヴィは声を無視し、柄をペタペタと触っている。  ふてくされた態度でその様子を眺めていると、彼女は腰に携えた最後の注射器を手に取って繊維質な壁に突き立てた。一瞬で注射剤が柄の内側へと吸い込まれる。  そして、しばし経過観察をしていると、 「見ろ」  やっとヴィヴィが口を開いた。ルカの存在には気づいていたらしい。  不平を喉で押し止め、隣に立って彼女の視線の先に目を向ける。 「ん? そこだけ色が少し変わっているな」 「つまり、ボクの血清が効果あるということだ」  それ以上言葉を交わさず、二人はじーっとシミのような痕を観察する。  時間が流れるに連れ、変色した箇所が少しずつ薄れていく。やがて、何事もなかったかのように周りと同じ色に戻ってしまった。 「本当に効果あるのか?」 「ルトゥタイの力を得ていたあいつらに効いたんだ。大元であるこいつに効かないわけがない。ただ単純に血清の量が足らないだけだ」 「まあ……、これだけでかいわけだからなあ……」  ルカは顎を上げて遥か彼方にある傘を仰ぐ。真下から見れば垂直に立っているのではなく、非常に緩やかな曲線を描いていることがわかる。 「研究施設内にあった資料からあいつの目的もわかった。こいつを枯らせるどころか、成長を促していたようだ」 「なんでまた?」 「真意はわからないが……、きのこは宿主の脳を操ることもできる。だから、ルトゥタイ自身がそうさせていたとも考えられる」 「おそろしい話だな……」  その説が正しければ、ラドカーンの手により実験台にされた生物はルトゥタイの犠牲になったと言えるだろう。ドゥドゥやブルゴーたちはあくまでも副産物であったのかもしれない。ルカは意識しまいとしているが、そこにはヴィヴィも含まれている。 「どちらにせよ、こいつは枯らせた方が良い。地中の温度などの記録から、ラドカーンが言っていたことはあながち間違いとも言えない」 「星に寄生して爆発させるって言っていたやつか……」  それは三百年先の話だとあの老人は言っていた。自分たちは生きていないが、だからといって見逃せる理由にはならない。 「ボクはここに住むよ。そうして毎日血清を打って致死量に届かせてやる」 「……そうか。そうなると、研究施設に居る実験台となった生物たちも処分しないとな」 「ああ、だが家屋をこのまま使うのは薄気味悪い。一度壊して建て直そう」 「簡単に言うけど大工事だぞ……。材料はなんとかなるとして、人手はどうするんだよ?」  ルカの問いに、ヴィヴィはきょとんとした表情を見せる。  そして、当たり前のことを子供に教えるかのように柔らかい笑顔を作り、 「ここにいるだろ。これからもよろしく頼むよ」  相棒である少年の額をツンと人差し指で突いた。問題は片付いた、と彼女は再び紙とルトゥタイを交互に見始める。 「…………」  ルカは額をさすりながら、残っている保存食のことや材木の確保の方法に頭を悩ませた。  ※  七年後。  世界の端からでも見えるであろう物体――、ルトゥタイに夕日が当たる。  その根元は変色しているものの、世界を土壌としたきのこにとってはごく一部であり些細なことであった。 「ママー、私も注射したいー」 「ふむ、良いだろう。でもキミにできるかな?」  銀色の髪を持つ母子が天まで伸びる柄の前で会話を交わす。女の子に針のない注射器を手渡すと、母親である女性は我が子を持ち上げた。  そして、短い腕が届くようにルトゥタイに近づける。やや乱暴に突き立てられた注射器であったが、正常に作動して血清を注入した。 「ほらできた!」 「えらいもんだ。キミが良ければまた頼むよ」 「うん、任せて!」  女の子を地面に下ろしたその時、 「キュイイイイイイ!」  甲高い鳴き声とともに、二羽の巨大な鳥が二人の方へ飛んでくる。 「あっ、パパだ!」 「あれはパパじゃなくてトゥルルとマーロムだよ」 「むぅー、パパもいるもん!」 「まあ、そうとも言えるね」  屁理屈をこねる母親に女の子はふくれっ面で異議を唱える。それに対し、微笑を浮かべた女性は優しく小さな頭を撫でた。  そうしながら待っていると、トゥルルとそれより二回りほど小さいマーロムが二人の前に降り立つ。 「よーし、お疲れ様。あとで餌あげるからな」  怪鳥の背中から青年が飛び降り、ポン、ポン、と羽の上から手を置いて労いの言葉を掛けた。 「パパー!」  女の子は駆け出して青年に飛びついた。まるで何年か振りの再開を果たしたかのように。 「良い子にしていたか? と、言っても二日で悪い子にはなれないか」  女の子を両手で抱き上げ、その満面の笑みに青年の表情は緩みっぱなしだ。 「おかえり、ルカ。愛する妻に挨拶はないのかい?」 「ただいま。そうだな……、保存用に作っているきのこに手を出していないだろうな? ヴィヴィにはそれ用のものがあるんだから――」 「あー、もういい。気の利かない旦那もいたもんだ」  ヴィヴィは手の平を向けてルカの小言を制止させた。  息をひとつ吐いてルカは女の子に目を戻す。 「そういえばメルお姉ちゃんが会いたがっていたぞ。今度また遊びに行こう」 「わーい! メルお姉ちゃんも大好きー!」  両手を上げて元気よく万歳する我が子を優しく下ろし、くしゃくしゃと頭を撫でてあげた。 「血清は全部配れたのかい?」 「ああ、東の方まで行ったけど、その町にまで血清の噂が広まっていてみんな喜んで受け取ってくれたよ。全員に行き渡るまでそことの往復だ」  ルカたちはルトゥタイを枯らすのとは別に、きのこの胞子から人々を守るためにヴィヴィの血清を配っていた。いつか彼女が、血清を打たれた者は人ではなくなるかもしれない、と危惧していたが、ヤノシュの研究によりそれは否定された。  そんな特効薬を届けているわけだが、いきなり知らない町に行くと、防護服を着ていない怪しい男が怪しいものを配ろうとしている、となるだけで人々の体に注射するなんて到底できない。  なので、最初はメルがいるケレットの町から広めていった。やがて、防護服なしで暮らす町がある、という噂が旅人や行商人を通じて色んな町にまで噂された。そのおかげで今ではすんなり受け入れてくれる町が増えている。 「まあ、そこそこ人口が多そうな町だったから時間は掛かるだろうな」 「その辺はヤノシュに言うんだな。ボクは一日数本の血清を精製する作業だけで手一杯だ」 「俺がいない間ちゃんと子育てはやっているんだろうな……」 「この健康そのものな体を見たらわかるだろ?」  両親の会話を見上げて聞いていた女の子が小首を傾げた。その仕草に親バカとも言える二人の頬は緩む。 「早く何か作ってくれ。おなかがすいて倒れそうだ」 「俺が帰ってこなかったらどうするつもりだったんだ……」  そう文句を垂れつつも、ルカは何を作ろうかと考える。自分もトゥルルに乗って配達をしているが、ヴィヴィは毎日のように血を抜いて体に負担を掛けていた。普通の人間より丈夫だからといって無理させるわけにもいかない。だから、少しでも休んでもらいたいというのが本音だ。  かと言って、甘やかし過ぎても調子に乗るだけだと心得ていた。 「パパー、何作るのー?」 「食材と相談かなあ。何か食べたいものはあるか?」 「うーん……、パパの作るお料理ならなんでも美味しいからなんでもいい!」 「嬉しいけど困る答えだなあ」 「おい、ボクには訊かないのかい?」 「俺は料理するからお前はトゥルルたちに餌をあげといてくれ」 「むぅー、もう血清を作ってやらないぞ」 「いや、それは俺だけの問題じゃないから反則だろ……」  そんな会話を交わしながら三人は家へと入っていく。  温かな家族を見送ったトゥルルが甲高い鳴き声を発した。  その音はこの世界で最も存在感を放つ超弩級のきのこに反射して、どこまでも遠く響き渡った。  <おわり>

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