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 それから少しばかり日が経ち。  二人はルトゥタイの傘の裏を仰ぐ所まで来ていた。  周りは木のように高いきのこが立ち並んでいる。人の手が入らず途方もない年月とともに成長したのだろう。  その根元を歩く二人だが、ルカの装いに変化がある。  屋外だというのにその精悍な顔が外気に晒されていた。つまりは防護マスクを着けていないのである。  本当に自分が胞子の影響を受けなくなったのか試すことにしたのだ。  何故なら、その結果によっては世界中の人々をきのこの脅威から救うことができるかもしれないからだ。  大量生産ができるかは別として、ヴィヴィの血清にその希望が見えた。  研究用として試験管に何本分かの血液をヤノシュに提供してきた。それで新たな薬が開発されれば万々歳だ。  そして、ヴィヴィは自分で作った試作品を、針のない注射器に封入して腰に携えていた。三本しか作れなかったが、本来なら保存が利かない血清に長期間効力を持たせられるよう様々なきのこを――、と長々ルカに語っていた。  聞かされる方は専門的な知識がないので、適当に相槌を打ち適当に称えていただけだが、語る本人は満足そうであった。  助手という立場ではあったが、記憶が無くとも研究者としての本能がそうさせるのだろう。それに、ヴィヴィなりに人の役に立ちたいという思いの強さをルカは感じていた。 「もうすぐ影が掛かりそうだよ」 「――ん、そうだな。松明の用意をするから周りを見張っていてくれ」 「了解」  ヴィヴィの声で意識を外側に戻し、ルカはその場にリュックを下ろした。中から火を起こすための道具を順番に取り出していく。  相棒がそうしている間、ヴィヴィは弓を手に辺りを警戒する。左手で矢をつがえ、構えればいつでも正確に射ることができる状態だ。  そんな彼女に守られながら少年はせっせと作業を進める。元から器用なこともあるが、旅の中でさらに洗練されていた。すると、 「――危ない!」 「な、なんだ!」  ルカの頭上をヴィヴィの放った矢が鋭く通過した。  驚いたルカは、すぐさまリュックに携えているシャベルを手に取って振り返る。 「うわ……、これまたでかい……」  そこには上顎から頭にかけて矢に貫かれた大蛇が横たわっていた。まだ生きているのか筋肉が痙攣しているだけなのか、太く長い体はピクピクと動いている。 「毎度のことだが、先にきのこを切れよ」 「命を助けてもらっておいてその言い草はどうかと思うよ」 「冗談だ。こいつは仲間を呼ぶ種類でもなさそうだし」 「むぅー、次からは助けてやらないぞ」  感謝の色の見えないルカにヴィヴィはご立腹であった。お年頃な少年心をこの女性が理解する日は来ないだろう。 「うん? やけにここだけ膨らんでいるな。形的に卵でも丸呑みしたのかな」  大蛇の頭近くがぽっこりと卵型に膨らんでいた。食事後すぐで動きが鈍かったことが助かった要因のひとつなのかもしれない。 「卵か、良いねえ。取り出して調理してくれよ」 「ええ……。まあ、呑み込んだばかりみたいだしできなくはないけど……」  ヴィヴィの発想に目に見えて嫌な顔をしたルカだが、命の恩人のためにシャベルを斧に変形させて大蛇の頭を断ち切った。  そして、体内であった場所に手を突っ込む。蛇の体液は危険ではあるが、防護服で手は守られているので大胆に摘出した。 「うーん、こうして見るとさらにでかいねえ」 「これかなり重いぞ。こいつの親が近くにいるかもしれないな……」  再び外の空気に触れた卵は、ルカが両手で持たなければならないほどの大きさであった。この大きな卵を産むような巨大な生物が潜んでいるかもしれない、とルカは警戒する。  だが、その相棒はどこ吹く風で、 「茹でるのは時間が掛かりそうだから割って焼いた方が良さそうだね。早速頼むよ」 「……こんなでかい卵を焼く鍋がないよ」  どう食すか、ということで頭がいっぱいであった。あまり乗り気でないように言ったルカも、せっかく手に入れた食材をどう扱うか考え始める。  その時、 「キュイイイイイイイ!」 「うわっ!」  耳をつんざくほどの甲高い音とともに巨大な影が空から襲い掛かってきた。咄嗟に身を低くしてそれをかわすと、風が吹き抜けルカの髪を逆立たせる。 「あの鳴き声は……!」  振り返ると、一羽の大きな鳥が上空へ舞い上がった。これまで何度か遭遇している怪鳥トゥルルだ。  二人はドゥドゥがまたあの鳥に乗って来たのかもしれないと構える。  ――しかし、しばらく気を張るもその気配はない。 「こちらの様子を窺っているな。あいつに命令されてボクらを襲いに来たか」 「いや、あれは攻撃してきたというより……」 「より?」 「卵はお預けってことだ」  そう言い、ルカは空から見えやすい場所に先ほど手に入れた大きな卵を優しく置いた。すぐに駆け足でヴィヴィの元へ戻ってくる。 「これで良いだろう」 「そういうことか。でも、あれを囮にすれば鳥肉も食べれるぞ」 「お前の思考は相変わらずだな……」  良いように言えば合理的な彼女に呆れていると、ルカの思惑通りトゥルルが卵のそばに降りて来た。そして、無事を確認するために鉤爪のついた足で卵に触れる。 「あとは敵意がないことをわからせるためにこいつを――」 「あっ、勝手に取るな」  ルカがヴィヴィの携えている鞘からナイフを抜き取り、大蛇の身を手の平大に剥ぎ取った。 「斧じゃ切り分けにくいだろ。そら!」  その身をトゥルルに向かって放り投げる。  目の前に落ちたその身を巨大な怪鳥は怪しむように見ていたが、やがてはその大きなクチバシで啄ばみ始めた。 「良いのかい、仕留めなくて。その鳥を殺せばあの男の移動手段を奪えるぞ」 「まあ、あいつらに飼われているかもしれないけど、こいつ自身に罪はない。それに、こんなでかい鳥を倒すのはなかなか骨が折れるだろ」 「そうかなあ。ボクお手製の鏃を……、と思ったけど手持ちが残り一個しかないな」  ヤノシュの集落からここに至るまでにも、様々な巨大生物と遭遇してきた。あの蜘蛛同様、自然界には不釣合いな生物たちだ。  ルカたちが先に存在を察知できれば回避してきたが、向こうから襲ってくることもしばしば起こった。刃物できのこを切断することが困難な場合は、ヴィヴィが作った鏃を使用した。おかげで周りの木々を吹き飛ばすことがありながらも、無事にここまで来れたのだ。しかし、その鏃の在庫はほとんど尽きてしまっていた。  代わりに、ルカが武器の先に装着する穂は温存しているので二本ある。すぐ目の前で爆発が起こることに臆して使わなかった節もあるが。 「取っておけ。あいつの気が変わらないうちにここを離れるぞ。松明はまた落ち着ける所で用意する」 「了解」  渋々といった様子だがヴィヴィを納得させ、ルカはリュックを背負い上げる。  そうして、トゥルルを刺激しないように焦らず歩いてその場から去った。

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