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 それから激しい打ち合いが始まる。  力を出し尽くすルカに対し、ドゥドゥは幾分か余裕があるようだ。  その戦いの外にいるヴィヴィが震える自身の右手を見つめる。 「くそっ……、なんで動かないんだ……!」  今すぐルカに助太刀をしてあの男を倒したい。そう思っているはずなのに、体が鉛のように重く、軽々と扱っていたナイフでさえ持っているのが精一杯だ。  それほどヴィヴィは精神に深手を負っていた。人を守りたいという行動原理は、人を犠牲にした上で生まれたものかもしれない。そう考えると激しい自己嫌悪に襲われた。  雄叫びが上がる。ルカのものだ。  ハッと顔を上げると、ルカが振り下ろした刃によってドゥドゥの左肩が切断された瞬間であった。切断面から赤い血が噴き出る。  再生するとしても時間が掛かるはずだ。ブルゴーがそうであったように。  すぐに燃やせるよう置いてきたリュックを取りに行った方が――、と鈍い頭に浮かんだが、 「あっ……」  ルカの体に刃が走る様が目に映る。  瞬時に再生した左腕は、右腕と同様に剣をかたどり少年を斜めに斬った。  力なく崩れ落ちるルカの姿が、ヴィヴィにはゆっくりとコマ送りのように見えた。 「――貴様ああああああああ!」  怒りを爆発させてドゥドゥに斬り掛かる。動かなかった体が嘘のように疾く間を詰めた。男の冷酷な視線に怯むことなくヴィヴィはナイフを振るう。  首元を狙ったその刃はルカを斬った腕に受け止められる。しかし、ドゥドゥの意識が上に向いた隙を狙い、脚に回し蹴りを叩き込んだ。それにより背の高い体が傾いた。  振り抜いた足で地面を踏みしめる。反動をつけて体を回転させ、自身の背丈より上にある頭目掛けて蹴りを放った。まともに食らった首から鈍い音が鳴り、ドゥドゥの体は横へと飛んだ。 「ルカ!」  仰向けに倒れた少年の容態を確認する。防護服の裂け目からじわりじわりと血が流れ出ていた。蜘蛛から受けた背中の傷より深い傷であることがわかる。だが、反射的に体を逸らしたのだろう。素早い処置を取れば致命傷にならずに済みそうだ。 「止血を……! しっかりしろ!」 「うっ……、気を、つけろ……」 「動くな! 意識だけ保っていろ!」  ヴィヴィはすぐさま上着を脱ぐと、動く右手だけを使ってルカの傷口に押し当てた。幸い、防護服と違って彼女の着ていた服は布製だ。徐々に赤く染まってはいるが、出血を抑えることはできている。  その時、ザッと地面を踏みしめた音が鳴る。  振り返ると、ドゥドゥが起き上がってこちらを見ていた。何事もなかったかのように涼しげな顔をしており、折れたはずの首は元に戻っている。ヴィヴィはルカの手を取って傷口を塞ぐ服の上に重ねた。地面に置いていたナイフを掴んで立ち上がる。 「どちらもいい動きですね。私でなければ二回死んでいました――」  その言葉を遮るように、ドゥドゥの左肩がボンッと破裂した。突然の出来事にヴィヴィはわずかにたじろぐ。  だが、依然とした態度で男は言う。 「負荷が掛かり過ぎたようです。先ほど述べた通り、私の身体はまだ完成には至っていないものですから……。ヴィヴィ、おとなしく私と来る気はありませんか?」  男の腕を伝って流れ落ちていた血が止まる。神経、血管、筋肉、皮膚と元通りに修復されたからだ。  赤く染まった五指の手が再び差し出される。  それにヴィヴィはきつい眼差しとナイフの切っ先を向けた。 「そんな気はない! 貴様こそおとなしくボクに殺されろ!」 「おお、こわいこわい。では、意見の不一致ということで……、私はお暇させて頂きます」  さらりと向けられた殺意を受け流すと、ドゥドゥは踵を返す。 「待て――、くっ!」  大きな羽音とともに砂埃が立ち始める。空から巨大な怪鳥、トゥルルが降りてきたのだ。 「あなたもその少年を救いたいのなら急いだ方が良いでしょう。ルトゥタイで待ってますよ」  そう言い残し、鋭い鉤爪がついた足を掴んで長躯はふわりと浮かび上がる。そのまま空高く舞い上がると、天を突くような巨大なきのこへ向かって飛び去った。 「ぐうっ……!」 「ルカ!」  呻く声にヴィヴィは慌てて振り返る。膝をつき改めて傷の具合を目視で確認し、痛みに苦しむルカの手の上に優しく自身の手を重ねた。 「待ってろ、リュックを取ってくる。簡易的でも手当てをすれば助かるはずだ」  焦燥感が含まれているが、いつものヴィヴィの声色だ。薄い意識ながらルカは少し安堵した。 「お、おーい!」  その時、聞き覚えのある声が二人の耳に届く。  ヴィヴィがそちらに目を遣ると、黒い防護服を着込んだ大柄な人物が高く上げた手を振りながら駆け寄ってくる。その後ろでは槍を持った数人が巨大な蜘蛛の死体を調べていた。 「二人とも無事――、わあ! ル、ルカさん、血が! ほ、包帯、包帯!」  ルカの姿を見るや否や、その人物は慌てふためいておろおろと意味もなくその場を回り始めた。  顔を確認せずとも、グンタだということがわかる。 「おい、回っていないで助けてくれ。胞子のこともあるから一刻も早くヤノシュの家に連れて行きたい」 「は、はい! て、ヴィヴィさんも血が! わ、わあ! 裸じゃないですか! 服、羽織るものを――!」 「……はあ」  男の取り乱し方があまりにひどいので、ヴィヴィには珍しくため息をついた。 「ボクのことは後回しで良い。向こうにいる人を呼んでルカの手当てを頼む」 「わ、わかりました!」  ビシッと敬礼したグンタは、回れ右をして仲間たちの元へ走り出す。  本当に大丈夫なのだろうか、と不安な気持ちもあったが、すぐに数人を引き連れて戻ってきてくれた。集落の住民である彼らの手早い処置が施され、ヴィヴィはひと安心する。 「じゃあ、ボクは置いてきた荷物を取ってくる。ルカを集落に運んでおいてくれ」  そう言って背を向けた彼女を、グンタが呼び止める。 「それなら俺が取ってきますよ。ヴィヴィさんも怪我していますし、手当てをしないと……」  心配する声に、ヴィヴィは自身の左手に目を遣る。血によって赤く染まっているが、それ以外の異常は見られない。 「……いや、平気だ。あそこで死んでいる蜘蛛の子供がまだいるかもしれない。……それに用事も済ませたい。あとで追いつくからキミらだけで先に行ってくれ」 「そうですか……、わかりました」  そうして、皆が協力して一番大柄なグンタの背中にルカを乗せ、集落の方へ歩いていく。  それを見送ったヴィヴィは、近くにあった血溜まりのひとつに歩み寄る。その上には一本の腕があった。それを左手で拾い上げると、気が進まないという様子で呟く。 「生は好きじゃないけど……、仕方ない」

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