勇球必打!
ep129:虹を架けるドロップ
ドロップ……。
この虹を上手く描けるか。
でも、やってみるしかない。
「鳥羽さん」
僕は鳥羽さんを呼んだ。
ピッチングとは共同作業だからだ。
この虹を描くにはキャッチャーの許可が必要だからだ。
「タイム!」
鳥羽さんは主審にそう伝えると、小走りで僕の元へとやってきた。
「どうした?」
「……鳥羽さん。この場面で伝えるのもおかしな話ですが、変化球を試していいですか」
「変化球? 急にどうしたんだ」
「投げてみたい球があるんです」
「答えになってないぞ」
鳥羽さんの目と口調が鋭い。
最もな答えだ。
実戦でいきなり新変化球を投げる――そのリスクは大きい。
どういう球の軌道かもわからないし、失投の恐れもある。
それでも……。
『大丈夫、自信を持って投げるんだ』
鳥羽さんには見えないであろう、村雨さんの幽体。
優し気な笑みが僕を後押しする。
「鳥羽さん! この新球でしかヒロを打ち取れないんです!」
鳥羽さんは「ふっ」と息を吐いた。
「……何を投げるんだ」
「え?」
「何を投げるんだって訊いているんだ」
「ドロップです」
鳥羽さんは目が見開いた。
「……時代遅れの旧式変化球だぞ?」
「これしかありません! どの球もだんだんとタイミングを合わされています!」
僕の力強い返答に、鳥羽さんは頷いた。
「わかった……やってみろ」
「ありがとうございます!」
鳥羽さんは、キャッチャーズボックスに座り、ミットをこちらに力強く向けた。
「思いっきりこい!」
左打席に立つヒロは肩を軽く上下にゆすっている。
体の全身から力を抜けさせようとしていた。
余計な緊張が入らないようにしている、流石は百戦錬磨の大先輩といったところか。
「何を投げるかは知らんが……」
ヒロはバットを立て、僕を睨んだ。
「どのような球でも打つ! 我が『勇球必打』により!」
今度は気圧されない。
僕も勇者なのだから。
「いくぞ……」
投球モーションに入る。
僕は集中していた。
体の隅々……心臓や肺の動きを感じるほどに……。
天高く足を上げる。
球の握りは村雨球史直伝のドロップ。
大きく足踏み出した。
次に腕をしならせ――。
――フッ!
村雨さんの教え道理に投げた。
手首は90度にしてリリース……。
中指と親指でボールを強く弾く……。
直球と同じ腕の振りで……。
振った後は手をベルトまで引く……。
「これが僕の……」
――描く虹だッ!
「ぬゥ!」
ヒロはバットを上下に動かした。
ヒッチと呼ばれる動作だ。
体や目線がぶれ、打撃の型が大きく崩してしまいご法度とされていた。
しかし、近代野球では見直されつつある動作とのことだ。
余分な力みが抜け、下半身と上半身を連動させながらタイミングを取りやすい。
また、バットの重みや遠心力を利用することで打球をより遠くへと運ぶことが可能だ。
――クッ!
曲がった……!
ボールに回転がかかり曲がり始めた!
しかし……。
「ドロップか!」
ヒロが叫んだ。
僕が投じた村雨直伝のドロップを見て、
「曲がりだけが多い変化球ならば容易い!」
目を見開き、
「タイミングを合わせ……」
――ブウンッ!
「我が『勇球必打』にて打つ!」
ヒロはバットを振った……。
「――――ッ」
僕は息を吞んだ。
ボールの変化に目をやった。
――フウッ!
浮き上がった。
これは幻覚ではない。
ボールが途中で大きく上に浮き上がったんだ。
「なっ!」
ヒロの目が開く。
「こ、このドロップは……」
その変化はまさに。
「虹!」
虹だ。
大きく弧を描く虹。
僕の投げたドロップは虹を描いた。
届け! 僕だけのドロップ!
『勇者の虹だ』
村雨さんの声が聞こえた。
勇者の虹……。
これが僕が描く夢と希望の虹だ!
――ブン!
バットの降る音が聞こえた。
主審の声は。
「バッターアウト!」
ヒロを三振に打ち取った。
――ワアアアアアァァァァァ!
レフトスタンドから歓声と拍手が聞こえた。
ここでやっと気づいた。
僕は偉大なる古の勇者を倒したのだ。
『三振! 強打者ヒロを三振に打ち取りましたアアア!』
『マンダム――見事だぜ』
『後二人で試合終了! メガデインズの勝利となります!』
三振したヒロは打席から動けないでいる。
バットを握ったままだ。
「何故喜ぶのだ……」
その視線の先はレフトスタンド。
メガデインズを応援する光の応援団を見ていた。
「今のプロ野球でいいというのか! 欲にまみれた野球でいいというのか!?」
ヒロは怒っていた。
三振したことよりも、メガデインズを応援する人々に憤っていた。
「我が勇球必打は……人々の心に届かなかったというのか!」
『ああーっと! ヒロ選手! 怒りのあまりバットを振り上げた!』
『バットを叩き壊すつもりだぜ……』
「こんなバットなど!」
ヒロはバットを振り上げた。
打ちひしがれた想いなんだろう……。
自らのバットを破壊しようとしていた。
『道具は粗末に扱うな』
「むっ!」
『バットマンがバットを大切にしなくてどうする』
「む、村雨球史……」
村雨さんがヒロに話しかけた。
僕とヒロ以外は見えないでいる。
その証拠に、周りはヒロが動きを止めたことに驚いている。
『どういうことでしょうか! 突然、動きを止めました!』
『なるほどなァ』
『ブロンディさん?』
『マンダム――何でもねえぜ』
ヒロは村雨さんを凝視している。
「あなたほどの男が、何故腐りきった現代野球人達に協力するのですか」
「空下君……君にはあれが見えないのかい?」
村雨さんはライトスタンドを指さした。
「アラン! まずは一人やーっ!」
「後二人で、俺達のプロ野球が戻るぞ!」
――がんばれ! がんばれ! アラン!
ライトスタンドからのコール。
村雨さんは言葉を続ける。
『あれが答えだ――人々は現代のプロ野球を望んでいる」
「バカな。人々は高潔なる野球を……」
『いい加減にしたまえ! 人々は魂なき野球など望んでいないのだ!』
「魂なき野球!?」
『支配された自由なき野球! そこに魂はない! そんな、ぬけがらのような野球に――夢と希望を与えることなど出来るはずがない!』
「ぬけがら……」
ヒロはバットを担ぎ、ベンチへと戻った。
「我が『勇球必打』は――魂なき『幽球必打』と朽ち果てていたか」
ヒロはバットを持ったまま座っている。
その視線の先はずっとライトスタンドだった。
「ヒロさん……」
僕はかつての英雄には勝った。
だが、試合はまだ終わっちゃいない。
『アランちゃん、次だ』
村雨さんが次の打者を指さす。
「ふん……ヒロは塁に出れなかったか」
4番のデーモン0号こと黒野。
いや、黒野ではない誰かだ。
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