「決まったか」 西木育雄はスクイズが決まりホッと胸を撫で下ろしていた。 ギャンブルだった。 このスクイズという奇襲作戦は曰くつきのものだった。 そう……それは昨年のファーム日本選手権での出来事だった。 「ス、スクイズ!?」 「守備の陣形が定位置です。監督、ここはスクイズを狙ってみましょう」 房総ブッフオライオンズVS陰陽ガンリュウとの試合。 ツーアウト満塁で一打逆転のチャンス。打者は左打者の5番谷渡。 瞬足巧打の選手であるが、この試合では全くタイミングが合っておらず打撃に期待出来なかった。 「いいのか? ここは谷渡を信じて打たせてやれば……」 「信じているからこそ、スクイズをするべきです! あいつの当てる技術、速い脚力ならば必ずや成功させてくれる!!」 「う、うぬ……そこまで言うのなら」 だが……この作戦は失敗した。 「な、何ッ!?」 相手投手がカーブを投げてウエストをかけたのだ。 スクイズを外されてしまった。三塁ランナーは飛び出した状態となり……。 「アウト! ゲームセット!」 そのまま封殺……。 相手バッテリーがスクイズという作戦を読んでいたのだ。 「あんな無謀な作戦なんてしなければよかったんだ」 「谷渡を信じて打たせてやれば……」 「この責任をどう取るおつもりですか?」 二軍とはいえ、もうすぐ日本一という称号が手に入るはずだった。 プロの野球指導者は実績を出さなければいけないのだ。 チーム内外からの批判を受けて西木は辞任を決意する。 「に、西木さん」 「すみません……俺達が不甲斐ないばっかりに」 選手達からは慕われており引き止められる。だが、西木の気持ちは決まっていた。 「気にするな。もう決めたことだ」 西木育雄という男は真面目だった。二軍の選手達に自信をつけさせてやりたい。 このファーム日本選手権で優勝することで、1軍の舞台へと自信をもって昇らせる切っ掛けを作らせてやりたい。 そんな親心が働くものの、自分の作戦ミスにより負けてしまったのだ。 本当に選手を信じていたのか? あの時に小細工を用いずに打たせてやれば……。 そう思うと心苦しかった。 退団後は暫く自宅にこもり、一人書を読む生活が続いた。 ☆★☆ 「初めまして、私はメガデインズオーナーの天堂雄一と申します」 評論家としてスポーツ紙と契約する寸前に指導者として声がかかった。 浪速メガデインズの天堂雄一オーナー自らが自宅へと訪れたのだ。 「あなたの指導力を買って是非ともお願いがあるのです」 それは二軍監督としての招聘だった。 最初は断ったが、何度も自宅に天堂が尋ねヒザづめで口説き落としにかかった。 「分かりました」 その熱意に絆されて了承。 二軍監督への就任が決まったが、チーム内の初仕事として意外なものを頼まれた。 「今度の秋に新人入団テストを行います。その試験官として参加頂けないでしょうか」 「それは何故ですか? スカウト陣に任せればいいでしょう」 「スカウト部長より、あなたに是非とも見て欲しい『二人の選手』がいるのです」 その二人の選手とはアランと河合のことであった。 アランは技術的に粗が目立ち、フザけた格好でテストを受けに来たが身体能力が抜群。 河合はパワーはないが、女性のようなしなやかさと繊細な技術を持ち合わせていた。 二人とも磨き上げれば一流になりそうな逸材だった。 特に西木の中では小技が出来そうな河合の評価が高い。 何でもチームOBで打撃投手を務める河合兎角の息子らしい。 親の七光りというには光加減が足りないが、ドラフト下位指名での獲得を願った。 「あいつはドラフト指名してやってくれ」 不安定な育成では、結果が出なければ即クビの可能性がある。 数年かかってでも磨き上げたい、西木のそんな思いがあったのだ。 とはいえ、西木は河合子之吉――いやネノが異世界の住人であることは知るはずもなく。 ☆★☆ 『喉から欲しかった1点をもぎとった! 先制はメガデインズ!!』 スクイズによる1点。奇襲、それはまさに奇襲だ。 チラリと鐘刃を見ると、マスクを脱ぎ眉間にシワを寄せていた。 「守備陣形を誤ったか」 「か、鐘刃様」 「異世界の技法に胡坐をかいたのが失敗の原因よ。グラビティフォールで動けない――そういう先入観がスクイズなどという小賢しい作戦を許してしまった」 鐘刃は腰を低く落とし、ミットをバシッと叩く。 「たかが1点を献上しただけだ」 次の打者の名前を確認し、 「安牌だぞアルストファー」 と言った。 「ハ、ハハッ……」 アルストファーはピッチャーマウンドに戻りセットポジションにつく。 次は打順が1番に戻る。打者は安孫子さんであるが……。 「ひなてぃ……」 ずっと様子がおかしい安孫子さん。 元山の話では好きなアイドルが男――アルストファーと付き合っているとのことだ。 それほどショックだったのか目は虚ろなまま。ただバットを持って立っているだけだ。 『ここで打てば追加点ですが……!』 ――ブゥーン…… 「ストライク!」 ゆっくりとしたスイングで空振り。 ――ブゥーン…… 「ストライク!」 まるで子供が振るようなスイングだ。 ベンチにいる赤田さんは、そんな安孫子さんを見て頭を抱えていた。 「あ、安孫子……」 『どうしたんだジョー! さっきから玩具のバットでも振っているのか!?』 『あれじゃあリトルリーガーだぜ』 バットを寝かし棒立ち状態の安孫子さんに打つ気配は全く見られない。 マウンド上のアルストファーはケタケタと笑う。 「ククク……推しのアイドルを私に奪われたことが堪えましたか。もう精神は崩壊、廃人と化したプロ野球選手など恐れるに足らず」 このままでは三振でチェンジ。追加点は取れないだろう。 そんな時、一塁にいるネノさんが声を出した。 「ジョーさん! あの子がそんな気のないスイング見ると幻滅するぜ!」 ――ティキーン! ん……安孫子さんから打楽器のような音が聞こえたような? 「アルストファーよ。ど真ん中のストレートでも良いぞ」 「ははっ! 心がアンデッド化したものにはそれで十分ということですか」 ――シュッ! アルストファーは笑いながら速球を投げ込む。 コースはど真ん中だ。今の精神が死んだ安孫子さんにはそれで十分。 ――ブン! 十分だった……。 ――カツーン! はず!? 『引っ張った! 長打コース!』 安孫子さんは弾丸ライナーをレフト線へ放った。 「バカな……打てるはずが……」 「な、何イイイィィィ!」 鐘刃とアルストファーのバッテリーは驚く。 安孫子さんは息を吹き返したか、鋭いスイングでの一閃だった。 『一人帰りますホームイン!』 まずはドカが本塁を踏む。 「3点目をやるものかァ!」 レフトのグレーターデーモンが矢のような返球を投げるが―― 『二人目もホームイン! これで3点目!!』 送球は間に合わず、森中さんが息を弾ませながら本塁を踏んだ。 これで3-0でリード。 二塁に安孫子さん、そして三塁にネノさんを置いて次は国定さんだ。 ビッグチャンスが続いている、上手くいけば大量点を上げられるぞ。 「俺は正気に戻った!」 二塁ベース上で安孫子さんが腕を突き上げている。 何があったんだろうか……。 「秘密はこれさ」 「それは?」 「ジョーさんのファンだとよ。裏面に連絡先つきだ」 ネノさんが僕に何やら四角いカード上のものを投げつける。 「なんだこれ?」 僕がそのカードをキャッチすると、ドカと森中さんが何事かと思って覗き込んできた。 「写真?」 「キレイな女性だな」 シャシンというカードには女性が写ってある。 黒い髪をした女性でつり目が印象深い。 服装は赤いジャケットに、黒い糸で織り作ったであろうズボンを履いている。 髪をかき分ける姿は艶めかしい。一言で表現するならクールビューティーだ。 「あ"っ"!?」 だが僕は気付いてしまった。 これはネノさん……つまり三塁にいる河合子之吉の正体だ。 ――ずっとファンでした。ここに連絡先を書いておきます。 裏面にはそう書かれ何やら数字が記されている。 「グッバイひなてぃ! 俺はネノちゃん一筋になるぜ!」 安孫子さんは二塁上で吼えている。 なるほどそういうことか……。
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