僕達は亜空間の渦へと吸い込まれた。 目の前は真っ暗となり、轟音がぎりぎりと錆びたキリのように全身に差し込んでくる。 「ア、アラン!」 マリアムの声が聞こえた。 僕は咄嗟に手を動かすと細い腕を掴んだ。 おそらくは女性、僕は必死に守ろうと引き寄せ声をかける。 「マリアムか?」 「うん……」 小さい体が震えている。 僕はマリアムを安心させるためにしっかりと抱き寄せた。 「大丈夫、大丈夫だから」 ☆★☆ 「起きろ」 女性の声だ。 僕は反射的にその名前を叫んだ。 「マリアムッ!」 「女の名前か……異世界ボケのしすぎだぜ、勇者アランさんよ」 目を醒ますと黒髪の女がいた。 つり目が特徴で体は細いが鋼鉄線を束ねたような肉体だ。 黒装束や鎖帷子に身を包んだ姿、それはレア職業忍者であることを証明している。 それにここはどこだろう。ひんやりとした冷たい風が流れる。 薄暗いところからして洞窟ということは分かるのだが……。 「ここは?」 「レアチズ山の洞窟だ」 レアチズ山、魔王城に近い山脈で凶悪な魔物が多く住むところだ。 ということは、ここは僕がいた世界ということか? いや、それよりもこの目の前に立っている女は誰なんだ。 そうすると、女は僕をからかい始めた。 「第一声が『マリアム』とはビックリしたぜ。まさか天下の勇者様が魔物に恋心か?」 「マリアムを知っているのか?」 「そりゃもちろん」 ――スキル【変身】発動! 女の体が変形し始めた、これは忍者特有のスキル【変身】。 諜報活動の際に使うもので、自由自在に身体を変形させて他者に変身する能力だ。 「よっ!」 い、一体全体どういうことなんだ!? 「か、河合さん?!」 驚くことに女の正体は河合さんだ。 「驚いたようだな」 「そりゃ驚きますよ」 「この体は動かしづらいんで戻すぜ」 ――スキル【変身】発動! 「やっぱり元の姿の方が動きやすいな」 そう言って河合さんは首を軽く回し、手を握ったり開いたりしている。 「ど、どういうことなんですか……」 「俺はあんたの監視役」 監視役とは……。 河合さんは言葉を続けた。 「オディリス様に頼まれたんだよ」 「オディリス?」 まさかのオディリスという名前が出た。 何だか頭が混乱する。話の筋が全く見えないのだ。 「ざっくり説明するとだな、俺もあんたのように一回死んで転生し異世界へ送り込まれたんだよ」 「河合さんも?」 「俺の場合、ダイガクっていうアカデミーから野球をさせられた。クエスト内容は『大学野球日本一』。だけど野球部は超弱小、それに俺は女だろ? あまり目立ちすぎると出る杭は打たれるってヤツで、内からも外からも嫌がらせを受け試合に出場出来なくなっちまってね。そんなこんなでクエストは失敗さ」 どうやら河合さんも神からの無茶ぶりを与えられたようだ。 「失敗してどうなるかと思った時に、オディリス様から次のクエストを与えられた。内容はほぼアランと同じだけど、付属して勇者を裏からサポートするってのが仕事さ。今度は女じゃ目立ってマズいと思い、このスキル【変身】を使って男の姿で潜り込ませてもらった」 道理で河合さんがどこからともなく現れ、色々とアドバイスをしてくれると思った。 そういえば、入団テストの時も道具を貸してくれたっけか。 とりあえず僕は質問を続けた。 「オディリスの目的は?」 「異世界の住人をあの世界へ送り込んで野球というゲームをやらせるためさ」 なるほど……何となく読めた。 異次元の身体能力を持つ異世界の住人ならば、野球界をチート無双出来ると踏んでいるのだろう。 しかし、あのオディリスはとんでもない神だ。 人の命や魂を弄び、野球という遊戯をやらせて楽しんでいる。 ――彼は悪戯の神。 真相の一端を知っているであろうオニキアの言葉がようやく理解出来た。 神の悪戯にしては悪質だ……僕は少しづつ怒りの感情が起こって来た。 「アランが思ったより野球レベルの成長が早くて困ったんだよ。本当だったら、二軍からじっくり育つよう見守りたかったんだけど」 僕は言葉を続ける河合さんを遮る。 「ふざけるな! 神だか何だか知らないが、僕達の命や魂を使って遊んでいるということじゃないか!」 「そう怒るなボーイ」 洞窟の奥から声がした。 誰かが来る、それも数名だ。 「私にとって、神は絶対だ」 スペンシーさんだ。 白い魔法衣を着込み、手には白樫の杖を持っている。 大僧正に相応しい恰好をしていた。 「魔物!?」 回りに3体の魔物がいた。 群青色をしたオーガキング、樹の魔物であるトレント。 そして、兎型の魔獣デッドラビットだ。 僕は構え戦闘の準備をするも、スペンシーさんが止めた。 「落ち着きたまえ。彼らは君の仲間だ」 「仲間?」 「変身呪文『ツケコロ』で、前の姿でいてもらっている。これから大事なお話があるのでね」 ――ツケコロ! 目の前には驚くことに兎角さん、麦田さん、高橋さんの三人がいた。 僕が動揺する中、スペンシーさんはニタリと笑うと僕の方へ近づいて来た。 「ノアというセイレーンの話では、魔曲による呪いをかけられているとのことであるが……」 ――ソモコ! 「ソモコで呪いを解除をした。これでスキルや特技を使えるようになったぞ」 「えっ?」 「気づかなかったのか。君はアイレンの魔曲により呪いをかけられていたんだ」 アイレン、妖魔パウロのことか。 呪いをかけられていたとは、だからスキルや特技を発動出来なかったのか。 「ところでこれは……」 「我々も同じく神の悪戯で異世界へ送り込まれた転生者だ」 「それって……」 僕が困惑すると、兎角さんがポケットから煙草を取り出した。 カチッと火をつけると紫煙を吸い込みながら説明してくれた。 「ネノが言ってなかったか? オディリスは野球狂だ。人間や魔物を転生させて、野球に講じさせて楽しんでいる悪戯者というワケさ」 「ネノ?」 「俺の事さ」 河合さんが自分を指差しながら言った。 そうか、河合さんの本当の名前はネノというのか。 僕が河合さん……いやネノさんを見ていると兎角さんが言った。 「それより、これから訓練を始めるぞ」 「訓練?」 「お前の野球技術を早く向上させなければならない」 この期に及んでまだ野球か……。 神の悪戯に弄ばれているという真相を知ってしまったのだ。 今更、こんなバカげたゲームなんて出来ない。 「君達は疑問に思わないのか。神のお遊びで人や魔物の命や魂を弄ばれているんだぞ」 それに対し麦田さんや高橋さんが答えた。 「俺らは元々死んだ身だ。逆に感謝しているね」 「人間として転生させてもらうことで大事なことを教えられた」 兎角さんがゆるりと近付き、僕の肩をポンと叩いた。 「魔物だった頃の俺らは信頼とか友情なんて無縁だった。それを野球を通じて教えてもらったんだよ」 彼らも僕と同じものを得るために転生させられたのか? それでもオディリスのやっていることは―― 僕がまだ納得出来ないでいると、スペンシーさんが懐から水晶玉を取り出した。 「ボーイ、あちらの世界ではとんでもないことが起こっているぞ」
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