私の名は空下浩。 東京の六大学野球で活躍し、戦争がなければ職業野球人になっていた。 しかし、戦局の悪化により学徒出陣により動員。 徴兵された私は貴重な時間を失うことになる。 戦争は終わり、平和の象徴として職業野球が再開された。 私といえば命からがら南方より日本に戻ることが出来た。 大学に復学した私はリーグで活躍、多くのチームのスカウトが訪れた。 そんなある日、よれよれのスーツ姿の男が現れた。 案の定、職業野球のスカウトだったが……。 「頼む空下君! 我がチームに君の力が必要なんだ!」 男の名は天堂一茶――つまり浪速メガデインズの初代オーナーだった。 資金ぶりに苦しむメガデインズは、他のチームのようにスカウトを雇う余裕はなく、オーナー自ら有望な選手の元へと訪れ入団交渉をしていたのだ。 「ああ……確か新設球団の……」 この時代、ドラフト制度はなく自由競争だ。 東京サイクロプスや大阪ライガースのように、人気かつ資金が豊富な球団は有望選手を乱獲していた。 「メガデインズは人気も実力もない灰色のチーム! 君の力で色を染め上げて欲しいんだ!」 「色?」 「情熱の赤、自由の青、希望の黄――美しい七色を君は持っている! スター性があるッ!」 戦後、時代はまだ混沌としていた。 物乞いをする子供、体を売る女性、戦地から傷だらけで帰ってきた兵士。 人々は夢を見ることを忘れ、生きることだけに集中していた。 幸い私は野球が出来る恵まれた状態だが、多くの人々はただその日を食うだけで精一杯、何かを楽しむことなど忘れていた。 「この日本に空下浩という〝七色〟を見せて欲しい!」 「夢……」 「人々に夢と希望を見せるんだよ!」 「私が?」 「あの舞い上がる打球でさ!」 当時の野球は低いライナー性の打球や犠打が至高とされていた。 まだこの時代は戦時下の影響が強く、チームのために己を犠牲にすることを美徳としていた。 フライをあげようものなら『天ぷら屋』と、監督から揶揄され注意されるのだ。 ただ、私は本塁打というものに拘っていた。 「君は和製ベーブ・ルースだ!」 「ベーブ・ルース……」 私は子供の頃に日米野球でベーブ・ルースを目撃した。 その高々と舞い上がる打球、まるで虹を描くような本塁打に憧れを持ってしまった。 あの美しい打球を生み出したい……私はひたすらに追い求めた。 それ故に学生時代は監督からにらまれ、本塁打を量産するもスタメンから外されることもしばしばあった。 しかし、数字という実力があれば否応なしに黙るしかない。 現に六大学の本塁打王になった私に多くのチームから誘いがあった。 「一緒に日本を盛り上げよう!」 天堂は野球を愛していた。 富や名声、金持ちの娯楽ではない清貧とした野球。 金の話ばかりしかしない他球団のスカウトと違い、私と野球のことをよく理解していた。 「契約金は他球団と比べ少ないのは事実――でも、君の本塁打を是非とも球場に架けて欲しい!」 金のことなど、どうでもよかった。 私の野球道を追求出来る場所はメガデインズだ。 「わかりました」 私は入団を決意した。 親や監督、チームメイト達は驚きと反対をしたが、己の意志を貫いた。 清き精神でプレイ出来るのは、このメガデインズしかない――そう確信したのだから。 (私の本塁打で人々の心を豊かにする!) 日本を豊かに――。 人々に夢と希望を――。 私はこうして名打者、虹を描く勇者としてNPBにその名を残すことになる。 ☆★☆ 9回の裏。 10-9で僕達メガデインズ勝ち越した状況だ。 この試合を押さえれば勝利、NPBに再び夢と希望が戻る。 「ふっ……」 僕は息を吐いた。 体と心を落ち着かせながらマウンドに立つ。 ――拍手! 拍手! 古めかしい音楽が瞑瞑ドームに流れる。 これまで入場曲など流れなかったのに……。 ――フレー! フレー! フレフレフレ! (高度経済成長期を迎え……確かに日本は豊かになった……) バッターは3番のヒロから始まる。 マスターマミーではあるが、それは転生した姿。 彼はこのメガデインズの偉大なるOBだ。 ――かっとばせっ! かっとばせ! フレー! フレー! フレー! (それと同じくして、プロ野球も華やかで賑やかになった……) 左打席で構えるフォームは理にかなっていない。 バットのグリップはへそ前に置き、立てて構える。 テイクバックも所謂ヒッチ、当たれば大きいがミート率が低くなる。 そんなオールドスタイルのフォームであるが打たれている。 僕はヒロに打たれているのだ。 ――ホームラン! (しかしどうだ! 現代の職業野球は金に女にドーピングと高潔なる精神を忘れた!) ――ブ・ギ・ウ・ギ! (人々の心がさもしくなった! 金と名声だけを求める『さもしき成金野球』に変わり果てたのだ!) 音楽が終わった、見るとヒロのバットはこれまでと違っている。 古い木製バットを持っていた。 しかし、あのバットから異様なオーラを感じる。 まるで伝説の剣のような……。 「私が再び職業野球に高潔さを取り戻させる……」 ヒロが何やら述べると、 「我が虹の打球で!」 バットをレフトスタンドへと向けた。 『こ、これはホームラン宣言だ!』 『マンダム――とんでもなく強気だぜ』 ホームラン宣言。 ヒロは僕からホームランを打つつもりだ。 ――ウオッ! ウオッ! ウオッ! ウオッ! ウオッ! ウオッ! 「予告本塁打だ!」 「ヒロならいけるぜェ!」 「同点のホームランを打ってくれ!」 魔物達は大興奮の様子だ。 「ヒロ選手からの要望たい! 鳴り物は禁止ばい!」 レフトスタンドから鳴り物は一切聞こえない。 瞑瞑ドームには人々の声だけが聞こえる空間だ。 「がんばれーっ! ヒロ!」 ホーム側の内野席から子供の声が微か聞こえた。 見るとゴブリンの子供らしき姿があった。 「これだ……鳴り物や応援歌などない野球ファンだけの歓声が響く球場……」 ヒロ選手の目が僅かに緩んだ。 それは何か遠い過去の良い思い出を懐かしむような目だ。 「野球は常に歓声と球音だけが響けばよい」 ヒロはそう述べるとゆったりと構える。 これから始まるのだ……最後の投球が……。 「いくぞ!」 僕は振りかぶり、足を高く上げ……。 『まずは第一球を――』 投げた! 『投げました!』 投げた球は直球。 糸を引くようなストレートだ。 「むんッ!」 ――カツーン! 響いた。 乾いた打球音、ヒロに初球を打たれた。 「ファール!」 しかし、打球はファール。 後ろのバックネットを越えていった。 「球が速くなっているな……勇者よ……」 ヒロは僕を睨む。 土留色の包帯から覗かせる目が鋭い。 「それは先程から見える伝説のアドバイスが効いたか?」 「ッ!」 僕は目を見開いた。 ヒロは僕の背後に立つ―― 『アランちゃん。彼は私の姿が見えるらしいね』 村雨球史が見えるらしい。 「村雨球史と同じ投球型――神に感謝するしかあるまい」 ヒロはそう述べ、静かに構え直した。
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