勇球必打!
ep68:本物の変化球

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 もう一人の勇者――確かに西木さんはそう言った。  僕は西木さんにその『ソラシタヒロシ』なる人物のことを尋ねることにした。 「誰ですか。そのソラシタって人は?」 「発足間もない浪速メガデインズを長年支えた4番打者……。本塁打王、首位打者、打点王の三冠王にも輝いたことがある伝説的な人だ」 「その人の打ち方に似ているっていうんですか?」 「そうだ」  続いて赤田さんが言った。 「あの独特のヒッチ、掬い上げるようなフォロースルーは間違いない」  不思議な事に赤田さんは、あのヒロという打者を見て懐かしそうな顔をしていた。  それと同時に嬉しいような嬉しくないような――そんな何ともいえない複雑表情をしている。  また、西木さんは一塁側ベンチにいるヒロを見ながら声を震わせる。 「日本プロ野球界を支えてくれた人が、何故我々の前に敵として……」  ベンチ内の皆は、指揮官と副官が珍しく動揺する姿に黙ったまま。  この世界の住人達は異世界と接触してしまった、今更何が起こっても受け入れる覚悟はあるだろう。  これまでも異形の怪物など目の当たりにしたり、人知を超えるような現象を体験してきたのだ。  だが西木さんも赤田さんも、ヒロというマスターマミーの登場から明らかにおかしくなっている。 「お二人さんとも動揺し過ぎだぜ」  ベンチにいる森中さんが黒眼鏡をかけ直しながら言った。  こういう重い雰囲気が流れようとも一家言あるのが森中さんだ。 「あの包帯野郎が俺らの偉大なパイセンじゃあないって可能性もありやすぜ。デホっていうヤツと一緒でフォームだけマネしているってことも――」 「違う!」  赤田さんは強い口調で否定した。 「あれはモノマネの範疇を越えとる!」  森中さんは少したじろいながらも反論する。 「な、何でそこまで言い切れるンですかい」 「ワシが現役時代、あの人に手取り足取り教えてもらったんだ! 息遣い、タイミング、バットの軌道……自分を教科書に手本となるように、何度も何度もスイングを見せられてきたから間違うはずがない! 間違えようがないッ!!」  ベンチはしんと静まる。  顔は厳ついが、普段はそれほど激情を露わにすることもない人だ。  珍しい光景に西木さんを含め、皆が赤田さんを見つめている。 「ワシがプロとしてメシが喰えたのも……引退後もこうして指導者になれたのも、あの人を手本にして来たからだ。打撃も指導法もプロ野球選手としての心構え……全て空下さんから教わったものを土台にして……」  赤田さんが発する声はどこか寂しそうだった。  監督である西木さんは深呼吸をした後に言った。 「まだ試合は始まったばかり――集中していこう」  西木さんはゆっくりと話した。  そうすることにより気持ちを落ち着かせているのだろう。 「頼むぞ、碧」 「はい」  西木さんは僕の目をじっくりと見る。  ゲームは始まったばかり、次のターン2回の表の攻撃は僕からだ。 ☆★☆ 『この回、メガデインズの攻撃は4番の碧アランからの打順となります! ブロンディさん、この勝負の見所は?』 『カネトの狙い球を絞れるかどうかだぜ』 『絞り球ですか?』 『これまで投げた変化球はスライダーとパワーカーブ……更には時折フォームを変え幻惑させての投球術……他にも色々と引き出しは多そうだ。初見相手に辛いだろうが、それに対応するのがプロってもんだぜ』 ――ズチャ……  僕は鐘刃を見ながら打席が入る。  フォームは霞の構え、上半身を少し捻りヘッドを投手に向ける構えだ。 「ほほう……これはこれは剛柔一体のフォームですね。データによると、もっと硬さが目立つものでしたが――この短期間に何があったので?」  何やらアルストファーが言っているが、ここはスキル【集中】の発動。  1ターン目は、ボールに必中するように神経を尖らせる。 「ボール!」  1球目は低めのボールゾーンへのパワーカーブ。  鐘刃は表情を崩さずにセットに入る。 「ところでアランさん。あのアルセイスとどのような関係で?」  アルストファーがまた何か囁いて来る。  三塁内野席で応援しているマリアムを見ているようだ。 「アラン! かっとばせーっ!!」 「なかなか可愛い妖精さんじゃあないですか」  応援するマリアムを見て、アルストファーはマスク越しに下劣な笑みを浮かべている。  少し集中力が削がれるような気がした……皆これに惑わされたのだろう。 「一生懸命応援している姿も実に健気で美しい。――襲いたいぐらいに」 「……ッ!!」  その言葉に僕は反応してしまった。スキル【集中】が無効化されたのだ。 ――バシィッ! 「ストライク!」  やや真ん中低めに直球が決まる。  バットが反応出来なかった……僕はまんまとささやき戦術にやられたのだ。 「おや? どうされましたデータによるとあなたのお得意なコースのようですが?」 「貴様……」 「ククク……人間の勇者様が人外モンスターに恋心ですか? おかしなことがあるものですね。普通はお姫様とか聖女様とかがテンプレでしょう」  僕はバットを強く握りしめる。  怒るな……怒るな……決して怒ってはいけない。 「あんなことこんなこと、猫型ゴーレムみたいにヤりましたか? 愛の喜びは知りましたか?」  これまでの丁寧な口調や、高貴なふるまいから考えられないゲスな本性。  今までのアルストファーの態度は、仮面を被ったものにしか過ぎなかった。  そして、次の一言が僕の感情を揺さぶる。 「決めました。この試合が終われば、彼女を私の下僕にするとしましょう!」 「何だと……」 「方法は色々あります。アイテムや術やその他諸々、想像するだけで楽しくなってしまいます」 「貴様ッ!!」  僕の内に眠る〝黒い意志〟と〝鬱金色の炎〟を浮かび上がらせる。 「ストライク!」  頭に血が上っていた。  高めの直球を見逃し、これでツーストライクと追い込まれてしまった。 「冷静さに欠けておられるようで」 「クッ……!」  僕の心を揺さぶるアルストファー。  ダメだ――乗せられてはいけない。今の敵は投手である鐘刃だ。  ニヤッ。  鐘刃は僕とアルストファーのやりとりを見て哂っている。  僕がヴァンパイアの巧みな話術に翻弄されているのが楽しいのだろう。 ――シュッ!  左オーバーがから投じられる。  僕が少し感情的な炎を胸に秘めながらボールを見る。  ボールはスライド――スペンシーさんを討ち取ったスライダーか。 「今!」 ――特技【鬼神斬り】!  僕は一か八かの大技を発動させる。 ――カツーン!  乾いた音が響く。  当たった――どうやら技は成功したようだ。 『打ったァ! これはホームランか!?』  小前さんの実況があるならそう述べるだろう。  引っ張り気味に捉えたボールはレフトスタンドへ運ばれる。  だが……三塁塁審が両手を大きく掲げた。 「ファール!」  ファールコールだ。  大飛球はファールゾーンへと切れてしまった。  僅かばかりの心の揺れが打球に現れてしまったのだろう。  タイミングが早すぎた。 「フム……」  鐘刃は少し表情が崩れる。 「あまり煽るのは危険のようだぞ。明確なる殺意が込められた打球であった」  そう述べると鐘刃自らがアルストファーに何かのサインを送る。 「その素晴らしい闘争本能に敬意を表し……」 「お、お待ちを――あれは!」 「本物の変化球をお見せしよう」  鐘刃はアルストファーを無視して、そのまま投球モーションに入る。  何を投げようというのだ。直球か? 変化球か?  僕は自然と手に持つバットに力が入る。 ――シュッ!  柔軟かつしなやかで鋭利なフォームから繰り出された。  ボールは直球の軌道だ。 ――ククッ!  スライド回転……またスライダーか。  いや待て……。 ――ズバン! 「ストライクバッターアウト!」 「……ッ!!」  大きく直角に曲がったボールが内角ギリギリを突いた。  僕は見事見逃し三振してしまったのだ。 「何だ今の球は……」  呆然と立ち尽くす僕に鐘刃は無言で答えた。 「スライダーだ」

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