7回の裏が終了し、これから8回の表――ここで絶対に逆転してやる。 (それはそうとして……) 何やら神保さんとオニキアが話し合っていた。 「魔法を使ったわね」 「ンンン? 魔法って何の話だい?」 「あのホブゴブリンに対しての投球よ。私には見えたわ、ホームベース上で真空の刃が発生した――あれは確かに『サイクロンリッパー』!」 サイクロンリッパー!? 風属性の上級攻撃呪文だ。 (いや、神ならば何でもありか……) それにしても、何故僕は今まで気づかなかったんだろう。 あの飄々とした態度、デタラメなほどの投球――オディリス、神という人智を超えた存在ならば当然であろう。 (ということは……) 僕はベンチに座る片倉さんを見る。 (ここに神が二人いるということか?) それはそれとして、オニキアの言葉に神保さんは笑って答えた。 「ハハッ! サイクロンリッパー? 掃除機の名前かな?」 「賢者である私の目は誤魔化せない」 「んふふ……そうか!」 神保さんはジト目でオニキアをみつめる。 「な、何よ、その顔は……」 「君の投球フォームを形態模写したのに怒ってるんだろ」 「ハァ!?」 「それより応援だ。次は君と仲良しな元山君から始まるよ!」 「あ、あなたねえ!」 「ファイト! 元山くーんっ!」 何だか上手く誤魔化されたようだ。 さて、次は5番のファーストの元山から始まる。 元山はバットをブンブンと振り回しながら打席に立つ。 「必ず塁に出てやるぜッ!」 マウンドに立つ黒野を睨む元山、体から微かに赤いオーラが見える。 「気合十分なこったな――がッ!」 黒野は直球を投げ込む。 コースは外角低めのストレート、 「ぬおりャーッ!」 元山はトロルのようにバットを振り回した。 「ストライク!」 「ちィ……思ったよりボールが伸びてきやがる」 バットは空を切った。 黒野の投げるボールは回転数がよくノビとキレがある。 アッパー気味でスイングする元山では、打てないのは当然だろう。 「ふっ……そんなブンブン丸では俺の直球を打てないだろうな」 「うるせェ! プロ野球の裏切り者め!」 肩を怒らせて構える元山、あれじゃあダメだ……。 余計な力みはスムーズな体の動きを阻害する。 そんな元山を見ながら、黒野はマウンドの土をならしながら言った。 「裏切者か――才能ある野球エリートにわからんだろうな」 「わからねェだと?」 「お前、甲子園に行ったことあるか」 「あ、ああ……1回だけな」 「いいよなァ、俺なんぞ地方の弱小野球部で甲子園からほど遠かった」 「な、何が言いたい」 「恵まれた環境、才能あるヤツらだけでやる茶番劇! それが甲子園! 六大学野球! 都市対抗! そして――」 黒野はモーションに入った。 「プロ野球だッ!」 「ス、ストライク!」 「なっ……」 決まったのは高めの直球。 元山は手を出せないまま立ち尽くしかない。 「俺が才能に胡坐をかく、スポーツエリートどもに教えてやる。才無き者の怨念ってヤツを……」 「ハ、ハァ!? 何を意味不明なことを言ってやがる! お前もプロ野球選手だろ! 才能のないヤツがプロなんぞに――」 「それが驕りって言うんだよ!」 「おわっ!?」 投じたのはカーブ。内角ギリギリに決まった。 右打者の元山は内に入るカーブに対し腰を引きながら見逃す。 「ス、ストライク! バッターアウト!」 万字さんのコールが瞑瞑ドームに響いた。 元山は全球見逃しの三球三振に倒れてしまったのだ。 「ど、どうなってんだ……」 「元山?」 「見ろよアラン。この『ケンカ七郎』と呼ばれた俺がカーブなんていう、基礎中の基礎の変化球にブルっちまってるぜ!」 確かに震えていた……あの勝気な元山の手がブルブルと震えている。 その理由は元山のユニフォームを見て理解出来た……。 「袖が……」 元山の袖が裂かれていたのだ。 「どういう理屈かはわからん……これがお前らの住む異世界の力ってヤツなら納得できるんだが、あの黒野という小僧は俺達の世界の人間だ。そもそもBGBGsに何でいるのかもわからん」 そうすると元山はメガデインズのメンバーを見ながら言った。 「あの黒野という小僧は一体何者なんだよ?」 途中入団の元山が彼のことを聞くのも無理はない。 それは元山だけではないオニキアだってそうだし、メガデインズの一軍メンバーだってそうだ。 今年度に入団した投手、それも育成のルーキーのことを全く知らないでいるのが実状だろう。 ここで彼のことを知っているのは、二軍監督だった西木さんやコーチの赤田さん、また僕やネノさんなどの同期入団者だけだろう。 「何者って言われてもねェ……」 赤田さんは困った顔している。それもそうだ。 打撃コーチの赤田さんは投手である黒野の顔は知っているが接点は少ない。 「ふむ……」 西木さんと腕を組んで、黙ってベンチに座るだけだ。 ネノさんは両手を広げながら言った。 「俺らはあいつと同期入団ってことだけで特にな」 「う、ううん……」 「どうした湊?」 湊はマウンドの黒野を見ている。 「彼……いつも孤独だったよ」 「孤独?」 「うん……同期のアランや河合さんが、先に一軍に行って黒野はいつも焦ってた。気分転換に僕やドカが休日は遊びに誘うんだけど『馴れ合いはゴメンだ』って言ってね。練習も一人黙々とすることが多かったよ」 湊の寂しそうな言葉だった。 僕達が住んでいた世界も弱肉強食の世界だ、それはこの世界にあるプロ野球も一緒だ。 一軍という華やかなステージに上がり、人々の歓声を受けながら野球を出来るのはごく僅か……。 紅藤田達のように競争相手を陥れても、一軍へと駆けあがりたい人間もいるのだ。 「彼のボールは常に念がこもっていたよ」 「く、国定さん」 ☆★☆ あれは私が一軍へと昇格する前にする時の出来事だ。 二軍の練習で入団したばかりで私は困った。 このメガデインズに来るのは6年ぶり――当時の私を知るものは嫌悪していたのだ。 私は紅藤田達にハメられ、野球賭博の疑惑をかけられ退団させられたからね。 (一度かけられた汚名は晴れずか……) すると一人の若手選手が話しかけて来てくれた。 「あんたが国定さんかい」 「君は?」 「俺の名前は黒野秀悟。一応ルーキーってことになるかな」 (育成か……) 背番号は004の育成選手。彼が何故声をかけてきたかはわからない。 「キャッチボールしてくれないかな。今日はコーチに登板するように言われてるんでね」 「私でいいのかい? ブルペンで投げた方が……」 「俺は嫌われものでね」 「嫌われもの?」 「生意気なんだとよ。コーチはいいとしても、チームメイトやブルペン捕手にも嫌われてるんだ」 黒野君はチームから孤立していた。あれだけ敵意丸出しでやれば浮くのも当然といえる……。 だが、昨今のプロ野球の選手としては珍しいくらいのハングリー精神の持ち主だ。 「先輩、あんたワケありなんだろ?」 「ん……」 「言いたくないならいいさ。退団した後はどこで野球を?」 「最近までは、イタリアのプロリーグに所属していた。他にクロアチアやドイツで少しな」 「クロアチアにドイツ!? そんなところにも野球があるのかよ」 「世界は広いのさ」 練習を通して理解したのは、この黒野という青年は心底野球が好きだったことだ。 ヨーロッパで行われる野球について、あれこれ質問された。 ――バシッ! 「いいボールだ。よく構えたところに投げられるもんだ」 「コントロールには自信があるんでね」 球速はそれほどないがノビとキレがある。ボールの回転数がいいのだろう。 何よりも絶妙なコントロールがよい。直球や変化球が構えたところにきちんと決まる。 ――カツーン! 「くっ……」 だが、そのコントロールのよさがアキレス腱になる。 球速も変化球もまだまだだ。確実にストライクに来るボールは弾き返されてしまう。 この日の彼は、相手チーム打線に捉えられ大炎上してしまった。 「口だけだな」 「生意気な育成野郎にはお似合いの末路ってかァ」 「コーチである私のいうことを聞かないからだ!」 ベンチに座る彼に私は声をかけられなかった。 試合中の彼は誰も信じていない、目を見ればわかる。 あれは絶望や孤独に沈んでいる者の目だ。
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