さくらやどり
さくらやどり

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 ーーこの国では桜という花は特別な意味を持つ。  春の訪れを告げる薄紅。可憐にて妖艶。どこまでも優しい反面、どこか恐ろしい。  そんな花を宿す存在はきっと高貴で、美しくて、一般人とはかけ離れているのだろうなと思っていた……のだが。 「……嘘でしょ」  ものもらいと診断された翌日、僕の瞼には桜の花が咲いていた。  その上その花は。かつて滅びたとされる桜「ソメイヨシノ」だった。  ソメイヨシノという桜の品種は、かつてのこの国では一番有名な桜の代名詞だった。そう、古い文献にある。かつて鉱妖がいた頃からこの国はずっとその桜を愛してきた。春を告げ、冷たい冬の終わりを告げる花。人々は春の訪れを「花見」というかたちで祝ったのだという。  しかし、この桜は接木で増やされてきたため、同時期に寿命を迎えて滅びてしまったらしい。僕自身も記録映像でしかみたことがない。今の世界にも桜はあるけれど、その後新たに生み出された品種だという。  【花宿り】として登録する際、当然のことながら大騒ぎになった。  滅びたはずの桜、ソメイヨシノの【花宿り】が現れたのだ。しかも、ただの一般人の中に。  ちなみに花宿りというのは、ある日突然人間の体に植物が生えてくる現象を指す。  今の時代では、そこまで珍しいことではないけれど、滅びたはずの植物の種は流石に初事例だったらしい。あっという間に研究所行きが決まった夜に、端末が震えた。 「美野よしの。覚えてる?俺のこと」  メッセージの差出人に息を呑んだ。それは、まだ花宿りになる前ずっと一緒にいた幼馴染からだったから。 「覚えてる。あれだけ一緒だったのに数年ぐらいじゃ忘れないよ」 「今から、ちょっとだけ夜桜見物に行かないか?じゃ、夢見櫻の前で」  春の夜の朧な月の下、夢見櫻はどこか妖艶だった。  一度滅びた桜を蘇らせようと、たくさんの研究者たちが実験を繰り返して生み出した今の世界では一般的な桜だ。基本的な色はほぼ純白で、月の光では蒼く、陽光では薄紅色に見える。暑さや寒さには強いが、数日で散るところは変わらない。 「よお、元気だった?」 「元気だったけど。なんだか雰囲気変わったなあ染井くん」  染井くんと会うのは高校以来、数年ぶりだ。元々茶色かった髪に、今は鮮やかなピンクのメッシュが入れられている。 「大学生だからな。大好きな桜のピンク色だ。まあオレは派手好きだからもう少し鮮やかにしたんだけど」 「本当に桜、好きだよね。……染井くんが桜の花宿りになった方が良かったんじゃないかなあ」  染井くんは昔から桜が好きだった。  春になるたびに誘われて一緒に桜を見に行ったものだ。  彼は引っ込み思案な僕を振り回しつつも、色々なものを見せてくれた。彼に出会っていなければ、きっと知らなかった場所も景色も数えきれないほどある。山奥の桜の花筏、とか。海と桜と沈む夕焼け、とか。 「桜って本当に綺麗だよなあ」  そう言って笑う彼が微笑ましくて、つられて笑うと、 「桜って美野みたいな花だよな」  思えば彼はいつもそう言っていた。もちろん、烏滸がましいので否定したけれど。 「……その瞳」  体を引き寄せられて、まっすぐに覗き込まれる。指先がそっと花びらに触れて、すぐに離れた。 「……桜に攫われちまったのか」 「それって、どういう……」  返事の代わりに、強く引き寄せられて、触れるようにくちづけられた。 「桜は、誰かの大切な人を攫っていく。そういう言い伝えがあるんだよ。もう今のでわかっただろ?……桜羅」  全てがつながった。  彼が、本当にずっと想っていた「桜」は、植物ではなくて。 「……僕の、こと?」 「……ああ」  抱きしめる腕の力が強くなる。 「嫌だ。お前を桜に攫われたくない。研究所に行かせるぐらいならこのまま攫ってしまいたい」  強い風に夢見櫻の吹雪が舞う。泣きたいほどに綺麗だった。 「……ごめん。僕は研究所に行くよ。染井くんと僕が好きな【桜】の美しさをこの世界の人たちにも見せたいんだ。滅びたはずの桜の種がどうして僕に宿ったのはわからないけれど……それができるのは僕だけだから」  腕の力が緩み、力無く解けた。夢見櫻に踵を返して道を分つ。  どのみち、「花宿り」と普通の人間が結ばれることはないのだから。  それなのに、願ってしまう。 「ソメイヨシノは、接木で増える。だったら……染井くんにもソメイヨシノが宿ればいいのに」  そうすれば、僕は彼の思いに応えられるのに。  翌朝。冷たく凍えそうな空気の中で夢見櫻を見上げた。研究所から迎えが来るよりも随分と早く目が覚めてしまったので最後に桜を見にきたのだった。生まれたての太陽の金の光の中で、夢見櫻は同じ色で咲き誇っていた。 「どうして、桜は僕を選んだんですか?」  答えなど返ってこない。  指先で頬にまで伸びた枝にそっと触れる。蕾はだいぶ膨らんでいる。 「桜羅」 「……どう、して……」  柔らかい声に振り向いて息を呑んだ。だって、その腕に咲いているのは。 「……オレにも生えた。ソメイヨシノ。だからひとりで研究所になんか行かせねえ。オレも……一緒だ」  ぽたり。ぽたり。ぽたり。 「……やっぱ嫌だったんじゃねえかお前」 「だって、桜はこの国にとって特別な花だから……しかも滅びたはずの品種だし……枯らしたり……したらって思ったら……怖くて」 「ばーか。桜は、特別なんかじゃない。人々の暮らしにずっと寄り添ってる花だ。だから特別な奴じゃなくて、平凡で桜が好きなだけのオレらを選んだんだよ」  頷くように、風もないのに花が揺れて。 「研究所になんて行かなくていいさ。桜の精霊がいるならきっと、人々の暮らしを見守ることを望むだろう。夢見櫻の近くに部屋借りて、暮らさないか?」 「あ、そうか……【花宿り】同士なら……パートナーになれるんだ。僕は、【花宿り】になってしまったから、染井くんの気持ちを受け入れることはできないって思ってたけど……」  少しだけ背伸びをして、頬に触れるだけのキスをした。 「……桜羅。ずっとずっと。桜じゃなくてお前を見てきた。これからも色々なところへ行こう。まだ、見せてない場所も、一緒に見たい景色もあるんだ」 「うん、染井くんとならどこへでも」  差し出された手をそっと、取る。  朝の光に照らされた道を、これから未来へと歩いていくのだ。 「ところで染井くんっていうのやめろよな。もう紛らわしくないはずだし」 「えっと、じゃあ……義乃」  初めて名前を呼ぶ。  何故かひどく照れ臭くて赤く染まった顔を背けた。

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