◇ ここは棄てられた街の棄てられた図書館。 ここは子供たちと精霊の遊び場。 ここに残された図書は『不幸な結末』を迎えた物語ばかり。 子供たちを大好きな精霊は『幸福な続き』を用意する。 「小さな司書の精霊図書館」 「ハイ」 少し前、『育ちの丘雑貨』で兄・千秋のものすごく珍しい笑顔を見てからと言うモノ、心霊はバイトが終わると毎日のようにこの雑貨店を訪れている。 まるで離れていた時間を埋めるように。 それ以前ならバイト終わりは璃月が心霊の家まで送っていくのが日常化していたのだが今は違う。璃月が送り届けるのは『育ちの丘雑貨』であり、そこで別れ、心霊を家に送る役目は千秋になっていた。 「ご一緒にお話しません?」 と心霊に誘われたことは何度かある。 だが兄と妹、積もる話もあれば家族だからこそ見せる姿もあるだろうと璃月はずっと遠慮し続けている。 璃月からしたならとても複雑な心境だった。 千秋を除けば恐らく一番心霊にちかしい男は自分だろう。 心霊に恋する身としては喜ばしい限りだ。 だが現状千秋を超えられてはいない。 心霊に恋する身としては悲しい限りだ。 まだまだだな、と思う。 そして今日も一人黄昏ながら地威神社の階段を降りている最中ある女性とすれ違った。 緩やかにウェーブのかかった金の髪を胸あたりまで伸ばした女性だった。年の頃は二十代前半と言ったところか。目の色が青かったから白人さん、あるいは白人の血が濃く残っている日本人だと思われる。 こんな時間に神社になんの用だろう? まさか藁人形に釘を打ちに来たわけでもあるまい。 そう思うもののまさか直接聞くわけにもいかず。 「まあ、こっそり願いたい思いもあるか」 と、ぼそりと呟くにとどめて置いた。 一方璃月とすれ違い境内に入った女性はと言うと、社殿には向かわずに『育ちの丘雑貨』を一直線に目指していた。 お店がもう閉店しているのは分かっている。 遅い来訪が失礼に当たることも理解している。 兄と妹が水入らずで語らっているのも把握している。 だが、今日だけはゴメンなさいと心中で謝罪しながら女性はお店の戸をノックした。 なんだか防犯になっていないような戸だが、平和な場所だから大丈夫なのだろうか? それともここにいる人はよっぽど自分の腕に自信があるのかしら? 自分とは関係ないのに女性の心にこんな心配が湧いてくる。 いわゆる善人と言うタイプなのだろう。 「どちらさま?」 「あっ、と」 戸の向こうから男性の声が発せられた。 少しだけ低く、耳に心地良い音。美声と言うモノだ。 そんな声にちょっとだけうっとりしながら、 「怪しい者ではありません」 思わずドラマで観たこんなセリフを言ってしまった。 まずい。あからさまに怪しいセリフだ。あたしはバカか。 言ってから後悔してももう遅いが、それでも女性は落ち込み、しょぼんとした表情で戸に額をつけた。 つけたら、なにやら戸の向こうから小さな含み笑いが聴こえてきて。 ああ、笑われている……。 ますます気持ちを急下降させていると、戸が横に開いてくれたではないか。なんとひと笑いあったことで気を許してくれたらしい。 戸に額をつけていたから体も一緒に左にずれたが、まあ良いさ。 どこかで挽回しよう。 改めて大きな胸をはり、背を正しどうどうとした態度で正面を見据え――心臓が跳ねた。 ここにどんな男性がいるかは聞いていた。 サラサラと風に揺れる一本一本が細い髪の毛、浮世離れした残夜に近い色の瞳、シミ一つない白い肌、ほど良く鍛えられている腕。 誰もが見惚れる美青年。が、体から湯気を発していた。お風呂上がりのようだ。 体から流れてくるシャンプーと石鹼の香りが鼻腔をくすぐり女性の体の中へと入ってくる。 オイ、あんさんどこの王子だい? 「おや、どちらの美人さんかな?」 「むしろ貴方がどこの王子さまですか?」 「ぷっ」 おバカな応対だったのか、王子――千秋の背後から吹き出すような笑い声が聴こえた。 千秋のキザなセリフには慣れているが、それに似たセリフを返す女性は珍しいと思わず笑った心霊であった。 かぁ、と正気に戻った女性の顔はゆでだこ状態。 それでもこれ以上恥ずかしい思いはしたくないと逃げずに気丈に前を見据え、しっかりとした口調で、 「あたしはビビレンツァ。ビビレンツァ・スケッサ。 オーストラリアからやってきました」 こう言い腰を折り、金の髪をサラリとたらし一礼。 「ご丁寧にどうも。 おれはラヴァース・千秋=セハ。 後ろにいるのは妹のトゥルース・心霊=セハだよ」 礼に礼を返す千秋。 心霊も立ちあがり、居間ギリギリまでやってきて一礼。胸元が見えないよう手で押さえながら。 上品な礼だなと思うビビレンツァ。同時に美しい兄妹だとも。 自分だったら間違いを起こしてしまうかもしれない。 三人揃って頭を上げ、一度微笑み合う。警戒も敵意もないですよ、と。 「夜分遅くにごめんなさい。 他の方がいらっしゃらない時間の方がお互い良いかと思いまして」 「気遣い嬉しいよ。 長い話になりそうかな?」 「なるかと思います」 「そうかい。 では中へどうぞ」 「ハイ。ありがとう」 そうして女性が通されたのは雑貨が売られているスペースのすぐ奥にある部屋。真新しいのか、敷かれた畳からは新緑の香りが漂っていた。 畳の上には座卓、座布団、テレビ、があるだけでとても人が暮らす部屋には見えない。小さな台所とお手洗いにお風呂はあるようだが、ここはあくまで休憩するための部屋で、きっと千秋の家は別にあるのだろう。 ビビレンツァが座布団の上に座るとすぐに心霊がお茶を出す。日本茶ではなく紅茶だ。ビビレンツァに合わせてくれたのだろうが仕事が早い。自分ではこうは出来ないなと感心する。 続いて心霊が腰を降ろし、お盆を自分の横に置き、最後に千秋が着席。 二人の前には湯呑があってこちらには日本茶が注がれていた。 「それで、話とはなにかな?」
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