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「本当に……これでいいんのでしょうか?」 「いいんじゃな~い? 双方の王様が良いって言っているんだし」  婚姻の調停は、呆気なく終わった。というか、本当に書類の取り交わしだけで終わってしまった。  アトル様の養父である海の王、トリトン王にご挨拶するのかと緊張していたのだけど……実際は婚約・結婚を承諾する旨が書かれた書類、一定海域内の漁を許可する旨が書かれた書類の二枚が送られてきただけ。  それに国王殿下含め、皆で呆気に取られていたのだけど、国としては一定区画だけとはいえ海の安全が確保されたことが大きな利益だ。 「ジュエリア側は利点がありますけど……海として、この婚約に利益はありますかね?」 「あらぁ、大いにあるわよぉ」  現在、アトル様は国王殿下と宰相であるお父様に呼ばれて、別室で話している。その間、除け者にされた私とマルス様は城内の一室で優雅にお茶を飲んでいた。  懐かしい部屋。一年前まで、私のために用意されていた部屋。内装もベッドがなくなっただけで、大きく変わりはない。私の好きな茶葉が用意され、私の好きな花が活けられている。   それに少しだけ寂しさを覚えないわけでもない。だけど、マルス様はそんな哀愁を吹き飛ばすほど、今日も濃い顔をしていた。 「邪魔者である落とし子を二体、体よく排除できたっ!」  あの……ニヤリと笑う真っ赤な口元には今日もギザギザの歯が並び、とても良いお顔をしていますけど……自分で言って悲しくないのですか?  それが顔に出ていたのか、マルス様が小さく鼻で笑った。ティーカップを持つ手袋をした手が優雅だ。 「そんな心配しなくて大丈夫よぉ。私たちもぉ、あ~んな居心地悪い所で生活するの、ウンザリしてたし。陸の方がオシャレのしがいもあるしね~」  そうですね、マルス様の格好も日に日に派手になってますよね。聞いていますよ、以前ご紹介した洋服屋の顔なじみになっていること。 「まぁ、お二人が満足しているならいいのですが……ところで、マルス様は手袋を外されないのですか? お二人とも、いつもしてますよね?」  海で見たマルス様の爪を、よく覚えている。虹色に輝いて、すごく丁寧に手入れされているのがひと目でわかった。あれを隠すのはもったいない。アトル様も海では普通に素手でしたが、こちらも色は塗られていないにしろ、手入れはされていたと思う。式典などでなければ、普段は手袋をする必要はないだろう。 「あーそれは――」  そんな会話をしていると、扉が二回ノックされた。私が許可を出すよりも早く「どうぞ~」と声をかけるマルス様。「失礼します」と小さく入ってくるのは、彼の主である少年だ。 「ニカ……あのね、ニカさえ良ければなんだけど……」  いつもよりも少し良い格好をしたアトル様の手は、やはり今日も手袋で覆われていた。そして、一通の手紙が握られている。 「ミハエル王子の結婚式、僕も一緒に参加してもいい……かな?」  ジュエリア王国第一王子ミハエル=ジュエリア殿下と、世界を救った聖女リカ=タチバナの結婚式。そんな国を挙げたセレモニーに、宰相の娘である私が参加しないわけにはいかない。  もちろん、私は婚約破棄された身分。それでも、それだからこそ、遺恨がないことを人々に知らしめるべく、笑顔で二人の門出を祝う必要があるのだ。あげく、披露宴パーティでは二人に祝辞を述べる大役もいただいている。二人の友人という立ち位置だそうだ。  それに、私の気持ちなんてまるで関係ない。すべては国のため、世界平和のため。私は一人の貴族として、その役目を全うするだけ。 「はあ……」  私は自分の部屋で、その祝辞の内容を考えていた。ペンが一向に進まない。少しでも時間が空けば、私は最近こればかり考えている。今も結婚式に出席するための衣装を新調すべく、商人を待っているところだ。  だけど、まるで私の手は動かない。ありきたりな言葉でいいのだ。卒のない慶事を並べて、最後に二人ににっこり「お二人の幸せを願っております」と言ってやればいい。人前だからと過度に緊張するほど、やわな『令嬢』ではない。だから大丈夫。私にはそれが出来ると思った上で、国王陛下も大役を任せてくださっているのだから。 「二人の……幸せか……」  ミハエル様は、素晴らしい男性だ。ぜひとも幸せになってもらいたい。  リカ様も、可愛らしい女性。聖女云々抜いても、笑顔が似合う子だ。  そんな二人の幸せを願う言葉なんて、簡単なはずなのに――本当にそこにいたはずだったのは……そんな考えが、頭をもたげる。  どうしても、ミハエル様の隣に立つ自分を想像してしまう。そんな夢、もういくら見たところで叶うはずもないのに。自分で婚約破棄を許可したというのに。私自身、新しい幸せを掴もうとしているのに。なんて未練がましい。なんて醜い。こんな私なんて―― 「ニカ」  気が付けば、一人の少年が私の部屋にいた。また魔法で跳んできたのだろうか。  あまりそういうことはしないように注意を――と思っても、彼の可愛い顔の前に、そんな言葉は出なかった。 「商人さん、来たみたいかな。一緒に素敵な衣装を選ぼう!」  その嬉しそうな顔が、今は苦しい。

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