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 ♢  そもそも、どうして私が人魚と婚約することになったかというと――  私がミハエル王太子と婚約破棄した後、聖女リカ=タチバナは、たちまち元気になった。  世界を救った聖女と、瘴気戦争でも活躍したジュエリア王国王太子ミハエル=ダイアモンドとの婚約に、世界は歓喜。三ヶ月後の結婚式に向けて、世界中がお祭りムード。  それに、私も文句はないわ。だって一年前まで、世界中に広がった瘴気で、誰もが絶望と隣合わせだったのだから。  瘴気戦争。瘴気により活発化した魔物に襲われ、多くの人が死んだ。襲われなくても、瘴気を取り込みすぎて亡くなる人も多かった。  瘴気の原因は、世界の最奥にあるという聖樹が、人間の不浄を取り込みすぎて病気になってしまったから。その病を、聖女は三日三晩聖樹に祈りを捧げることで治したのだ。その聖樹の森に向かう間、そして森の中で祈りを捧げている最中も、魔物の猛攻は激しかったという。その一連の戦いを『瘴気戦争』と呼ぶようになったの。  瘴気が晴れ、魔物も沈静化されるまで、およそ三年。三年間の鬱憤を晴らすべく、少しくらい浮かれたって誰も咎めやしない。私だってそうだ。本当なら街に下りて、何も考えず美味しいものを食べたり、笑いながら踊りまわりたい。  だけど、そうもいっていられないのが貴族令嬢。ましてや、私は宰相アントン=スーフェンの一人娘。たとえ王太子と婚約破棄したとしても、今後家督とスーフェンの血を繋ぐためにも、しっかりと嫁ぎ先で励まなければならない。それに、聖女にああ言った手前もあるしね。  しかし、 『すまない。また見合いを断られてしまった』 『そうですか……』  国王の右腕であるお父様が、肩を落としている。それに私も嘆息するしかなかった。  これで、見合いを断られるのは三十回目だった。  始めは前向きだったが、こう数を重ねられると、さすがに落ち込む。  敗因は明白。  理由その一、『元』王太子の婚約者という肩書が重すぎるとのこと。  世界一大国のジュエリア王国の王太子より、格が上の貴族はいない。ミハエル様と比べられるとして、誰もが引け目を感じてしまうという。  婚約破棄の本当の理由を知る者は、みんな同情してくれる。だけど、社交界ではいらぬ噂も立つというもの。邪推が尾を引いて、私がとんだ悪女だったとか、そんな可哀想な王太子を聖女が真実の愛で救ったとか、様々な話があがっているらしい。  ミハエル様含む国王陛下は、きちんと真実通り、聖女の病を公表した。それでも未だ私との婚約破棄は『不貞』なのではないか、との声もあり……それもあって、私はたちまち『重い女』となっているらしい。  理由その二、捨てられた女だから。  これは簡単。いかなる理由があろうと、元はきちんと婚約していた女が捨てられたのだ。他の男が手をつけた女を嫌だというのは、正論だろう。もちろん、貞操は正式な結婚までと守っていたのだけど……そんなことは、当の本人しかわからないこと。  理由その三。私が行き遅れた年増だから。  本来、貴族令嬢は十代のうちに結婚する。しかし、瘴気問題の兆候が出始めたのが十年前。それが深刻化し、聖女が現れたのが三年前。解決したのが一年前。そんな世界規模のトラブルの渦中に、結婚式なんて挙げられるはずがない。  そうこうしているうちに、私は二十四歳で婚約破棄された。現在は二十五歳。たとえ華のある薔薇色の髪が綺麗だろうと、四肢がどんなに滑らかだろうと、どれほど気品ある顔立ちをしていようと。どんなに十代の小娘にない色気があると褒められようと、行き遅れは行き遅れ。どうせ正式に貰うなら若い娘を――その願いも正論すぎて、ぐうの音も出ない。  そういうわけで、見合いに悪戦苦闘した一年。見合い失敗も三十回に到達した時、お父様は言った。 『もしヴェロニカさえ良ければ、一つ提案があるのだけど』  なんだろう、もう嫁ぐことは諦めて為政に励めとでも言うのだろうか。それとも、修道院に出家して神に仕えろと言われるのだろうか。  あまり喜ばしい提案ではないけれど、それが家を守ることに繋がるのなら――と覚悟を決めた時だった。 『海の異種族に嫁ぐのはどうだろう?』  海――その情報は、私の耳にも届いていた。  瘴気戦争が終わるまで、海は魔物が住む場所として、誰も立ち入れてはならない場所とされていた。海に入れば、魔物の歌に誘われ、食われてしまう……それは子供でも知っているおとぎ話。だけど実際は、陸の瘴気を嫌悪していた海の生物が、人間を毛嫌いしていた結果らしい。  今回、聖女のおかげで瘴気が薄まった。そのことに興味を持った海の種族が、陸の人間に接触してきたのだ。これから交流を持ってみないか、と。海の人魚は、魔法という未知の力が使える。いわば、知性ある魔物だ。そんな彼らからの提案を、無条件に拒否できるわけがない。  その架け橋にならないか、とお父様は言う。 『海の人魚という種族の王子と婚約の話がある。陛下も、ヴェロニカならば……と言ってくださっているのだが、どうだろうか?』  最近発覚した異種族。これほどまでに物騒で危険な嫁ぎ先は、前代未聞。それに当然、私は武器を持ったことがない。未来の王妃として、学問やマナーの英才教育を施されただけの女。何かあった所で、自分の身を守る手段はない。ただの行き遅れた元王妃候補。  だけど、そんな私だからこそ、人間の代表としてどこに出しても恥ずかしくないという。  そして、そんな私だからこそ、何かあっても『不幸な事故』と切り捨てられるのだろう。  私の価値なんて、しょせんそんなものよね。  私は自身を鼻で笑い、 『お引き受けいたします』  誰に見せても恥ずかしくない、完璧なお辞儀を披露した。  ♢  ボンボコ響いていた太鼓の音が止む。  我に返った私が慌てて拍手をすると、達成感満載の人魚王子が期待に満ちた眼差しを向けてきていた。  うっ、可愛い。純粋無垢なキラキラした瞳が、すごく可愛い……‼︎  だから、子供のお遊戯を褒めるような感覚で声をかける。 「とても素晴らしい踊りでしたわ。それが海の伝統的な舞ですのね」 「あ、その……いや……」  だけど、なぜか王子は気まずそうに視線を逸らす。今にも泣きそうだった。  え、すごく普通のことしか言っていないわよね? お父様と顔を見合わせても、私の発言に問題はなさそう。ただ一緒に困惑するだけ。 「ご、ごめんんさいっ!」  そして王子は駆け足でこの場を立ち去ろうとした。だけど、どてんと転ぶ。それにますます顔を赤くして、今度こそどこかへ逃げて行った。  一連の流れを唖然と見守るしかなかった私たち。彼の付き人の大きなため息が響いた。 「あのヘンテコな踊りねぇ、陸の舞のつもりだったのよぉ」 「え?」 「その反応からして、やっぱり違うのね。一応、海にあった書物で陸の文化を勉強したつもりだったんだけど……ちなみに、あの子の話し方はどう思った?」 「あの……少々煽られているような気はしましたが……」  さすがに「気持ち悪かったですっ!」と正直に言うわけにはいかない。  だけど、私のわずかな言い淀みで伝わったようだ。 「やっぱりねぇ。アタシも『拙者』とか『ござる』とか気持ち悪いと思っていてさぁ……でもひとまず、言葉自体は伝わるようで良かったわ。陸の言葉覚えるの大変だったのよぉ。二本足で歩くのもね」  私が付き人の言葉を理解するよりも前に、彼はズカズカと私の前に歩いてくる。そして腕を掴まれた。 「悪いけどぉ、ちょっとこの子借りていい?」  言われたお父様の顔は難色をしめるものの、「少しならば」と許可を出す。  言うなれば、ここは敵陣。相手は二人。私たちも二人。友好的に婚約を結ぼうというのに、物騒な兵士は連れてこれなかった。そのような場で、計り知れない相手に対して機嫌を損ねる選択肢を取るか否か――これはもう賭けでしかない。  表情が固い私たちを見て、その付き人は笑った。 「大丈夫よぉ。獲って食ったりしないってばぁ。アンタたちなんて、食べごたえなさそうだし」  真っ赤な唇の間から、ギザギザとした白い歯が見える。

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