恋文百景
第二景 立花深雪の物語~駿州江尻と甲州三島越

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 兄を乗せた小舟は海に流れてゆきます。 「兄ちゃん!しかばねは拾ってあげるわ!」  実際には権藤さんがいるので、そんなことにはならないでしょう。  その点は安心です。  わたしはただ兄の手から離れた巨大な恋文だけを見つめていました。  兄の想いは強風にのって空に舞い上がります。  ぎこ、ぎこ、ぎこ。  立ちこぎをするわたしの自転車は、錆びついた唸り声をあげます。  海風はすべてを錆びつかせるのです。   「まったくもう!」  雨粒がわたしの体に打ち付けます。  突風が髪を張り付かせました。    思えば、桜子ちゃんは最初からわたしたちのことなど見てはいませんでした。  その目はいつも遠く空のかなたを見つめていたのです。  兄の想いが届くはずなどありません。  失恋確定です。  それどころか、わたしたち全員の想いすら届かないでしょう。   それなのに、なぜ、こんなに必死なのか。 「まったくもう!」  わたしは自転車を走らせ続けました。  ついに、兄の恋文は県道沿いの一番高い松の木のてっぺんに引っ掛かりました。 「どうしよう、、、」  わたしは大木を見上げて、途方にくれました。  わたしは浴衣でした。  下駄をはいていました。  それに、可憐な女子中学生です。  この木に登らない理由ならいくらでもあるのです。    でも、私は登りました。  兄の想いを伝えたかったのです。  それがなぜかは、分かりません。    これでも、「木登りミユちゃん」と呼ばれた女です。  ディスアドバンテージをものともせず、わたしはついに兄の恋文をその手につかみました。 「どうしよう、、、」  そうして、わたしは再び途方にくれました。  降りるすべがありません。  登るよりも降りるほうが、はるかに難しいのです。  その時です。  県道の彼方から、一台の原付が走ってくるのが見えました。  わたしは覚悟を決めました。  ここでやらねば女がすたります。 「南無三!」  そう言って、わたしは、飛びました。  

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