俺の原付が火を噴いた。 正確に言えば、俺のじいちゃんの原付だ。 隆一を乗せた漁船は海に流されて行き、見えなくなった。 深雪ちゃんはいま、空から落ちてくる。 俺は落下地点に滑り込んだ。 左腕で深雪ちゃんを受け止める。 鍛え上げた左腕に感謝だ。 「ありがとう、たもっちゃん!」 「おうよ!しっかりつかまってな!」 ベトナム・スタイルで深雪ちゃんを膝の間に収めた。 深雪ちゃんの浴衣のすそが舞い踊る。 前から見れば嫁入り前の娘にはあるまじき、破廉恥な姿になっているだろう。 だか、それも厭わない。 「フルスロットルだぜ!」 俺は右手を全力でひねった。 「ちっ!?俺が乗るにはピーキーすぎだぜ!」 76年製の小熊ちゃん。 どれだけアクセルを開けても、スピードメーターは30を超えない。 「くそっ!」俺は言った。 昔から、桜子は別格に可愛かった。 もちろん、俺も桜子の虜だった。 でも、俺は早々に諦めた。 桜子は俺たちのことなんて全然見てなかったからだ。 だけど、隆一だけは頑なに桜子を見つめていた。 あいつの馬鹿さに、俺は賭けてるんだ。 「もっとだ!もっと、飛ばせ!」 俺は右手が引きちぎれるほどにアクセルをひねった。 原付のエンジンはびーんと甲高い音を立てて、スピードメーターが40を指す。 そしてようやくだ。 桜子を乗せた黒い高級車が見えた。 同時にパトカーのサイレンが聞こえる。 追うものと追われるもの。 数珠繋ぎの追走劇。 「そこの原付。停まりなさい」 パトカーのスピーカーの音が、すぐそばに近づいた。 俺は高級車の横に並び、窓をドンドンと全力で叩く。 「何事だ!」桜子の親父さんが窓を開ける。 「保と深雪ちゃんじゃない」桜子が驚きの声をあげた。 俺は深雪ちゃんからぐしゃぐしゃに濡れた巨大な恋文を受け取った。 「ん」と言って、不器用に差し出す。 「あら、ありがとう?」桜子はいぶかしげに受け取った。 そうして。 俺たちは警察の皆さまのお世話になった。 いつの間にか雨は上がり、雲間からは一筋の光が射している。 「やってやったぜ」 俺は天に向かって呟いた。
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