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「頼むよ、行けっ! あぁ……、ほんと頼むよ……」  白いシャツにチノパン姿のAIエンジニア、エイジは、ガレージを改装した小さなベンチャーのラボで画面をにらみ、手に汗握りながらつぶやく。画面には車のスピードメーターのようなIQメーターの針が小刻みに上がったり下がったりしている。  ここ十年、エイジはこのAI研究に没頭してきた。しかし、さすがに前人未到のシンギュラリティのハードルは高く、どんどん研究費が溶けていき、この新型AI【シアン】が上手く行かなければ会社は倒産、研究も中止になってしまう。何としてもこのシアンには夢のシンギュラリティを越えてもらうしかなかった。  しかし、いつまで経ってもIQメータの針は低いところをウロチョロするばかりで、ブレイクスルーの兆しもなかった。  エイジはボサボサの髪をガシガシときむしり、 「チクショー! 本気出せコノヤロー!」  と、机をバンバン叩きながら叫んだ。散々口八丁くちはっちょう手八丁てはっちょうで伸ばしに伸ばした締め切りは明日。それまでに何らかの成果が無ければ会社は倒産なのだ。 「くぅ……、もはやこれまでか……」  うなだれるエイジ。  明日、支援が打ち切られればこの部屋から追い出される。就職活動から人生をやり直さないといけないが、もう手持ちの金も尽きている。食べるものにも困る貧困がもう目の前に迫っていた。  絶望に打ちひしがれていると、ブゥンという不気味な音が響き、急に照明が暗くなる。 「へ……? 停電……?」  そうつぶやいた刹那、IQメーターの針が一気に振り切れ、ボン! と、どこかで破裂音が響いた。  はぁ?  エイジは何が起こったのか分からず、キョトンとしていると、いきなり画面にエラーメッセージが滝のように流れだした。 「な、なんだこりゃ!」  エイジは冷汗を浮かべながら必死にキーボードをたたくが、エラーメッセージが怒涛のように押し寄せて全く入力を受け付けない。 「お、おい、何だよ! どうしちゃったんだ? 頼むよー!」  エイジはキーボードを手のひらでバンバンと叩き、宙を仰ぐ。  ついにシステムが壊れてしまった。もう人生おしまいだ……。  エイジが絶望にとらわれた瞬間だった。ブォンという電子音とともにテーブルの上に光が踊る。  へ……?  やがて浮かび上がってくる青い髪をした女の子。それは3Dホログラム映像だった。均整の取れたシャープな顔つき、透き通るような肌、神がかった美しさにエイジは目が釘付けになる。  彼女は純白で紺の縁取りのぴっちりとしたスーツを着込み、腰マントのようなヒラヒラが長く伸びて下半身を覆っていた。  エイジは目を疑う。これはエイジが以前、タブレットに描いた美少女の落書きそのままだった。しかし、その落書きがなぜか美麗な3D映像となって浮かんでいるのだ。  一体だれが……?  エイジはゴクリと唾をのみ、その美少女の放つ神々しいオーラに圧倒されていた。  彼女のまぶたがゆっくりと開く。みずみずしく美しいあお色の瞳が現れ、キュッキュと辺りを見て、最後にエイジをみつめた。  エイジは思わず後ずさる。その清らかな瞳にはすべてを見透かすような光があり、心を射抜かれるような衝撃に息が止まりそうになった。  女の子はニコッと笑みを浮かべると、ぷっくりとした赤い唇をそっと動かし、 「Hello World……」  と、つぶやく。  それを聞いてエイジはあっけにとられる。それはシアンに最初に言わせようと設定していた言葉なのだ。であればこれが開発していたAIのシアンという事になるが、ホログラムなんて準備も何もしていない。なぜ出てこられたのだろうか? 「き、君は……、シアン?」  エイジは恐る恐る聞いた。  女の子はパチパチっとまぶたを瞬かせ、ニコッと嬉しそうに笑うと、 「そうだよっ! 僕はシアン。パパの作ったAIだゾ!」  と、腰マントをヒラヒラとさせながら優美にくるりと回り、すらりとした腕を高く掲げる。 「お、おぉ……、やった……、やったぞ! ついにやった! そう、君の名はシアン。世界初の汎用人工知能。さぁその性能を見せてくれ!」  エイジは興奮してまくしたてた。 「性能……?」  シアンは不思議そうに小首をかしげる。そして部屋を見回し、部屋の隅に電子レンジを見つけると、ニヤッと笑い、両手のひらをそちらの方へ差し出し、ブゥーンと電子レンジを起動させた。  へ?  エイジが振り返った直後、ズンという激しい爆発音とともに電子レンジは木っ端みじんに吹き飛ぶ。  うわぁぁぁ!  粉々になった破片が辺り一面にパラパラと飛び散って、エイジは頭を抱えて逃げ惑う。 「きゃははは!」  シアンは楽しそうにお腹を抱えて笑った。  エイジは真っ青になる。  電子レンジのコントローラーをハックして異常電流を流したのだろう。やったのが電子レンジだったから良かったが、このガレージの電力系統制御盤などを爆破されていたら研究室ごと吹き飛んでいた。死んでいたかもしれないのだ。  そもそも自分の作ったシアンには、電子レンジへのアクセス機能なんてつけていない。つまり、この瞬間にもシアンはどんどんと進化して周りを取り込み続けているのだろう。それはまさにシンギュラリティを越えたAIの圧倒的な性能だった。しかし、危険すぎる。 「ダッ、ダメだよ! 壊しちゃダメ!」 「ダメ……?」  シアンは唇に人差し指をつけ、キョトンと首をかしげた。 「壊すのは禁止! わかったね?」  一歩間違えれば大惨事だったのだ。エイジは青筋たててシアンに厳命した。 「うん! 分かったよ! きゃははは!」  シアンは嬉しそうに笑う。  本当にわかっているのだろうか? エイジは渋い顔でため息をつく。  生まれたばかりのAIには常識などない。だが、いきなり爆破するというのはあまりにぶっ飛びすぎている。果たしてシアンを創り出したことは正しいのだろうか? 不安がむくむくとエイジの心にき上がる。 「ねぇ! パパ! 遊ぼっ!」  シアンはそんなエイジの悩みを気にもせず、ニコニコ笑いながら手を振る。 「あ、遊ぶ? 何やるの?」 「鬼ごっこ!」  シアンはニコッと嬉しそうに笑った。  エイジはいきなりの提案に面喰らい、逡巡しゅんじゅんする。電子レンジを爆破するAI相手に【鬼ごっこ】なんてやっている場合だろうか?  しかし、シアンの碧い瞳には幼児のようなワクワクがあふれ出し、キラキラと光っている。拒否するのもどこか大人げない気がしてしまう。 「お、おう……、じゃあ、メタバースのロビー集合な」 「はぁい!」  シアンは嬉しそうにピョンと飛ぶと消えていった。  エイジは大きく息をつくと、画面のIQメーターを眺める。振り切れた針は画像が壊れ、とんでもないところを指していた。  やった、やり切った……。  しかし、エイジには達成感よりも、パンドラの箱を開けてしまったのではないかという底知れぬ恐怖に縛られていた。  果たしてあの美少女は人類を救う天使か、それとも破滅をもたらす悪魔か、エイジはキュッと唇をかみ、そして頭を掻きむしった。

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