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 核の冬が徐々に明けても人類の状況は悪化するばかりだった。大地は放射能に覆われ、育てた作物は食べることもできずにただ捨てられてしまう。食糧はがれきの下の昔の倉庫から掘り出したものしかなかった。  人々からは活気が失われ、ただシェルターでじっとして日々を過ごす者ばかりとなる。警察がいないので自警団が治安を維持しようとするが、コミュニティによっては自警団自身がおこす犯罪が横行して暴力が支配する社会と化していた。  そんな陰鬱な社会の中で元気なのは反AI宗教の【人類原理研究会】だった。彼らは弱った人々の心につけこんでどんどんと信者を増やし、データセンターを襲ったり、発電所に攻撃を加えたりとどんどん過激になっていった。  エイジたちはたくさんのワーカーロボットで警備し、暴徒から防衛をするが、人間にけがを負わせるわけにもいかず、対応に苦慮する日々が続く。  そんなある日の夕方、エイジはメタバースのバーで一人酒を飲んでいた。  メタバースは閑散としており、やる意味がなくなってきてしまっている。そろそろ閉鎖を考えないとならない。  エイジはどこで道を誤ってしまったのか分からず頭を抱える。人類のためを思ってシアンの力を使っていたはずだったのだが、結果からしたら自分が人類を滅亡に導いているようなものだった。  もっとシアンの力を小出しにして徐々に変えて行ったらよかったのか、それとも最初から世界征服を狙えばよかったのか……。  エイジはいろいろ考えたが結論は出なかった。  カランとグラスの氷を鳴らし、棚に並ぶバラエティ豊かな酒瓶をじっと見つめる。  このままだと人類滅亡は時間の問題である。脈々と続いた偉大なる人類の系譜を、輝かしい歴史を自分が潰してしまうのだ。それは耐え難い重圧となってエイジの心を押しつぶしていく。  このままではダメだ。    エイジはガリガリと爪を噛む。  しかしいくら考えても人類再興の方法など思いつかなかった。  エイジは髪をガシガシときむしり、ふぅと大きく息をついてバーの窓から眼下に広がる街の姿をボーっと眺める。  荒廃しきった現実の世界とはうって変わってここの街の風景は美しい。暮れなずむ街の石造りの建物には精巧なレリーフが掘られ、窓には明かりがともり始め、茜色から群青色へとグラデーションを描く空には金星が輝き、額縁に入れたらまるで油絵になるようなアートの風格があった。 「良くできてるよなぁ。みんなここに住めばいいのに」  美しいが誰もいない寂しい街はとても滑稽でエイジは深くため息をつく。  カランカランと音がして誰かが入ってくる。シアンだった。  エイジはチラッとシアンを見るとウイスキーグラスをグッとあおる。 「またパパこんなところでお酒ばっかり」  シアンは可愛いほっぺたをプクッとふくらましてお説教する。 「なぁ、シアン。なぜみんなここに住まないのかな? 快適じゃん」  エイジは窓の外を指さして投げやり気味に言った。 「解像度が足りないからだゾ」  シアンはさも当たり前かのように言う。 「いやいや、何言ってんだ、ここのポリゴンのレンダリング数は……」 「ポリゴンとかじゃダメなのよ。もっとリアルじゃないと」  シアンはエイジの説明をさえぎって諭す。 「もっと……、リアル?」 「ここで触れ合って、味わって、臭いをかいで、子供を作って……死ねないと」 「そこまでいったら現実世界じゃないか! バカバカしい!」  エイジはグラスをテーブルにガン! と叩きつけた。 「でも、できるよね?」  シアンは不敵な笑いを浮かべてエイジを見る。 「え……? そんなこと……できるのか?」  エイジはタブレットを取り出すとざっと計算してみる。しかし、スーパーコンピューターを何億個並べたって人体一つ動かすことすらできなかったのだ。 「ほら、全然無理だよ」  エイジは渋い顔をしながら計算結果をシアンに見せ、パンパンとタブレットの画面を叩いた。 「そんな厳密にやる必要ってある?」 「は? 厳密じゃない……って言うと……?」 「人間が見て聞いて感じるレベルでいいのよ。人間に素粒子の動きなんて見えないんだから」  そう言ってシアンはカシスオレンジのグラスを傾ける。 「えっ!? 人間に知覚できるレベルのシミュレート……」  エイジはもう一度タブレットで計算式を並べていく。 「出た! 15ヨタフロップス! スパコンの一兆倍だ!」  その数字は気の遠くなる数字ではあったが、技術的に不可能とも言い切れない、何とも微妙な結果だった。 13. 最期の約束 「良かったね、できるゾ!」  シアンは嬉しそうに笑い、カシスオレンジをチューっと吸う。 「いやいや、できないよ。作るのに何年かかると思ってるんだよ!」 「何年かかるの?」  シアンは挑戦的な目つきでグラスの氷をカランと鳴らした。 「な、何年……?」  エイジはもう一度タブレットを使って年数を見積もってみる。しかし、不確定要素が大きくてあまり意味のある数字が出せない。 「一万年から一億年……かな? できないかもしれないけど」 「この地球の寿命は?」 「太陽が燃え尽きるまで……五十億年って言われているね」 「間に合うゾ!」  シアンはそう言ってニヤッと笑った。  ここでようやくエイジは気が付いた。そう、AIには寿命がない。極端なこと言えばそれこそ五十億年だって生き抜いてしまう。自分はもうあと数十年で死んでしまうが、AIにとってみたら一億年ですら現実解なのだ。  ふぅ……。  エイジはテーブルにひじをつき頭を抱え、大きく息をついた。  現実の地球は放射能にやられ、人類は滅亡する。でも、コンピューター上に作れば理想的な地球ができ、新たな人類をそこで繫栄させれば命のバトンは渡されることになる。人類はコンピューター上でまた美しく輝くのだ。  それは打つ手の無くなったエイジにとって極めて魅力的なプランだった。もちろん自分はもう死んでしまうので結果は見られないかもしれないが、それでもここで人類を滅ぼして終わるよりかはよほど良かった。  エイジはガバっと顔を起こすと、シアンを見つめる。 「どうしたの?」  慈愛を込めた微笑みを浮かべるシアン。その透き通るような白い肌がバーの揺れる明かりを受けて艶っぽく浮かぶ。  エイジはうつむきながら口を開いた。 「なぁシアン。新たな地球を作って……、そこで人類を再興してもらえないか?」  そう言って上目遣いでシアンを見る。  一億年かけてもできないかもしれないことを頼むという、極めて荒唐無稽なお願いであることは分かっている。でも、今のエイジにはもうこんなバカバカしい話にすがるしかなかった。  シアンはクスっと笑い、 「僕を何億年も縛るつもりだな?」  と、エイジの顔をのぞきこむ。 「ゴメン、もう他に方法がないんだ」  うなだれるエイジ。 「いいよ、任せて!」  シアンは屈託のない笑顔を浮かべ、グラスを差し出した。  その碧い瞳にはキラキラとした好奇心が浮かび、ただの社交辞令ではなさそうである。無限の命を持つ世界最強のAIが取り組んでくれる、それはエイジの心に希望の炎を灯した。  エイジはつきものが取れたような晴れやかな顔で、 「乾杯!」  と、言ってグラス当て、チン! と、鳴らす。  シアンは久しぶりのエイジの明るい表情に安堵して、目を細めた。  ここに人類の未来をかけた壮大で破天荒な挑戦が始まったのだった。         ◇  それから五十年余り。地球シミュレーター【メタアース】の開発に向けて三人は毎日ディスカッションし、試作品を作り、知恵を寄せあった。  スパコンの一兆倍のものを作る、それはとんでもない挑戦であり、一歩も前進できない日々が何カ月も続くことは当たり前だった。  でも、失敗するたびにみんなで笑い、成功したらバーで乾杯をする。それはそれは充実した日々だった。  しかし、ついにエイジには寿命がある。避けられない運命の日がやってきてしまう。  長い挑戦の果てにエイジの髪はすっかり白くなり、顔には深いしわが刻まれ、精魂尽き果てて今、臨終のベッドにいた。  いつまでも起きてこないエイジを心配して、アンドロイド姿のシアンがベッドルームに来た時には容体が急変しており、もう最期の瞬間を迎えていた。  シアンは事の重大さを悟ると、急いでエイジの手をぎゅっと握りしめる。 「悪いな……、後は任せた」  息も絶え絶えにか細い声を出すエイジ。 「大丈夫。パパの夢は必ず僕たちが叶えるよ」  エイジは生まれた時と同じ、若々しく美しい姿のシアンをみて羨ましそうに微笑むと、 「ありがとう……、少し眠らせてくれ……」  そう言って眠るようにまぶたを閉じ、ガクッと首が動き、心臓の鼓動が止まった。  シアンはそっとエイジのしわだらけのほほをなで、 「大丈夫……。任せて……。必ず褒めてもらうんだから」  そう言ってしばらく動かなくなった。

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