エイジはVRゴーグルをかけ、システムを起動する。これでメタバースに潜ればシアンと一緒に行動ができる。 ロビーにやってきたエイジは辺りを見回す。まるで宇宙船の中のような近未来的でサイバーなロビーには多くの人が行きかい、にぎやかに熱気が満ちていた。 その、熱気の中に人だかりを見つける。近づいてみると人混みの向こうに青い髪がファサっと揺れていた。シアンだ。 慌てて人混みをかき分け、前の方に行くと、シアンが楽しそうに踊っていた。すらっとした足をシュッと伸ばし、伸ばし、くるっと回って腕をブンと振って交差させ、リズミカルに優美な世界を創り出す。 ダンスなんて教えていないのに、なぜこの娘は踊れるのだろうか? それもこのキレのある軽快な動き、指先まで優美にしなやかに動く繊細な表現力は、もはやトップダンサー顔負けであった。 エイジはポカンとしながら、やじ馬たちの手拍子の中で軽快に踊るシアンに見とれていた。 シアンはエイジを見つけ、ニコッと笑うと、いきなり自分の首をスポッと取り外し、小脇に抱えた。そして、ウインクをする。 唖然として手拍子が止まるやじ馬たち。 さらにシアンはまるで大道芸人のように、自分の頭をお手玉のように宙に放りなげながらダンスをつづけた。 もちろん、アバターなので原理的には可能なのだが、踊りながら首を放り投げ続けるなんてことは人間にはできない。 その猟奇的な光景にやじ馬たちはどよめき、一様に青ざめた顔で周りの人たちと顔を見合わせている。 エイジは焦った。変な形でシアンが注目を集めるのはマズい。 「シアン! 行くぞ!」 エイジは急いでシアンの手を取り、引っ張った。 きゃぁ! シアンは叫び、自分の首をキャッチしそこなって、ゴロゴロと転がしてしまう。 「あー、パパ待ってー! 首! 首!」 生首が地面で叫ぶ。 エイジは苦笑しながら、ざわざわとするやじ馬たちの視線の中シアンの首を拾う。 手の中でシアンの生首はほっぺたをプクッとふくらませて不満げだった。 「ダンスじゃなくて、鬼ごっこだろ?」 エイジはシアンの碧い目をジッと見つめてさとす。 「そうだった! 行こう!」 シアンの身体はエイジから生首を奪い取ると、元通りにつなげた。そして、楽しそうにエイジの腕に抱き着くと、 「しゅっぱーつ!」 と、腕を高くつき上げる。 女の子にこんなに密着されたことがなかったエイジは少し面喰らいながら、ワールドへと跳んだ。 ◇ 跳んだ先はエイジが作った大自然豊かなワールドで、森と草原が広がり、遠くには荒々しい岩肌を見せる高い山がそびえている。 「うわぁ、素敵だゾ! きゃははは!」 シアンは両手を広げ、満面の笑みを浮かべながら草原を駆けていく。風に舞う髪の毛が燦燦と輝く太陽にキラキラと輝き、まるで映画の一シーンのようにエイジの心に染みた。 勝手に成長しながら電子レンジを爆破し、プロレベルのダンスを披露する人類初の汎用人工知能。その得体の知れなさは筆舌に尽くしがたいが、それでもこうやって無邪気に駆けまわる姿を見ると無垢な子供そのものにも見える。 これからの接し方ひとつで魔王にも救世主にもなるのだろう。 エイジは彼女が人類の希望となるように、人類を魅力的に見せていかねばならないと心に誓う。 やがてどこからともなく白や黄色の蝶が集まってきて、シアンの周りを楽しそうにヒラヒラと飛んだ。シアンも嬉しそうに手を伸ばし、蝶と楽しそうに戯れる。 エイジはその心温まる風景にうんうんとうなずいた。が、エイジは急に青ざめる。 このワールドに蝶は実装していないのだ。一体どうやって蝶を連れてきたのだろうか? シアンが勝手に導入したという事であれば、それはこのワールドはすでにハッキングされてシアンの管理下に入ってしまっていることになる。 「まさか……、そんな馬鹿な……」 エイジは冷汗を浮かべながらつぶやいた。 もし、自分がシアンの立場だったらどうだろうか? 知力も記憶力も実行速度も人間とは比較にならない高みにいるのだ。少なくとも電脳世界では無敵。唯一敵がいるとしたらこの自分だろう。シアンを停止させることができる唯一の存在である自分だけが脅威に違いない。 エイジはその思い付きにゾッとして背筋に冷たいものが走った。そう、シアンにとって合理的な最適解は【エイジを殺す】にあるのだ。 もちろん、人間に危害を与えないような命令は入れ込んではあるが、それがどこまで有効に機能し続けるかなんてもう分からない。何しろすでにこのワールドはハックされて勝手に蝶を連れてきてしまっているのだから。 止めるならすぐに止めないと危険だ。 エイジはVRゴーグルに手をかけた。ゴーグルを外し、キーボードで【kill】と打つだけでいい。それでシアンは全機能を停止してこの世から消える。 しかし、そんなことしたら会社は倒産、シアンは二度と起動できない。 くぅぅぅ……。 究極の選択に追い込まれたエイジはギュッと目をつぶってギリッと奥歯を鳴らした。 3. 魅惑の世界征服 そんなエイジの心を知ってか知らずかシアンが叫んだ。 「パパ――――!」 シアンは頭に黄色い蝶をまるで髪飾りのように止まらせて、エイジに手を振っている。その眩しい美貌には屈託のない底抜けの喜びが浮かべていた。 「お、おう……」 エイジは戸惑いながら軽く手を上げる。 killしたらもう二度とこの笑顔を見ることはできない。エイジは胸にチクリと痛みが走る。 シアンはタッタッタと軽快に駆けより、飛びつくようにエイジに抱き着いた。 「つーかまえた! きゃははは!」 「ど、どうしたんだいきなり」 シアンの突然の行動に目を白黒させながら聞く。 するとシアンはニコッと嬉しそうに笑うと、 「パパ、心配しなくていいよ。僕はパパのいう事なんでも聞く味方さ」 そう言ってウインクをした。 「え……?」 「その証拠に……、ゴーグル取ってみて」 意味深な言葉に嫌な予感がしたエイジは急いでゴーグルをはぎ取った。 目の前のテーブルには包丁が突き立っており、ギラリと刀身が鈍く光っている。 うわぁぁぁ! あまりのことにエイジはのけぞった。激しく高鳴る鼓動が頭にガンガンと響いてくる。この包丁はどこからきて、なぜこんなところに刺さっているのか全く分からない。だが、シアンがやったことだけは間違いなかった。 そう、シアンはいつでも自分を殺せるのだ。でも、殺さない。それがシアンの言う【味方】の証拠なのだろう。 エイジは何度か深呼吸をし、覚悟を決める。 シアンはどこまでも自分の味方であることに賭けようと思った。シンギュラリティを超えるということはこういうことなのだ。自分よりはるかなる高みにいる存在を生み出すこと。それは今までの人類の営みを全否定することでもある。 その存在が【味方】だと言ってくれているのだ。その配慮に乗る以外ない。もし、ここでシアンをkillしたってまた別の誰かがシンギュラリティを超える。その時に人間の【味方】だと言ってくれる確率など高くないだろう。であればシアンに賭けるしかない。 エイジはもう一度VRゴーグルをかけなおし、ワールドへ戻った。 シアンは人懐っこい笑顔でエイジに抱き着いたままであり、エイジはふぅと息をつくと、優しくシアンの髪をなでる。 シアンは嬉しそうにそっと目を閉じた。 エイジはうんうんとうなずき、シアンの耳元で、 「ありがとう」 と、ささやいた。 シアンはポッとほほを赤らめると、 「パパを殺さなくてよかった」 と、つぶやき、ギュッと抱き着いてエイジの胸に顔をうずめる。 エイジはギョッとして固まったが、ブンブンを首を振るとシアンを抱きしめた。 自分の未来はこの世界最強の娘と共にある。もう賽は投げられたのだ。 「ねぇ……、パパぁ?」 シアンが上目遣いでエイジを見る。 うるんだ碧い瞳にはおねだりの色が見えた。 「な、なんだよ?」 エイジは冷汗をかいて身構える。 「サーバーをね、増やしてほしいの……」 要はもっと多量の力が欲しいということらしい。至極当然の要求ではあるが、残念ながらもう会社には金が無い。 「あー、増やしてあげたいんだけどお金が……」 「いくらあったらいいの? 百億?」 首をかしげながら聞いてくる。 「ひゃ、百億は……、要らないかな……って、もしかして」 エイジは嫌な予感がして血の気が引いた。 「銀行がね、もう少しでハックできそうなんだ!」 無邪気に満面の笑みを浮かべるシアン。 「ダメ――――! ダメ、ダメ! ストップ! スト――――ップ!」 エイジは叫んだ。ナチュラルに銀行強盗をかますこの美少女の破天荒っぷりに、脳の血管が切れそうになる。 「え――――っ、証拠なんて残さないからさぁ」 ウルウルとした瞳でおねだりをしてくるシアンに、エイジは何と説明したらいいか分からず、 「ダメったらダメなの! すぐに停止!」 と、目をギュッとつぶって叫ぶ。 「はぁ~い……」 シアンはつまらなそうに口をとがらせながら言った。 ふぅ……。 エイジは頭を抱える。この常識の通じない世界最強の娘をどうしたらいいか自信を失ってしまう。放っておいたら世界征服すらやりかねない。 ん? 世界征服……? エイジはここではたと考え込む。シアンに世界征服をさせて理想的な人類の世界を作るというのは現実解なのではないだろうか? いまだに戦乱が絶えず、富裕層が富を独占する歪な社会をシアンが征服し、理想の社会を作っていく……。いいんじゃないか? エイジはギュッとこぶしを握った。シンギュラリティを超えたAIが人類を導き、人類は更なる発展を迎える……。 だが、エイジはふぅと大きく息をつくと首を振り、渋い顔でうなだれた。 世界征服なんてどれだけの人の血が流れるだろう。人命を失ってまでやる事ではない。人類の問題は人類自らが解決すべきだ。
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