フローズン・ハードボイルド・エッグ
フローズン・ハードボイルド・エッグ 後編

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 そうこうしているうちに時間もいい感じに潰せた。  エレベーターは窮屈なので、駅ビルを一階一階エスカレーターでのぼっていく。少し時間はかかるけど、ぼくはひとつ階をのぼる度に、全然違った景色が見えるのは嫌いじゃない。  いやまあ、先輩とちょこちょこ来るたびに冷やかしてるから、見慣れてるんだけど。  最上階の映画館はほとんど顔パスだけど、学生証はちゃんと提示する。証明写真に写る金魚鉢ヘッドは、アルバイトのお姉さんの笑いのツボによくはまるのだ。  前に親御さんの運転免許証を見せてもらったこともあるけど、まるで見分けはつかなかった。何の意味があるんだろう。  先輩が観たいって言う映画は、ジャンルとしてはSFものらしい。ぼくは先輩を大雑把に「宇宙人」とくくってしまう程度にはSFに興味がないのだけど、主演俳優が有名だったので了承した。有名どころが演じていれば、内容がわからなくても、話の筋に興味がなくても、ぼちぼち楽しめる。  そもそもぼくは、先輩についてきているだけで、映画自体そこまで興味はないのだ。 『これはねー、二十年代のSF小説が原作でね、金星の町でお医者さんに余命を宣告されたおじいさんが、テラフォーミングして開拓していた若い頃のことを思い出していくっていう構成でね、思い出のお店とか、町の名所とか、若者の愚痴なんかを目にしては、そこから引き出されていくみたいに開拓時代のことを思い出していくって言う感じでね、結構昔の小説なのに金星についてほんと詳しく描写しててね、』  でね、でね、でね、てね、ぼくはよくわかんない用語を交えて熱く語る先輩の、その語尾だけをぼんやり聞き流した。SFは難しいのでよくわかんないのだ。  前にタイムスリップものだかタイムトラベルものだかを見た時も、どういう筋なのかよくわからなかったと素直に言ったら、信じられないものを見るような目で見られた。いや、目なんか見えないけど、あの気まずい沈黙はそう言うことだろう。  先輩がいそいそと買ったパンフレットも、ぼくには理解できない文化だ。先輩の部屋にはぬいぐるみの山に埋もれるようにして、映画のパンフレット専用の本棚がある。映画原作本とかの本棚もあるから、先輩の部屋は本当に圧迫されている。  そろそろその本棚もパンクしそうで、いよいよ先輩の部屋は抜本的な改革を迫られている。というか、服とか化粧品とか持ってないのに何で部屋が埋もれるのか。  電子版にすればいいのに、と本棚なんて持ってないぼくなんかは思うのだけど、なぜか映画のパンフレットは電子化してないのが多いらしい。何時代だ。  映画自体も、よくわかんなかった。  渋い演技で有名な老俳優が、モノローグで淡々と物語る。声が渋くて格好いい。少し聞き取りにくいなまりのある英語も雰囲気がある。字幕は原語の雰囲気を残しながら、あくまでスマートに、簡潔に。内容にあんまり興味のないぼくは、そう言う細かい所を楽しむ術を身に着けてしまった。  いつも騒がしい先輩は、上映中はみじろぎもしない。まるで人形のように座席に深く沈み込んでいる。老人の若かりし頃の横顔が、寂しそうな若者の横顔が、金魚鉢のようなヘルメットにぼんやりと映り込む。 《地球は俺には寒すぎる》 《あなたが行ったら、ここも寒くなるわ》 《すまん。だが俺は凍えている。俺の魂が》 《寒すぎるなんてことはないのよ》 《そうかもしれない》  洋画でよく見る、全然そうだと思ってなさそうな「そうかもしれない」を言い残して、若者は金星に旅立つ。その思い出を引き出したのは、一通の封筒だった。昔の恋人の訃報。彼女の痛烈な皮肉交じりの。  結局覚えているのはそのシーンくらいのものだった。  SFとしてもよくわからないし、人間ドラマも、ぼくにはなおさらわからない。  それでも先輩には大満足のできだったらしい。そうでなかったことがないけど。  ファミレスでお昼ご飯を食べながら、先輩はひたすらに喋りまくった。  ぼくは火傷するほどに熱いドリアを注文し、先輩はそのドリアの熱を食べた。猫舌のぼくは程よい温度でドリアを食べられ、先輩は程々にお腹が満ちる。ウィン・ウィンだ。  もっとも、先輩は喋り過ぎたのかそれでは足りず、追加注文をしたけど。 「はい、お熱くしてますねー、お連れさんはお気をつけて」 『わーい!』 「ありがとうございます」  最近は提供してくれるお店が増えた、アツアツの焼き石だ。  分厚い鍋敷きに、鋳物の鍋、そしてその中でごろごろと転がる炭火と焼き石。突っ込まれた火箸がアウトドア感にあふれる。  店員さんが額に汗をかきながら持ってきてくれるこのやばい代物は、別に加熱用でもないし拷問器具でもない。熱食人用の料理だ。なんでも食べると言われる日本人も、さすがにこれは食べない。  先輩はうっとりとしたように両手を合わせて、火箸で石をつまんで一つずつゆっくりと味わう。  あの形容しがたい吸引音が、ぼくの耳には何となく聞こえる。ような気がする。  炭火が芯までじっくり温めた焼き石は、とても食べ応えがある。らしい。  なにしろ向かいのぼくも熱く感じるほどだ。さぞかしボリューミーだろう。  しかも鍋に戻せば、またじんわりと炭火が温める。長くお楽しみできるわけだ。 「おいしいですか、先輩」 『うん! とってもおいしいよぉ!』 「絵面は意味不明ですけど、よかったです」  そこらにあるようなファミレスの一席で、金魚鉢頭の宇宙服が焼き石を火箸でつかんでて、その向かいには冷めたドリアつついてる高校生。現代アートかな。 『熱を食べるってねえ、やっぱり人間の人にはわかんない感覚だもんね』 「まあ、それを言ったら先輩も冷めてチーズが硬くなったドリアのおいしさはわからないでしょうけど」 『その説明があんまりおいしそうじゃないことくらいはわかるかな』  ぼくは結構好きなんだけど、冷めドリア。 『熱を食べるとねえ、身体があったまっていって、全身が元気になっていくんだ。おいしくって、気持ちいんだよ』 「はあ、あんまりわかんないですね」 『熱源でも「味」っていうのかなあ、おいしい感じが違ってね。焼き石はほわわあんって感じで、夏場のアスファルト道路はじんわあって感じ。今朝のココアは、ぽぽんって感じ』 「聞けば聞くほどわかんないですね」  そもそも味覚と言うか、食べるって概念からして違うんだから、仕方のない話だ。  それでも、おいしいものを食べた時のしあわせな気持ちというものは、きっと共有できると思う。  ぼくは冷めたドリアを、先輩は熱々の焼き石の熱を食べながら、映画の感想とか、次は何を観ようかとか、冬休み中にどこか行こうかとか、とりとめのない話をした。  それは勘違いしたアートみたいな変な光景だけど、中身はそこら辺の高校生みたいな普通の会話だったと思う。 「そう言えば先輩、進路どうするんですか」  という話題に進んだのは、期末試験が散々だった先輩を心配してのことだった。 『進路かー、まだ一年あるしなー』 「もう一年しかないんですよ。早い人はもう準備してるんじゃないですか」  うちの学校は一応進学校だけど、高卒で就職する生徒もある程度はいる。らしい。 「ぼくは市内の大学に行くつもりです。別に何かやりたいわけでもないですけど」 『ワタシも大学かなーとは思うんだけど……もしかしたら就職するかもなー』 「就職」  思わず先輩を見つめてしまった。  なんとなく先輩が進学する大学に、自分も進学していくんだろうなと、そういうつもりでいたから、なんだか急にはしごを外された気分だった。  ふわっとした曖昧な進路計画が、就職とかいうソリッドな言葉に、突然にかき乱されてしまった。  先輩はアンニュイに焼き石をもしゃもしゃしながら、金魚鉢頭を斜めにかしげる。 『うーん。うちのおやさんがね、仕事で引っ越すかもしれないんだよね。おやさんたちも乗り気でさー』 「先輩も、ついてくんですか?」 『うにゃにゃにゃにゃー、だよね』  悩み中らしい。  性別の概念が哺乳類とは違うので、お父さんでもお母さんでもないらしいんだけど、それでも親は親だ。血……が流れているのか知らないけど、まあそういう縁もあるし、育ててもらった恩もあるし、親御さんが引っ越すなら、先輩もついていくのは自然かもしれない。 『でもさー、おやさんはそりゃ気軽に引っ越せるだろうけどさ、ワタシ、生まれも育ちもこっちだべさ。友達だっているしさー』  先輩は乗り気ではないみたいだった。  ぬいぐるみもあるし、パンフレットもあるし、観たい映画もあるし、いろいろ積み上げていく。 『なんだけどー。にゃんだけどー。家賃もスマホもおこづかいもおやさんが出してくれてるからさー。ワタシだけこっち残るけど仕送りはお願いとは言えないしー』 「親御さんは、どう言ってるんですか?」 『好きにしていいよーって。宇宙育ちは感覚がドライすぎてさー、そりゃ好きにしたいけど、地球人の感覚だとそれってどうなのってなるしさー』 「じゃあ」  思ってたより大きな「じゃあ」が出てしまって、自分でもちょっと驚いてしまった。  先輩がきょとんとしたように、火箸を持つ手を止める。  実際のところ先輩が本当にきょとんとしてるのかなんてわかんないし、なに考えてるのかもわかんないし、そもそも人間と同じように考えてるのかもわかんないけど、でもぼくだってぼくのもにゃもにゃがよくわかんないのだった。胸のあたりがとても寒くなって、ぼくはたまらなくなる。 「ルームシェア、しませんか。バイトして。ぼくは、趣味とかないし、荷物も少ないですし、小さいとこでも、先輩のぬいぐるみとか、入りきると思いますし」 『……えーっと』 「学費は、先輩、熱食人枠で入れば奨学金出ますし、仕事だって、多分あるし」 『あのね、後輩ちゃん。あのね』 「先輩だったら、変なこともないし、うちの親もきっといいって言うと思いますし、だから」 『あのね』  にゅうっと関節の怪しい指先が伸びてきて、ぼくの頬を左右から包み込む。  中身の見通せない金魚鉢頭が、ぼくの顔を覗き込む。わやんなって、ぶさいくなぼくの顔がぼんやり映り込んだ。  すぽんとなにかを吸い込んでしまうような、そんな軽い音がする。でもそれは耳に聞こえるわけもない。聞こえるような気がする。そんななにか。  ぼくの頭は少し冷えて、それで頭に血がのぼってたんだなってわかった。 『大丈夫、まだ先の話だよ。ワタシもちゃんと、考えるからさ』 「先輩……」 『それに、君はとてもおいしいからね』 「割と最悪なんですけど」 『おや、また熱が出たね』 「ほんと最悪なんですけど!」  テーブルの下で蹴りつけた脚は、やっぱり頼りなくて。でも一応は、床に足をつけていてはくれるらしかった。 「ところで、引越しって、どこに行くんですか?」 『金星だって』 「へえ……へえ?」  それってどこだっけ、ととぼけるには、さっき映画で聞いたばかりの地名だった。  地球のお隣にある、といっても、映画では四千万キロくらいは離れてるとか言ってた気がする。 『金星って平均五百度くらいあるらしくってさ。そりゃあおいしそうなわけ』 「おいしそう」 『それで、おやさんたち宇宙も慣れてるから、金星ももしゃもしゃしよっかって』 「もしゃもしゃ」  先輩のいい加減すぎる説明を何とか噛み砕いてみれば、なんでも大人たちは金星を開拓しようとしているらしかった。映画で言ってた、テラフォーミングってやつだ。  金星は地球人が住むには熱すぎるから、熱食人の人たちにむしゃむしゃ食べてもらって、うまいこと冷やしてからどうこうしようって言う話らしい。 『食べ放題でお賃金貰えるのはちょっと魅力的だよね! 映画も観放題!』 「先輩。金星はネットつながりません」 『えっ』 「そもそもスマホは多分壊れます」 『ぐへぇ、なにそれ人権ないじゃん』  地球生まれ地球育ち、親の顔よりスマホ見てる現代っ子の先輩にはつらかろう。  もっと親の顔見て、というには、先輩の親御さんも金魚鉢ヘッドだから顔なんか見えないんだけど。  ともあれ、先輩は早々に金星への興味を失ってしまったらしかった。  それでも金星の開拓を物語ったあの映画の面白さは色あせるものではないらしく、帰りの地下鉄の中でも先輩は楽しげに感想をまくしたてる。ぼくはあまりわからないながらも、適当に相槌を打った。  込み合ってきた車内で、精一杯に縮こまった先輩の腕の中にもたれる。中身が定かではない頼りない断熱スーツは、少しひんやりしていた。  先輩の親御さんは、多分喜んで金星に行くんだろう。この星は熱食人の人たちには、少し寒すぎる。  ゆでたてのゆで卵みたいだった地球は、先輩の世代が増える頃には、もうすっかり冬を取り戻していた。ぼくたちはゆだるような暑さを知らない。大人たちさえももう忘れ始めている。  先輩たちの次の世代が増えていけば、遠からずこの星は夏を失い始めるだろう。だから大人たちは熱食人の人たちを体よく追い出したがっている。熱食人の人たちも冷えた星にいつまでもいる理由もない。  でも地球育ちで、地球の文化にどっぷりつかっている先輩たちの世代は、きっとそうもいかないだろう。  ゆっくりとこの星は凍えていく。  いつかこの星は、宇宙に浮かぶ凍り付いたゆで卵になってしまう。  すぽんとなにかを吸い込んでしまうような、耳に聞こえるわけもない、でも聞こえるような気がする、そんな軽い音が、宇宙に響く日が来る。  でもそれはいまじゃない。  いまはまだ、寒すぎるなんてことはない。  ぼくは、ぼくたちはきっと、大人たちがそうしてきたように、問題を先送りする。 「先輩。ぼくってどんな味なんですか?」 『そうだねえ……ぽわわってしてきゅうってするかな』 「わかるような、わかんないような」  それはどうやら、おいしいらしかった。 『フローズン・ハードボイルド・エッグ』 了

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