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「ここかぁ」  エレナは一人で、例のルードラ山脈に来ていた。こんななんの変哲もない山の中から、よくもまぁバグを発見したものだと改めてカイのデバッグ能力に感嘆する。  ここで人ひとりが消え、もう一人はどこかに飛ばされた、と。  エレナは現場百回と言いながら、その場をグルグルと巡るが、これといって新しい手がかりは見つからなかった。  やはりカイを連れてくるべきだっただろうか。少しだけ弱気になる自分がいる。彼がいれば、クソ生意気なことを言いながらも、何かしら次の一手を見つけてくれたのではないか……そこまで考えたが、エレナはブルブルと顔を振る。 「甘えちゃダメにゃんだにゃあ。弱気は天敵にゃんだにゃあ」  よくわからない猫に励まされるとか屈辱だね。でも、ありがとうとエレナは心の中で呟く。 「にゃっはー。照れるにゃあ」  この猫、どうやったら黙らさせられるのだろう。早くワクチンを作り出そうと心に決めたエレナだった。 「長い付き合いににゃるにゃー」 「うるさいよ」  エレナは声に出して笑った。  そうこうしていると、カイからメッセージが届いた。  エレナが届いたメッセージを読む時には、「手紙を読む」というエモートを入れている。当然、ウィンドウでぱっと開いて、不要であればサッと閉じることも可能だ。だが、エレナは敢えて人動作挟む。  合理的ではないことは理解している。かつて、「情緒的に風流を楽しみたいじゃない」と言ったところ、カイが小馬鹿にしたように笑ったことを未だに根に持っている。だからこそ、エレナは余計にそのエモートを入れなければ気が済まない。 『エレナ、あのゲーム、なんなの。女神が強過ぎるんだけど。チートじゃん』  カイはアタシの作ったゲームをプレイしていたようだ。この短時間でラスボスの一歩手前まで辿り着くとは、さすがのカイだ。  アタシの作ったファンタジーの世界で、ドラゴンと共に世界の滅亡を救うゲーム。その絶望の物語に合わせて、容易くクリアできるはずもない難易度にしておいた。 『絶望せよ、人類』  カイに返信を送ると、『プレイ人数、たったの百万人のくせに主語がデカいな』という煽りが返って来た。  百万人いれば十分成功といえる中で、何を強がる必要があるのか。エレナの作った「ドロップ・ザ・ドラッグ・ドラグーン」は、変態的で革命的で絶望的な物語だと評価され、コアファンのみならず、刺激を求める若者たちへも刺さったゲームだ。  加えて、攻略の難易度の高さも死にゲーとして後を引いている。カイも含めて片手で数えられる人数くらいしか女神までは辿り着いていない。  それにしても、カイがあのゲームにハマってくれて良かったとエレナは思う。正直に言えば、カイ好みのゲームを作った認識はある。おかげで少しは時間稼ぎになる。それでも、カイならばあと半日もすればクリアしてしまう可能性があるけれど。 「さてと」とエレナは呟く。ここにいてもあまり意味はなさそうね。やはりアタシの武器は現場を歩き回ることではない。それはカイの得意分野ということで、大人しく譲ろう。エレナはそう結論付ける。アタシの武器は、と考えながら、エレナは両手をワシワシと開いては閉じる。  ゲーム世界から離脱し、裏側の世界に飛び込む。黒い画面上にアルファベットやら数値やらを入力していく創作と狂気の世界だ。  キーボードをカタカタと叩く。リズミカルに繋がるその音は、ある種の音楽のようだ。  エレナが今調べているのは、当然のように例の建物、つまり、アトランティスグループのラグナロク支社についてだ。  あの地では、得体の知れないプロジェクトが進行しているに違いない。  フランチェスコを消したこと。無数のポッドにアバターを詰め込んでいたこと。アタシに猫を植え付けたこと。それら全てが一連の流れの中にあると考えた方が自然だ。  多くの人間を研究材料にし、新種のコンピュータウイルスでも開発しているというのかだろうか。  しかし、仮にそうだとして、その理由や動機がわからない。  競合他社を潰す気ならば、自らの手を血で染めることなどしなくとも、データに詰め込まれた無数の札束で頬を殴れば一発だろうに。 アトランティスグループのキャッシュは、今や世界で五本の指に入る程なのだから。  そんな超巨大企業が敢えて自らの地位を揺るがすことになるような、あからさまな悪事で手を汚すとは考えにくいのだが。やるにしても、委託会社やペーパーカンパニーなど、何かしらのデコイを仕掛けるはずだ。  エレナはそう思いながらも、探索するための指が止まる気配がない。あの建物内を見てしまっては、エレナの中にある無邪気な好奇心を押し留めることはできなかった。キーボードは相変わらずカタカタタタンと綺麗な音色を奏でている。  それにしたって、なんでわざわざあんなあからさまに怪しい建物を仮想空間に作る必要があるのかね。見つけてくださいと言っているようなものじゃないか。  そこでエレナはハッと気付く。  釣られたのはアタシたちの方じゃないか。  相手を探索をしていたエレナだったが、一転して防衛側に回る羽目になる。悪さをする何かを仕掛けられてはいやしないかと、自らの身辺を探る。  そこにアラート音が響く。緊急メッセージだ。ヤバい。何か引っかかったか。エレナは焦りながらも一つ一つ確実にチェックしていく。  しかし、その音が実はアラート音ではなかったことに数秒してから気付いた。  アイツからの連絡音だけ通常とは異なるものに変えていたんだった。ややこしいことしやがってと悪態をつきたくなる。 『女神を倒す方法見つけたから、おいでよ』  それはカイからの連絡だった。クリアまで半日と予測していたけれど、実際には三時間と四十八分だった。 「異常値め……」  エレナは呟きながら、カイの操るアバター「ノエル」の待つ場所へと移動する。 「満更でもないにゃー」  猫が茶化す。早急にワクチンを作ってやろう。エレナはそう心に決める。 『貴方は此処で死ぬ運命なの』 『くっ……貴様、謀ったな』  絶望のゲームという名に相応しく、主要人物にことごとく裏切られる主人公が、今度は愛する女神と戦うシーンだ。 「こういうセリフとか物語とかよく考えられるよねぇ。恥ずかしくないの」 「バカ。作った本人にそういう失礼なことを聞くんじゃないよ」  カイはいつも通り生意気なガキだった。あの建物の記憶は封じ込めることができているようだ。  エレナはカイに見せてもらった「虹色の発光体」について独自で調査を進めていた。どうやら、あの光は人間の脳に作用し、一時的な意識障害を引き起こすものようだった。さらに言えば、通常の記憶消失だけではなく、健忘も引き起こす独特のものだったのだ。  そのメカニズムを活用して、カイにはあの日のことを忘れてもらった。  カイには、アトランティス社に忍び込んだ以降の一切を忘れてもらうべきだと判断した。自分自身の意識なのか猫による意識への干渉なのか、エレナにはわからなかった。しかし、いずれにせよカイをこの話の核心に近付けてはいけない。エレナの直感がそう伝えていた。  エレナは、そこで再びノエルへと目を移す。  強敵の女神に対し、懐へと果敢に飛び込もうとしている。  カイは危険があればあるほど好奇心が湧き上がるタイプだ。深追いをし過ぎてしまう。ゲームならばまだしも、現実世界でも無謀な飛び込みをしかねない。  その時、エレナは強い違和感を覚えた。今、女神は何と言っていた。 『さぁ、これで貴方も最期。ジエンドにゃ』  エレナが青褪めた。  心の中でエレナはカイに謝る。ごめん。アタシが連れて来てしまったのかもしれない。アタシは今、語尾に「にゃ」などと付け加える存在とちょうど一緒にいる。 「猫、お前、なんか仕掛けたのか」 「誤解にゃ。違うにゃ。ボクじゃないにゃ」と精一杯の否定をする猫の声が脳内に響き渡った。「ボクは、あんな狂った女神は嫌いにゃ。ボクは可愛い女の子が好きにゃ。そんにゃボクが、あんな怪物を作るはずがにゃい」  狂った女神の設定を作ったのはエレナだった。だが、「にゃ」などという語尾を話すようなキャラ設定にはしていない。 「じゃあ、アイツは誰だというの」 「僕よりも厄介な人物……かにゃ」  猫は茶目っけたっぷりに答えるが、その声は少しだけ震えていた。この世界には、この猫よりも厄介な輩がいるのか。エレナは猫の言葉を聞いて眉間に手を伸ばす。  猫とやり取りをしながらノエルの動きを眺めていると、突如としてエレナが全く想定していなかった挙動が発動した。ノエルが神殿にある柱の一つへと身を潜めたところで、彼の姿が光の中へと消えていったのだ。 「何、このバグ……」  エレナは呆然と画面を見つめていた。嘘だ。こんなバグがあるはずがない。アタシがこんな単純なミスを見逃すはずがない。  カイからも連絡が届く。「今時、小学生でも作らないようなバグじゃん、これ」と生意気な口調で煽られる。  そんなカイのことを無視して、エレナはコードを確認した。そこでエレナは絶句する。 「コードが生きてる……」  カイは「生きたコードね」と口の端を吊り上げる。なんだかわからないけれど面白くなって来やがったぜという少年マンガの主人公のようなテンションになっていく。  だから、カイを巻き込みたくなかったんだ。エレナは心の中で呟く。しかし、こうなってしまったからには仕方ない。相手が何者かはわからないけれど、逃げたところでどうせいつかは捕まえなければいけない相手だ。それが早いか遅いかの違いでしかない。 「レディー、セット」  エレナがカイに向かって賽を投げる。 「にゃはーん。お前ら人間如きに倒せる相手だと思ってるのかにゃ」  エレナの中で猫が嘲笑う声がするが、エレナはその声を無視する。いや、無視せざるをえなかった。答える余裕など今のエレナにはない。  開発環境ではなく、本番環境のコードをそのまま直で修正するなどイカれているとしか思えない。そんな輩と対峙するのは恐怖を覚える。しかも、コードを塗り替えるスピードが異常だ。人間技とは到底考えられない速度だ。  一方で、その人間離れしたスピードになんとか食らい付いているのが、エレナのウィザードたる由縁とも言える。魔法使い。エレナは流れ出る鼻血を拭うこともせず、画面をじっと見つめながら、一心不乱に頭と指だけを動かしていた。  それでも、エレナの心には「ここまでだ……」と理性から諦めの声が響いてしまった。  エレナの指に迷いが生まれる。それからというもの、「人ならざる者」のスピードに追い付くことができず、その差が見る見るうちに話されてしまう。 「エレナ、危ない。これ以上は無理だ」  カイの声はエレナには届いていなかった。 「このままだと、また逃しちゃう」  エレナは嘆く。アタシのせいだ。  カイはよくやっていた。女神の姿をした「人ならざる者」を追い詰めていた。  でも、アタシが追い付けなかった。カイにも「人ならざる者」にも追い付けなかった。アタシがもっと早くキーを叩けていれば。もっと早く思考を巡らせていれば。もっと早くこのゲームに潜んだ「人ならざる者」の存在に気付いていれば。  そこで自我を持った女神が言葉を発する。もちろんと言うべきか、アタシが作ったゲームデータには存在しない言葉だった。 「さようなら、人間。あなた達との勝負は面白そうです。ここで決着をつけてしまっては、私たちにも損なのかもしれません。またお会いしましょう」  そう言うと女神が画面上から消え、ノエルはゲームオーバーとなる。  ゲーム上で終わりを告げられようが、実際の世界でプレイヤーはピンピンしている。それが当然だった。今までは。  しかし、昨日、アタシたちはそうではない状況を体験した。カイは意識が途絶え、アタシは猫を植え付けられた。 「チッ。また逃したか」  ゲームの世界でノエルがお手上げだと肩をすくめる。「ん、『また』ってなんだ」と、ノエルが疑問を口にする。  ごめん、カイ……とエレナは呟いたが、その声はカイには届かない。  それから、カイは崩壊した神殿の床にへたり込んだ。カイが「完敗だな」と笑う。  その笑い声に混じって、忌々しい猫の声がエレナの頭に響いた。 「にゃっはー。良かったにゃ。アイツと真っ向勝負していたら、お前らにゃんてあっと言う間にお陀仏だったはずにゃんだにゃ」  エレナは、猫の声にも反応できない程に憔悴し切っていた。人間技とは思えない速さでコードを書いていては、当然とも思える。しかし、その憔悴の理由はそれだけではなかった。  その時、エレナ及びカイ、その他、全世界の「T」のユーザー全員がそのメッセージに釘付けになっていたことだろう。 『親愛なるテロメア諸君。僕の名前はグレイソン。この世界を導く者だ。  さて、今日は親愛なる諸君らに僕から一つお願いをしたい。「トゥルーマン」を捕まえてほしい。  「トゥルーマン」とは何者かなどという野暮な質問はなしだ。しかし、「トゥルーマン」は確かにいる。この「Telos」の世界に存在する。  そうだな……こんな話は信じられないかもしれないが、信じた者には細やかながらのお祝いをあげよう。そう、僕からテロメア諸君への心ばかりのプレゼントだ。「トゥルーマン」を捕まえた者に賞金一億ドルを出そう。  さぁ、親愛なるテロメア諸君、終わりから始めよう』  そのメッセージは、全世界に同時配信された。その瞬間から「トゥルーマン」とは何者だと世界中が浮き足立った。  しかし、ただ一人。「トゥルーマン」の存在を知っている者がいた。 「猫、お前の正体は……」 「トゥルーマンだにゃ」  エレナはそこで頭を抱える。つまり、「トゥルーマン」とはアタシのことになるじゃないか。 「エレナ、どうかした」  このバーチャルな世界と現実世界の表情がリンクしていなくて良かった。エレナからは大粒の涙がポロポロと溢れ出ていた。 「トゥルーマンか。楽しそうじゃん」  カイが能天気な声を出して、さてとと腰を上げ、エレナに声をかける。 「捕まえに行こうぜ。トゥルーマン」

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