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「ようこそ、Telosの世界へ」  初めてこのTelosへ足を踏み入れたのはいつだったろうかとカイは考えていた。エレナの一言がきっかけだった。 「カイはさ、ずっと『T』にいるじゃない。どうして『T』なわけ。他のゲームだってあるじゃない」  仕事の忙しさにかまけて家庭を顧みない両親の元で育ったカイは、彼の人生において、ゲームは当たり前のようにそこにあった。ゲームだけはやたらと二人から与えられた。ゲームを与えておけば、カイは静かで手がかからないことをあの二人は知っていたのだ。  カイの物心が着いた頃には、「どうして、この二人は結婚して、親なんてものになったのか。責任を取れないくせに、無謀な行動を起こすのは阿呆だ」と思うようになっていた。  彼は無意識のうちに無責任な二人への怒りをゲームにぶつけていた。ゲームならば、いくらでも自由奔放な振る舞いが許される。魔王退治に出て、飽きたからといって途中で中断することができる。人類最後の十人になったにもかかわらず、エイリアンを倒すという使命さえ簡単に放り投げられる。  カイはいつの間にか学校にも行かなくなり、よりゲームに依存するようになった。ありとあらゆる種類のゲームをやり尽くした。ゲームを永遠に続けられる環境を求めていった。  二人は、金だけはいくらでも出してくれた。彼らにも息子を放置するという後ろめたさのようなものがあったのかもしれない。  しかし、そんな二人とももう二年は会っていない。対面で会うどころか、オンライン上で顔を合わすことも、声を交わすことも、文字でのやり取りすらすることもなかった。血の繋がっただけの二人に対して、もはや何かを求めてはいなかった。あいつらは、俺がどこで何をしているかなんて興味がない。 「自由だから」  カイはエレナの質問に答える。  カイにとって「T」を始めたきっかけなど思い出す必要もないくらいに「Telos」こそが当たり前の居場所だった。ノエルは、カイそのものだった。 「自由、ね。うん、まぁ確かに。『T』は自由だね。ゲームを作る側からすると、制約は多いんだけどさ」 「それは、エレナの腕の問題」  エレナは「うぐっ」と言いながら、自身の肩を抱く。耳に痛い言葉が身体の芯を貫いていったのかもしれない。  「T」はユーザーが自由に「エンパイア」と言われる仮想空間を構築することができる。ここを展覧会として使う者もいれば、商品などを販売するためのEコマースとして活用する者もいれば、ただただ自分に居心地の良い空間としてバーチャルの部屋を作って永住しようとする者もいる。  エレナはその中でも最もメジャーな利用方法であるゲーム空間を構築している。エレナは、ゲームクリエイターでもあるわけだ。それも「T」で最も人気のゲームクリエイターの一人なのである。 「本当の自由の中では、誰も何もできない」 「何それ、誰の言葉」 「俺。世界最強のプロゲーマー、カイ選手の言葉」 「ここ最近負けが越している『元』天才ゲーマー。いよいよデバッガーに転向か。昨日の記事に面白おかしく書かれていたねぇ」 「メディアってのは、人の真価ってもんをわかっちゃないんだよ」  カイは少しだけ不貞腐れて答える。  その様子を見て、エレナはニヤニヤとする。さらに追い討ちをかけるかのように、エレナが独り言を述べる。 「美少女クリエイター、エレナの本性に迫る。なーんて記事も隣に載っていたっけねぇ。ふっほっほっほ」 「野蛮で凶暴。それに噂話とガセネタが大好き、って書いてあるんでしょ。その通りだね」 「バカ。『エレナの作るゲームは哲学的ですらある』という批評を読まなかったのかね」 「今だけだよ。騒ぎ立てて、上げるだけ上げておいて、奈落に叩き落として、嘲笑って楽しむ。自分たちは上がれないもんだから、人を下げて喜ぶんだ。それがメディアの、ひいては、人間の本質さ。要はノイズだよ」  エレナは、そうねと同意をする。 「ところで、あの男の行方はわかったの」 「わからなかったら、こんな辺鄙な場所にアンタを誘わないわよ」  二人は「T」にあるワールドの一つにいる。  「Telos」とは、七つのワールドに分けられている仮想空間の総称なのだ。  七つのワールドには、それぞれ独自の管理者がおり、「コンビクト」と呼ばれている。「断罪者」というその名の通り、自警団として絶大な権限を有する者達である。各ワールドのコンビクトが、ワールド内のルールブックであり、支配者とすら言える。  しかし、そのコンビクトさえも抗うことのできない絶対的な神が存在する。それが「Telos」の統治者である「アトランティスグループ」である。  アトランティスグループ。カイはそのお抱えのデバッガーだ。通常ならば、コンビクトがそれぞれデバッガーを雇うのだが、カイはその類稀なる能力を見染められ、各ワールドのみならず「T」の心臓部とも言える「ラグナロク」へのアクセスも許可されている。  だが、心臓部だけあってラグナロクへのアクセスは、主にはアトランティス社の社員のみとなっており、かなり限定されているセキュアな場所だ。社員でもないのに、ラグナロクへのアクセス権を持っているカイは、かなり珍しい存在といえる。  そんなラグナロクに、ノエルとエレナの二人が立っている。  エレナは、もちろんラグナロクへのアクセス権限など持ち合わせてはいない。それでも、エレナはラグナロクにいるのだ。 「んー、Tのハッキングとか興奮するなぁ」  エレナは伸びをしながら、首を左右に振る。久々に腕が鳴るわと言いながら、手首をパキパキと鳴らしていた。  それがほんの五分前の出来事だった。エレナはものの五分で「T」の心臓部に潜り込むことができたということになる。「T」のナンバーワンゲームクリエイターであると同時に「美貌のウィザードだ」とメディアで絶賛されていたが、あながち嘘ではない。 「エレナ、本当にアイツがそこにいるの」 「んー、わかんない。正確に言えば、明朝時点ではそこにいたけど、今はそもそもの消息が不明、って感じ」 「消息不明って、つまり、居場所がわからないってこと」 「そう、そういうこと。彼のアカウントは綺麗さっぱり消えてるの。今、この時点においては。ただ、彼が最後にここにいたってことだけはわかってる」  エレナの腕をもってしても消息が掴めない。アカウントが削除されていたならば、それがログとして残る。しかし、そのログが残されていない。ログどころか、あの男——だと思われる——がここ「T」の世界にいたという痕跡の全てが消えているようだ。 「あと三百メートルくらい」  エレナが目的地までの距離をカイに伝える。  カイはどこに向かっているのか、よくわかっていなかった。なので、必然的にエレナの後を追う形になっている。しかし、カイはここから三百メートルと聞いてピンときた。そこにあるのは、昨日、カイが招き入れられ、恐怖を植え付けられたあの場所に他ならない。  昨日、カイと対峙した人物。それは、アバターこそ達磨髭のイカつい男だが、中身の本人はといえば「Frozen」の異名を持つ氷の女王。「絶対零度の機械」と揶揄されることさえあるという。その彼女の座すあの空間がこの先にあるのだ。  エレナは、憶測だけれどと断ってから、可能性の話をする。カイが髭達磨から呼び出しをくらい話をしたその数秒の後、あの男ことフランチェスコの消息が絶たれた。エレナには、その一連の流れがどうしても偶然だとは考えられなかった。 「カイから聞く限り、幽霊の話題にやたらと敏感な氷の女王が、あの男の行く末にも何か絡んでいたとすれば——「幽霊」というものが、本当に実在するものだとすれば——氷の女王は、いや、もしかしたら『T』は、何かとんでもない隠し事をしているのかもしれない」 「とんでもないことって、例えば」  カイがエレナに答えを求める。 「それは……アタシにもわからない。でも、きっと氷の女王は何かを握っている。そう考えれば、一連の辻褄が合うのよ」  意識不明者が頻発している理由もね。最悪の事態を想定したその言葉を、エレナは飲み込んだ。  二人は目の前にそびえる建物を見上げている。その建物は、軍事施設を彷彿とさせる物々しい警備が施されていた。  このような施設を造る必要は全くない。本社施設を「T」の内部に造るなど馬鹿げている。仮想は所詮、仮想に過ぎない。バーチャルがリアルに置き換わるはずがないんだ。  これは「T」の創業者であるグレイソン氏がアトランティス社の取締役会にて糾弾された言葉として有名だ。  だが、この言葉だけが有名な訳ではない。 続くグレイソン氏の発言こそ金言である、と世間は捉えている。 「現実は既にバーチャルに侵食されている。我々アトランティス社は、人類の進化のためのチケットを手にしているのだ。私は、そのチケットを行使したくはないと願う諸君らの気持ちも理解する。しかし、我々は進化しなければならない。我々は、融合しなければならない。我々は、未来を創造しなければならない。我々は、掴み取らなければならない。人類の進化のために。私は、ここに宣言する。我々は、バーチャルで生きる最初の人類、いわば、新人類となるのだ、と」  今でこそ「仮想新人類宣言」として有名なこの発言も、当時は取締役会どころか、世論からも受け入れられることはなかった。それがたった数年の間に評価が一変するのだから、大衆とはいかに無責任な存在であるかが窺い知れる。  しかし、その当時、氷の女王だけは、このグレイソンの発言を拍手で迎え入れていた。  その後、グレイソンは創業者兼筆頭株主の力を最大限に活用し、自らの意見に反対した取締役をことごとく粛清した。「祝祭の粛清」と揶揄されている出来事だ。グレイソンは粛清のために、組織的、社会的、肉体的、精神的、それらありとあらゆる手段を用いることを全く厭わなかったとされている。だが、実際のところは誰も触れることができない。触れてしまえば、自身も同じ目にあうという恐怖が社会に蔓延したのだ。  そうして、アトランティス社の新取締役は、バーチャルリアリティにおける未来を信じている人物に刷新された。そう言えば聞こえは良いが、その内実はといえば、全てにおいてグレイソンの言を盲信する者たちの集団に成り下がったとも言える。  「祝祭の粛清」において、唯一粛清を免れた人物がいる。それが、「Frozen」である。誰もが反対した取締役会にあって、ただ一人拍手をした役員であった功績が大きい。それからというもの、「Frozen」がグレイソンへ意見をすることのできる唯一無二の人物として、順調に勢力を伸ばしていったことは想像に難くないだろう。  「Frozen」こと氷の女王と絶対神とも言える創始者グレイソンが揃って鎮座するアトランティスグループのラグナロク本社。そこに二人は足を踏み入れようとしているのだ。  白が貴重となった爽やかなエントランスをノエルとエレナの二人は何食わぬ顔で抜ける。社員が挨拶を交わしたり、疲れ顔で肩を落として歩いていたり——アバターにもかかわらず芸が細かい——と日常の光景が繰り広げられている。  エントランスを抜けると、中庭のような場所に辿り着く。緑が生い茂っており、風や草木の匂いも感じることができるような気がしてくる程にリアルだ。  広い庭を歩いていくと、ひときわ異質な建物が現れた。「アトランティス研究所」の看板が申し訳程度にかけられたそこは、グループの社員ですら容易に出入りできる場所ではない。この場で何が行われているかは、一部の人間しか知ることのできないトップシークレットである。一方で、ラグナロク内にこの研究所があることは、世間一般的にあまりにも有名であった。  その拠点にたどり着いた二人は、物々しい重厚な扉を前に立ち尽くしていた。 「さて、これをどう突破しますか、ね」  エレナはそう言いながら、リアル世界にてキーボードを叩く。ものの二分で心臓部へのルートを開拓した手練れは、欠伸をする間も無く、軽々と突破口を拓く。さすがのウィザードといったところだ。 「道がなければ、作ればいいじゃない。扉が開かなければ、穴を開ければいいじゃない」  現代に蘇りし奔放娘様は、重厚な扉に対し、プリンでも食べるかのように楽々と丸穴を作った。その一連の流れは、二十一世紀の未来からやって来た猫型ロボットの道具を彷彿とさせる手軽さですらある。 「さぁ、潜入捜査の開始よ」  エレナが「フォローミー」と声を上げる。  主導権を握られ続けるカイは、少しだけ不貞腐れた顔をしていた。丸穴をくぐるエレナの尻尾が、サワサワとカイの鼻をくすぐるので、余計に不快さが際立つ。  カイの不貞腐れた顔も、丸穴を抜けると呆気に取られた間抜け顔へと変わった。カイは口をあんぐりと開けたまま、辺りを見渡す。  丸穴を抜けた先に誰かがいたという訳ではない。より正確に言えば、エレナの他にも「誰か」はいた。しかし、それはアトランティスグループの社員ではなさそうだ。  カイが呆然としている中、先にこの光景を見ることになったエレナも心中穏やかではない。エレナは、自身の鼻と唇に右の人差しを置き、親指を顎に付けたまま固まっていた。声を出さないでという意味のジェスチャーにも見えるが、これはただのエレナの癖である。何か考え事をする時にエレナは、シーッというポーズを取る。  悩むエレナに対し、カイが驚きを孕んだ声を出した。 「エレナ、これって——」  そこには驚き以外にも恐怖という感情が込められていたのかもしれない。カイは「これ」の後を続けることができなかった。 「えぇ……これ、アバター達よね。捕らえられ、自由を奪われた……」  エレナがそこで身震いをする。  二人の眼前には、SFアニメや映画などで見かける円柱型のポッドが幾つも配置されていた。その中に、エメラルドグリーンの謎の液体が並々と入っており、アバターがどっぷりと浸されている。アバターのホルマリン漬け。とうてい観たいと思うような光景ではない。 「この中に、アイツがいるってこと、なのか」 「可能性はゼロとは言い切れないね」  エレナは、いつだって推測と事実を混ぜるようなことをしない。  誰かに見つかることを警戒しながらも、二人はこの空間を散策することにした。散策といっても、エレナの作った丸穴からあまりにも離れ過ぎると逃げることが難しくなる。離れるにしても、まずはせいぜい半径百メール程度までと決めた。つまり、この空間はそれ以上に大きいということだ。  しかし、それ程に大きいというのに、ギッシリとポッドが敷き詰められている。その姿は、あまりにも異様だ。ここに鎮座するその全てのポッドにアバターが詰め込まれているかどうかは、遠目にはわかりそうにはない。だが、ザッと千はくだらない数のアバターが液体に浸っているだろうとエレナは目算している。 「なんだか、薄ら寒い所だ」 「カイちゃまには、少々刺激が強かったでちゅかねぇ」  エレナが茶化すも、エレナ自身も鳥肌が立っていた。カイとバカ話でもしていなければ、弱音か何かを吐きそうになる。 「この光景を見て刺激がない奴がいたら、そいつは人間じゃねぇよ」  決して繊細とは言えない二人だが、このような異質な空間の中で泰然自若とする程に神経が図太いわけではない。  エレナもカイの発言を受けて、自分の心が弱っていることにようやく気付いた。 「カイ、今日のところは退却しよう」  エレナがそう言った矢先、カイが「あ、あ、あ……」と声を出し始める。  まるで幽霊でも見たかのようなその声に、エレナは心臓が速くなるのを感じた。遂に「幽霊」と対峙することになるのかという複雑な感情を抱え、エレナはカイの視線の先を追う。 「コンスタンチン……」  こんな時でも名前を覚えられないのはカイらしい。おかげで、エレナは少しだけ平静を取り戻すことができた。 「フランチェスコ、ね……やっぱり、ここにいたね」 「エレナ、戻ろう。ここは狂ってる。何もかもが……」  カイのこんなにも弱々しい声をエレナは未だかつて聞いたことがなかった。いくら強がっていたとしても、いくら(元)天才ゲーマーと称されたとしても、まだ十代そこそこの少年なのだよな、とエレナは思う。 「うん、帰ろう。体制を立て直そう。敵は想定以上に危険なようだぞ、カイ隊員」  それがわかっただけでも今回はよしとしようじゃないか、とエレナがまとめる。

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