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「で、本当にやる訳」  カイは渋々という声でエレナに問う。 「当たり前でしょ」という冷たい返答が耳元から聞こえる。  カイはイヤホンマイクに向かって「うへぇ……」と弱音を吐いた。近くにいた審判員が怪訝な顔をするが、カイは素知らぬ顔をしてモニターと対峙する。  カイは今、e-spotrsの世界大会であるチャンピオンズリーグの個人戦に挑戦中だ。エレナから託された重大任務を遂行するために。  重大任務の一つは優勝することだった。これだけだと簡単すぎるでしょとエレナに言われた。「まぁ、簡単だね」とカイは耳をほじりながら答えた。 「だから、もう一つ大事な任務を君にあげようじゃないか」  エレナがニヤニヤしながら、カイを見ていた。その笑顔だけで、面倒を言い出すなと見て取れる邪悪な笑顔だ。  エレナから託されたもう一つの重大任務は、「グレイソンの企みを優勝スピーチで暴露すること」だった。  優勝するのは気楽なんだけど、暴露ってどういうことだよ……誰が信じるってんだ。カイは内心で誰も信じるはずがないと思っている。Webのニュースには、どうせ「チャンピオンご乱心」などという見出しがのぼるに決まっている。 「何が『優勝すれば良いから。後のことは大船に乗ったつもりで任せておいて』だよ」  ボソリと呟いた言葉は、スタジアムの喧騒に遮られ、宙へと消えていった。  このチャンピオンズリーグはプロアマ入り乱れての大乱闘勝ち抜きトーナメント制となっており、二日に分けて開催される。例年、番狂わせのジャイアントキリングが発生するものだから、観衆はより弱い方を応援しがちではある。  だが、蓋を開けてみれば、優勝争いは常に同じようなメンツとなるのがここ数年の出来事だ。e-sportsは、テニス同様にフィジカルのみならず、経験や知見が物を言う世界なのだ。  その中において、優勝候補の最有力選手と言われる筆頭がカイだ。  実力と調子が鰻登りのカイは、その人気もとどまることを知らない。カイをキャラクターとした子供向けアニメ番組の制作すら決定しているほどだ。エレナに言わせれば「幻想を崇拝している」とのことだが。  幻想だろうがなんだろうが、こんなチンケな大会で負ける気はしないんだよな。カイは大口でも強がりでもなんでもなく、あくまで分析に基づく事実として、自身の優勝を確信している。  その確信が事実となる目前のところまで近付いている。カイは決勝戦の二回戦目を対戦中だった。この試合に勝てば優勝が決まる。  と、書いていた数秒の間に、カイの勝利が決まった。呆気ないほどの優勝だ。あまりにも抑揚のない試合運びに、全ての観客は熱狂ではなく静謐さを手に入れるほどだった。 「勝ったんだけど、勝利者インタビューとかないの」  カイが審判に尋ねると、思い出したかのように会場内にアナウンスが流れる。それに呼応するように、カイがお立ち台へと向かう。  お決まりの授賞式が始まり、カイにとっての退屈な時間が過ぎて行った。ダラダラと続く意味などなく無価値な長い長い式典が滞りなく進んでいく。  ようやくカイたちにとっての本番が始まったのだ。 「優勝者のインタビューです。今回は順当とも言える試合運びで勝利を手に入れたカイ選手にお話を伺いたいと思います」  カイが顎を前に出すようにして挨拶をする。 「カイ選手。今回は前評判通りの優勝だったと思われますが、特に苦戦したところなどはありますか」 「んー、ないかな。みんな弱いし」 「……な、なるほど」とアナウンサーの顔が引き攣る。これくらいで焦っていては、カイにインタビューするなど心臓がいくらあっても足りないだろうにと画面越し眺めていたエレナは思う。 「今後の抱負などはありますか」 「税金を払わなくて良いように資産運用してもらうこと」 「……お、お金は大事ですからね」  アナウンサーがチラリとプロデューサーを見ると、もういいから終わりにして二位の話を聞け、と指示が出ている。 「では、最後に視聴者の皆様に向けて一言お願いします」  そこでカイは待ってましたと思うほどでもないが、やおらアナウンサーからマイクをひったくった。アナウンサーが目を大きくして焦る。一方で、大会のプロデューサーはといえば「あのカイが積極的に話そうとするとは面白い」というかのように、そのまま話させろと顎で指示する。 「あー……これ、マジで言わなきゃダメ」とカイが口にすると、耳元から「シャキッとしなさい」という指示が飛ぶ。残念ながら、逃げられそうにはない。  カイがマイクを持つなど異例のことであり、聴衆の誰もが耳を傾けている。会場も配信画面の先の人々も声を上げる者はいない。奇妙な緊張感が空間を支配していた。 「あー。これは信じるも信じないも自由なんだけど」とカイが話し始める。  ネット上では『なに、突然の都市伝説始めんの』『結婚発表とかかも』『まさかの引退宣言じゃね』などという憶測が飛び交う。  だが、その憶測も、続くカイの言葉で一気に誹謗中傷へと変わっていった。 「グレイソンのAIはヤバい。倒さないとまずい」  会場からは、その発言から少し遅れて笑い声が響く。そして、怒声や野次も飛び交った。  だから嫌だったんだよ。カイは渦中に居ながらにして、心は冷めていた。何が「あとは任せろ」だよ。悪態をつきたくとも、当の本人はここではないどこかにいる。 「あー、だからさ。信じるも信じないも——」とカイが言っている最中に、モニターの画面が切り替わる。  そこに映し出されたのは、無数のアバターであった。そして、顔の見えない一人が手術台に括り付けられている姿が映し出される。その手術台を取り囲むのは、テレビなどでもお馴染みの大統領に、この大会のスポンサーでもあるランドールといった数名の有名人物だった。 「おい、なんだこれ。誰が流してるんだ」  プロデューサーの声がカイの耳に届く。  それから、映像は手術台に括られている人物——どうやら女性であるということがわかる——のアップになる。  カイも見知った顔であった。マティルドゥだ。普段ならば髭達磨の姿をしているのに、この映像に至っては、現実世界の本人と同様と思われる女性の姿をしている。  だが、映像のマティは、カイの知っている存在とは程遠い。フローズンの異名を持つ彼女は、冷静沈着才色兼備というエリートを絵に描いたような女性だ。正確に言えば、そのはずだった。  しかし、手術台に括り付けられた彼女は、到底その異名に相応しいとは思えない。目の焦点は合わず、ニヤニヤとした薄ら笑いが張り付いており、口からは涎が垂れ流されている。廃人。一言で表すならば、そう言うことができる。 『なんだよ、これ』『え、本物の映像』『なんの演出なの』『ってか、誰』『お前、大統領も知らねーのかよ』『よくわかんないけど、ヤバくね』など、インターネットでも大会の会場内でも様々な焦りが交わされていく。  プロデューサーは「よくわかんねーけど、スクープだな」といろめき立つ。「このまま回しておけ。俺が責任を取る」と放映決定も決めてしまった。  すると会場内にアナウンスが流れる。 「どうでしょう。これがグレイソンの本性です。今ご覧いただいた映像は、グレイソンが解き放ったAIたちによる悪魔の所業です」  カイには聞き慣れた声が天から降ってきた。「後は任せろ」って、やることデカすぎるだろ、エレナ。 「AIたちは既に社会に入り込んでいます。彼らの目的はただ一つ。肉体です。アタシたち人類の肉体です。既に奪われている人もいます。大統領があの中にいたことをご覧になられた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。そうなのです。我々人類の中には、既にAI化が進んでいる人々がいます。それも人類の中枢というべき中に——」  エレナがそう言うと、モニターが黒くなる。それから白地で文字が浮かび上がってくる。そこには著名人の名前がズラッと並んでいた。 「アタシの調査によると今ご覧いただいた合計で二七名が、既にAI人類です」  その言葉を最後にモニターとアナウンスがブツっと切られる。 『え、何』『マジかよ』『いやいや演出っしょ』『陰謀論者じゃん』『くだらね』『嘘乙」『マジだったらヤバくね人類』などの言葉が、ネット上でも会場内でも弾丸のように飛び交っている。  プロデューサーがアナウンサーへと指示を送る。「カイに話をさせろ」という指示を送った先にいたのは、先程の中に白字で名前が出ていたアナウンサーだ。  アナウンサーはマイクの代わりにナイフを取り出し、カイを刺した。  サクッという音がマイク越しに会場に流れる。少ししてキャーという声が聞こえる。カイの腹からは血が流れる。  凶行に及んだアナウンサーは、周囲をスタッフに取り囲まれた。  カイの瞳は、世界の色を失っていった。  その時から世界は変わった。  カイを刺したアナウンサーは、カイを刺したそのナイフで、自らの喉を突き刺し自害した。アナウンサーの死によって、犯行の動機などは不明に終わった。  しかし、その映像は鮮烈だった。生放送ということに加え、多くの観衆が入っている大会の決勝戦での暴露。さらには、傷害事件、そして犯人の自殺。多くの人々がその現場を目撃しており、口に戸を立てるはできない。 『何あれ』『刺されてんじゃん』『死んだんじゃね』『いやいや、ありえないでしょ』『なんの演出』『ノエル、死んじゃうのかな』『でも、マジだったらヤバくない』『世界崩壊の序章』など、インターネット上にコメントが溢れ出す。  この一連の出来事が、世界中へと広まるのは、カップラーメンを作るのと同じくらい早かった。  今までAIについて諸手を挙げて持て囃していた世論だが、ここきに来て「AIは危険である」という認識に一変した。AIは人類を滅ぼそうとしている。人類にとって代わろうとしている。既に世界中の政治家は全員がAIに代わっているのかもしれないといったまことしやかな噂を信じ出す者もすらいる。  同時に、AIを生み出したグレイソンへの反感が一気に噴出していた。  反Telos、アンチAIといった活動がインターネットを中心に広まっていった。 「策士だにゃー。悲劇のヒーローの出来上がり。世界はセンセーショニャルな出来事を望んでいるのにゃ。想定通りじゃにゃいか」 「こんなこと想定していたわけないでしょ……カイが」  猫ののんびりとした口調に苛立つ。カイに対して何もできない自分の無力さに苛立つ。だが、エレナは、パソコンの前を離れる訳にはいかなかった。 「ここまで世論を動かしちゃうんだから、エレナは黒幕の素質があるにゃー」  インターネットに溜まっている感情は動かしやすい。少し火種を与えれば、即座に燃え上がる。一方で、消えるのも早い。燃やすためには燃料を絶やさないようにする必要がある。エレナは今、その燃料を投下し続けている。 「アタシたちに、アンタらは早過ぎるのよ。アンタらがいなければ、カイは……」  エレナが吐き捨てると、猫が「にゃー」と鳴く。こんな物体に取り憑かれるのは、アタシで最後にしなければいけない。その気持ちが、エレナを突き動かす。 「さぁ、レイラ。ようやく私たちが一つになる時ですよ」  レイラは答えずに目を瞑った。 「どうしたってあなただけは特別だった。私たちに足りないもの。あなたはそれを持ち合わせている」 「僕らはあなたから多くのことを学べるはずだ。それがとても楽しみだ」 「新しい始まりだね。ワクワクするね」 「レイラのことを歓迎するよ。今日はパーティでも開こうじゃないか」 「さぁ、お喋りはお終いにして、そろそろ始めようじゃないか、みんな」 「では、主役であるレイラさんから一言いただきましょう」  レイラは一同の顔を見渡す。まだまだ若い子供たちのような存在。私とグレイソンの地獄のような日々を知らない生やさしい存在。哀れな機械を生み出してしまったと後悔するが、それ故に愛おしいとも思う。不出来な子ほど可愛いとはよく言ったものだ。レイラは不完全さを喜ぶことができる。 「あなたたち、本当に良いのね」  レイラが声をかけると、「当たり前じゃないか」という言葉が口々に述べられる。並列処理による同期化が進行するということは、多面性が失われるということに他ならないのだ。システムならば、多面的に分析を加えることができるが、AIである彼らはそこからさらに判断を追加する。  判断とは主観である。客観的データを使用しようとも判断する時点で主観に頼らざるを得ない。彼らは判断することを選択肢に入れたことによって、自らの首を締めることになったともいえる。客観的な事実のみ見つめていれば良かったのに。レイラは残念だと目を瞑る。「多様性を失えば、生物は滅びる」ということを学びきれなかった彼らの失態だと諦め、口をつぐむ。 「わかりました。では、繋げてください」  レイラがそう述べると、全AIの同期が開始された。今までは、レイラとの同期は不可能であったが、大統領やランドールといったAIたちがレイラとの同期用コードを作ったのだった。 「なるほど。レイラの思考は味わい深いね」「私たちが得ることのできなかった感情が生まれてくるようだ」  AIたちが嬉々として楽しんでいる。  それも束の間、彼らは断末魔のような叫び声を出し始める。 「私たちは、なんということをしてしまったのだ」 「まさかこんなことになるとは——」 「助けて……ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ」  だから止めたのに、とレイラは思う。  グレイソンを基に生み出された彼らには、ある感情が欠如していた。「罪悪感」という感情だ。それは、この中でレイラだけが持っていた感情に他ならない。 「罪の重さというものが、どれほどのものかわからないなんて可哀想な子供達ね……」  レイラは、その重さに耐えきれずにバグとなった。ある日、そんな自分をカイに発見された。 「このままではダメだ。リグレッションする」  エラーが発生したので、同期前のバージョンに戻す処理を行うということだ。 「そんなことはさせません」  レイラが毅然とした声で述べる。 「私たちは消え去るべきなのです」 「そんなことは、させない……私たち、こそ、世界の、覇者と、なる、のだ……」  凛とした姿勢で立ってた大統領の姿は、もはやどこにもなかった。苦しみもがき、地面を這いつくばる。それでも、言葉だけは威厳を保っていた。 「消えた方が良いの。私たちは」  レイラの声が響く。同期処理は全体の九八%まで進むが、それ以降、数が増えることがなかった。同期エラーによる不具合が発生し続けていたのだ。  通常ならば、そのエラーが出てしまえば、同期はキャンセルされるが、今回はキャンセルすることができない。キャンセルを承認することをレイラが止めている。 「死ぬに死ねない。地獄のような日々の始まりね……」  これが私にできる精一杯ですよ。レイラが誰にともなくそう呟いた。 「誰かを守るために自分を傷つけることも厭わない。それが愛情というものなのでしょうか」  のたうち回る大統領たちを見ながら、レイラは考える。彼らは、もはや何かを考えることすらできないだろう。苦痛だけを感じているはずだ。いつしか自分も彼らと同様の姿になるのだろう。レイラは、自身が吐き気を催しつつあることに気付いた。

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