作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 寮に隣接する石上稲荷大社。  その境内にある祓殿はらえでんには、烏帽子を被り、浅黄色の袴に白の狩衣を纏った後ろ姿があった。  昂だ。瞼を閉じ、精神を集中させて大幣おおぬさを振る。 「祓い給え……」  ふと、左右に行き来する手が止まった。  昂は振り向くと入口の先、外を見る。目に留まったのは満月。すると何かを思い立ったのか、突如表へと駆け出した。そして大鳥居の前まで来たところで、昂の血相が変わる。 「なんでこんな時間にっ。危ないじゃないか!」 「へ?」  だが昂は途中で顔全体を赤面させると、その場で後ずさった。 「胸騒ぎがすると思って来てみたら……ったく」  昂は手のひらで顔を覆いながら、きょとんとする睡蓮の元へ向かう。 「昂くん。まだ起きていらしたのですね。どうしたのですか? その格好」  昂は消えてしまいそうな声で「それは睡蓮だろ……っ」と零す。それもそのはず、睡蓮は着の身着のままだ。  睡蓮が着るショートパンツと素肌にキャミソールは、生地の分量だけでなく厚みも少ない。身体のラインを拾う睡蓮の艶めかしさに、昂は理性で色情を制そうとするのもやっとのようだ。後ろを向いて、泣きながらガッツポーズをしている。 「俺はこんな神聖な格好で、何を……!」 「どうかしましたか?」 「い、いや別に。なんでもない。ただ睡蓮の様子が気になったからさ、加持祈祷していたんだ。あえっと、それよりも睡蓮、こんな時間にどうした? 外に用事があるなら俺に連絡してよ」 「はい。すみません」 「ああっ、いいから屈むなっ。ちょっと待って」  昂はそう言うと狩衣を脱ぎ、睡蓮に着せた。自分は着物に袴を合わせた作務衣姿になる。 「不格好なのは許せ。じゃあ、寮に戻るぞ」 「い、いえ。帰りません」 「なっ」 「もう消えちゃいましたが、ハープのような音が聞こえたんです。それにコロンが居なくなってしまって……あとそれからきらきら~っとした光を放つ、ものすごーく綺麗な方が目の前に現れて、それであの『早くおいで』と言って消えてしまったのです」 「お、おい睡蓮、落ち着けって」  昂は困惑した表情を見せたが、笑顔を作ると睡蓮の両肩をそっと掴む。腰を屈めて、目線を睡蓮に合わせた。 「そうだな、わかった。戻る前に祓ってやるからさ、うちに来いよ。コロンは見てないけど、心配ないって。朝だって拝殿にいつも来てるけど、ちゃんと戻って来るだろ? ほら。きっとあいつ、狐に恋でもしたのかもしれないぞ?」  冗談交じりに言ってみるも、睡蓮の乞うような眼差しは変わらない。穢れを知らない瞳を真っ直ぐ向けられ、昂は再び眉をハの字に戻すと、ため息を漏らして言った。 「しょうがないな、睡蓮は。意外と頑固なところ、昔から変わってないんだから。話し方だってそうだ。俺に気を使って……――」 『なるほど、やはりお前がの巫女だったか。悪くない』 「――!」  低音の声。昂のものではない。むしろ、睡蓮から聞こえてきたように思える。  目を大きく開いた昂が、睡蓮を見つめた。 「い、いいえ、私は何も……ひゃっ!?」 「うわっ!」と、同時に昂も声を上げた。睡蓮の胸の内側から、何かが飛び出てきたのだ。  しかし昂はすぐに、自分の襟元に手を忍ばせると、生成り色をした古めかしいふだを一枚取り出す。碁石を乗せるように中指の腹と人差し指で挟み、左頬の横で構えた。左腕は睡蓮の前に広げる。 「睡蓮。行くんだよなぁ、やっぱり。なら、俺から離れるなよ……!」 「はい……っ」  周りを警戒しつつ、大鳥居を潜って境内に続く石段に足を掛けた。 『此方だ。この程度でを上げるのではないぞ』  声が聞こえた直後、空間がぐわんっと歪む。まるで圧縮されたかのように、踏づらの幅が一人分ほどに狭まった。そして段数も遥かに増えている。 「昂くん……」 「大丈夫だ。俺が必ず護ってやる」  背中の着物を掴んで、不安げにぴたりとくっ付く睡蓮に、昂は優しさで応えた。 「コロンは」 「ああ。ちゃんと連れて帰ってやろうな」  睡蓮は強張りながらも、嬉しそうな表情で頷いた。  そして声に導かれ、なんとか精神を保ちつつ石段を上りきると、眼前に広がる光景に二人は喫驚した。 「え!?」 「な、なんだよこれ!?」  天をも貫く巨大な三柱みはしら鳥居が、満月を背後にして正三角形を組む。  その真ん中で、追っていた声が途絶えた。 「あっ、あれは廊下で見たカラスさんです!」  声と入れ替わって現れたのは、一匹のカラス。体長は通常のものよりも大きく見える。  カラスが、けたたましく鳴きながら漆黒に染まる翼を広げると、その貫禄は一層強大になった。  睡蓮と昂が圧倒される中、翼から散った無数の羽根が、不意に素早く螺旋を描き出す。それはカラスを包み、一瞬にして人の姿を模っていくと、火を吹き消したように漆黒が煙となって消えていった。  すると次に現れたのは人間。カラスから姿を変えた美しい青年が、そこに佇むのだった。  青年は不敵な笑みを浮かべ、睡蓮に向けて胸に片手を添える。それから頭を下げて片膝を着いた。 「我は八咫烏、太秦うずまさ。お隠れになった大御神おおみかみと対話出来る陽の巫女を、探しに参った。直ちにやまとへ送る!」

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません