半世紀の契約
(5)迷える子羊矯正体質①

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「…………何だ、このアホらしい話は?」  報告書に無言で目を走らせていた秀明は、腐る腐らないの所まで読んだところで、無意識に呆れかえった呟きを漏らした。しかしそんな反応は十分予想できていた金田は、落ち着き払って解説を加える。 「オーナーが、四歳児の時の出来事です。次のページからは鹿屋氏のその後の略歴が記してありますが、彼はその直後に名家である実家を飛び出して単身で北海道に出向き、とある牧場に押し掛け住み込み従業員として採用されました。そこでの働きぶりが認められて、後継者がいなかったその牧場を譲り受け、画期的なシステムを考案導入しつつ次々周辺の牧場を買収し、精肉卸売業界に殴り込みをかけた風雲児となったわけです。その後ステーキチェーンを立ち上げた時、一号店にオーナーご一家を招待して、オーナーと感動の再会を果たされました」 「冗談の様な話だな」  思わず溜め息を吐いて感想を述べた秀明だったが、金田は淡々と説明を続けた。 「事実です。他の方に関しても、オーナーは尋常ではない出会いと係わり合い方をされておられます」 「……例えば?」  横に積み上げられたファイルをチラリと眺めた秀明は、嫌な予感しかしなかったが、ここで詳細を尋ねるのを止める気にはなれなかった。すると予想通り、金田がとんでもない事を言い出す。 「才能が無いと世を儚んで、自殺を考えて橋の欄干の外に出て逡巡していた方を、美子様が助けようとして間違って川に突き落として、溺れ死にさせかけたとか。しかしその方は、それでこの世とあの世の狭間を垣間見て才能が開花したと、周囲の方々に語っておられるそうです」 「おい……、それはさすがに冗談だろう?」  思わず顔を引き攣らせた秀明だったが、金田はそれには構わず話を続けた。 「それからオーナーが街で迷子になった時に、偶々遭遇した占い師が顧客を洗脳していて、その家庭が崩壊しかかっていたのを見て、占い師の理論を木っ端微塵に叩き潰して、顧客の目を覚まさせたとか」 「美子は普段、それ程弁の立つ方じゃないが?」  もの凄く疑わしげな秀明の表情にも全く動じず、金田の説明は更に続いた。 「それから、悪徳業者に借金返済の名目で金を搾り取られていた方が、その事務所にトラックごと突っ込んで自殺を図りましたが、その直前道路に飛び出した美子様を咄嗟に避けようとして、街灯に衝突してトラックは大破。重傷になったその方のお詫びに伺った藤宮氏が、詳細を窺って、借金の利息を正規の手続き上に戻す手配を整えた上、その方の再就職の世話もされて、一家で再出発されたとか」 「それだったらお義父さんの性格上、話は分かるが」  何となく納得できる話に、秀明の険しい表情も幾らか緩んだが、次の話で表情が一変する事になった。 「それからネズミ講に嵌っていた方が、とある場所でハンドバッグを置き忘れ、偶々それを見ていた美子様がそれを片手に慌てて追いかけたら、何がどうなったのか私共には皆目見当が付きませんが、そのネズミ講組織が壊滅する羽目になりまして」 「ちょっと待て! 一体何がどうなって、忘れ物を届けようとしただけで、犯罪組織が壊滅するんだ!? 第一、『皆目見当が付きませんが』って、それを調べるのがお前達の仕事だろうが!?」  慌てて問い質してきた秀明に、金田は少々口惜しげな口調と表情で続ける。 「申し訳ありません。私共が調査しても、明確な所がどうしても分からなかった物で……。恐らく美子様は勿論、当事者の組織の人間も意識していない出来事から、偶々そんな事態に繋がってしまったのではないかと推察します」 「推察しますって……、おい、金田?」  半ば呆れながら声をかけた秀明に、金田はすこぶる真顔になって端的に告げた。 「結論を申し上げますと、オーナーは道を歩けば意図せず迷える子羊にぶち当たり、更に無意識に力技でその進路を強制変更してしまうと言う、特異体質の持ち主なのだと思われます」 「体質って何だ、体質って……。アレルギーみたいに言うな」 「才能と言うよりは、体質の方がしっくりくるかと」 「…………」  その主張に(確かにそうかもしれない)とうっかり納得してしまった秀明は、思わず無言になった。そんな彼を(恐らく最大の、人生の進路変更をさせられたのは、この人に間違いないがな)と感慨深く眺めながら、金田が核心に触れる。 「実は、三田のお屋敷に出入りされている方の中に、偶々オーナーを崇拝していらっしゃる方が何人かいらっしゃいまして、加積様にお話しされたそうです。それで加積様がオーナーに興味を持たれて、私共に彼女の経歴を調べさせましたら、芋づる式に皆様との関係が上がって参りまして。全て調べ終えて加積様と桜様にご報告いたしましたら、大爆笑されました」 「……だろうな」  そこまで聞いた秀明は完全に当時の背景を理解し、思わず遠い目をしてしまった。 「それで『面白そうだから、ちょっと知り合いになってみよう』とか、あの夫婦が言い出したのか?」 「はい。それで桜様がオーナーと知り合われた後、『一見凡庸に見える貴重なお友達だし、私利私欲に走るタイプじゃないから、一番面倒なここを任せたら? おあつらえ向きに、使えそうなオマケ付きだし』と仰ったそうです。確かにあそこに出入りされる方々は、殆どギラギラした眼の私利私欲に走る方々ばかりで、傍から観察する分には十分面白い方々ばかりですが、こちらのトップに担ぎ上げるのには問題があり過ぎて……。桜様のご判断は、賢明でした」 「……………………」  金田にしみじみとそんな事を言われた秀明は、明らかに『使えそうなオマケ』呼ばわりされても、怒り出したりはしなかった。しかし深々と溜め息を吐いたところで、軽いノックの音と共にドアから社員が顔を覗かせる。 「副社長、申し訳ありません」 「どうした?」  緊急時で無ければ顔を見せる筈も無い部下の姿に、金田は若干顔付きを険しくして目線で彼を招き入れ、傍に寄って来た彼から掌サイズのメモ用紙を受け取った。そこに書かれた内容を確認した金田は、チラリと俯いている秀明に視線を向けてから、何事かを囁いて部下に部屋から出る様に指示する。そして再び室内に二人だけになってから、金田は苦笑交じりに秀明に声をかけた。

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