半世紀の契約
(5)容赦ない反撃②

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「お騒がせ致しました。できれば先程の醜態はお気になさらず、ご歓談下さい」  そう口にしてから美子は静かに上座に進み、住職達に向かって改めて詫びを入れた。 「ご住職、大変見苦しい物をお見せ致しまして、誠に面目ございません」  そう言って深々と頭を下げた美子に、長年の付き合いのある老僧侶は鷹揚に頷いた。 「いやいや、法要の席とは故人を悼み、安らかに逝ける様に残された者が想いを馳せるもの。あの様な者が居たならば、成仏の妨げ以外の何物でも無い。宜しい様に」  そう言って合掌した住職の横で、副住職も苦笑いで頷く。 「正直、私共の方から説教しようかと思っていた位ですから、お気になさらず。しかしあの様な方が拙僧の様な若輩者に意見されたとて、素直に心根を改めるとは思えませんので、年長者に丸投げするつもりでおりましたが」 「何だと? 全く近頃の若い者は、年長者を敬うどころか、隙あらばこき使う気満々でけしからん」 「いえいえ、ご住職の徳の深さを身にしみて存じ上げている故の物言いですので、ご容赦下さい」  そんな気安いやり取りで漸くその場の雰囲気が解れ、室内がざわめきを取り戻した為、美子は改めて住職達に感謝して軽く頭を下げてから、父方の親族達が固まっている席に向かった。 「和典叔父さん。会期末のお忙しい中わざわざ足を運んで下さったのに、見苦しい所をお見せしまして、本当に申し訳ありませんでした」 「気にするな美子ちゃん。住職の言うとおりあまりの暴言ぶりに、私も怒鳴りつけるつもりでいたからな。唖然としているうちに、先を越されてしまったが」 「本当に、美子ちゃんがピシャリと言ってくれて、胸がスッとしたわ。ところであの方は、どんな方なの? 藤宮家と関係がある方よね?」  神妙に頭を下げた姪を夫婦揃って宥めてから、義理の叔母である照江が眉を顰めて小声で尋ねてきた為、美子は疲れた様にそれに答えた。 「母の父と、あの人の母親が兄妹で、母の従姉妹の一人に当たります。ご主人が旭日食品の関連会社の社長をしておりますが、普段は殆ど行き来していませんのに、急に一家揃って出向いて来たので、朝からおかしいとは思っていたのですが……」  その苦々しげな顔付きを見て、自身も様々な冠婚葬祭を取り仕切らなければ立場である照江は、すぐにピンときた。 「ひょっとして……、朝に急いでお膳の数を増やしたとか?」 「はい。お分かりになりましたか」 「なるほど、良く分かったわ。あれだけの暴言を吐いても、向こうの親戚が傍観しているわけが」  些かわざとらしく、声量を通常レベルに戻しながら発言した照江に、美子は少し慌てた。 「声が大きいぞ、照江」 「叔母さん。決して傍観していたわけではありませんから」  慌てて和典も窘めたが、昌典の姉で美子の実の伯母に当たる優子と恵子も、同情する顔付きになって横から声をかけてくる。 「でも、やっぱり色々大変そうね」 「なまじ血縁があると言いにくい事があるでしょうし、何か困った事があったら、いつでもこちらの方に声をかけてね?」 「私も相談に乗るわ。愚痴を零すだけでも、気が楽になるでしょうし」 「ありがとうございます。優子伯母さん、恵子伯母さん」  そこで少し父方の親戚と和やかに話をしていると、漸く用事を済ませたらしい昌典が部屋に戻って来たが、膳が四つとそこに居る筈の人間の姿が見えなくなっている事にすぐ気が付き、周囲の者に訝しげな声をかけた。 「……何かありましたか?」  しかし流石に口にするのは憚られる内容であった為、皆が口を噤む中、自分で説明しようと美子が声を上げたが、それを大叔父に当たる人の声が遮る。 「お父さん、それが」 「昌典君、話がある。鴫原君と守田君と土井君も少し時間を貰えるか?」  険しい表情の義理の叔父の顔を見て、昌典は瞬時に真顔で応じ、指名された者達も、おおよその用件を悟って素早く立ち上がる。 「はい」 「分かりました」  そこで美子は、冷静に父に向かって申し出た。 「お父さん、それなら南西の座敷を。座卓と座布団を揃えてあるわ。誰か具合が悪くなったり、休憩する可能性もあるかと思ったから。美恵、そちらに人数分のお茶をお出しして」 「準備してくるわ」  そうして旭日食品上層部だけでの密談が開始された後は、室内では和やかな雰囲気で会話が交わされ、無事にお開きの時間を迎える事となった。 「今日は本当に疲れたわ……」  何とかその日の予定を全て終わらせた美子は、居間で睡眠導入剤を飲んでから自室に入り、寝支度を整えて自分のベッドに転がった。そして先程飲んだ物を思い出して、枕元の携帯を引き寄せる。 「役に立ったし、一応お礼のメールを送っておこうかしら?」  殊勝な事を呟きながら片手で操作していた美子だったが、すぐに眠気に抗えずに、深い眠りに落ちていった。  その直後、美子からのメールを受け取った秀明は、『無事終わりました』と記載された件名から本文に視線を移して、軽く首を傾げた。 「『ありがとうございまし』? 最後の『す』を打ち間違えたのか、『ました』と打つところを力尽きたのか……」  真顔で自問自答したのは数秒だけで、秀明は「どちらにしても、ぐっすり眠れそうだな。お疲れ様」と苦笑を浮かべ、次にやるべき事を思い出して、早速行動に移した。

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