入籍した直後。加積の誕生祝いの席に招待されて、秀明と一緒に加積邸に出向いた美子だったが、到着後に予想外の事を笠原から告げられた。 「申し訳ありませんが、お祝いの席には美子様のみの参加でお願いします」 「は? 夫婦で招待しておいて、何だそれは?」 「申し訳ございません。毎回配偶者の方々には、別室にてお食事を準備してありますので」 「…………」 忽ち不機嫌な顔になって黙り込んだ秀明だったが、ここで帰ったり無理に同席させる事は無理だと悟った美子は、笠原に頷いて秀明を宥めにかかった。 「分かりました。私だけ案内して頂けますか?」 「おい、美子」 「加積さんと桜さんが揃っているんだもの。そんな変な宴会にはならないわよ。それに今回は、加積さんの各方面の事業を引き継いだ方達が一堂に会するそうだし、ご挨拶だけでもしてくるわ。どのみち、顔見せはしないといけないと思うし」 「確かにそうだろうが……」 美子のその主張に反論できなかった秀明は、益々渋面になりながら、強い口調で言い聞かせた。 「それは分かったが、変な事を言われたりされたりしそうになったら、手加減せずに反撃しろよ?」 「だから、そんな変な事にはならないって言ってるのに、心配性ね」 そして夫婦のやり取りが一段落したのを見て取った笠原は、落ち着き払ってすぐ横の襖を手で示しながら秀明を促した。 「それでは藤宮様は、こちらのお部屋でお待ち下さい」 「……分かった」 「美子様は奥へご案内致します」 「はい、笠原さん、お願いします。じゃあ、少し待っててね」 笑顔でもう一度宥められた秀明は、美子が廊下の曲がり角の向こうに消えるまで見送ってから、不承不承襖を引き開けて示された部屋に入ると、そこには八つの膳が並べられ、着飾った年配の女性が七人座っていた。しかし互いに敵愾心を持っているのか、無言で微妙な雰囲気を醸し出していたが、秀明はそんな事は物ともせず空いている席に座り、その座敷担当らしい給仕役の女性の一人から、盃を受け取る。 (全くろくでもないな……。何か問題がある様なら、美子がなんと言おうと引き摺って帰るぞ) 仏頂面で冷酒用のポケット付きカラフェを奪い取り、料理を摘みながら早速手酌で飲み始めた秀明だったが、すぐに隣の席から媚を売る様な視線と声音で声がかけられた。 「話には聞いていたけど、思っていたより随分若くて良い男じゃない。一緒に飲まない?」 しかし秀明はその女性に一瞬視線を向けただけで、ざっくりと切り捨てる。 「はっ! 面の皮の厚さが五cmで化粧の厚さが三cmの化け物となんぞ、酒が飲めるか。ただでさえ不味い酒が、飲めたものでは無くなるに決まってんだろ」 「何ですって!?」 「五月蠅いと言ってるんだ。失せろ。妖怪ババァ」 「何て生意気な若造なの!?」 「原田様!」 「お気持ちは分かりますが、このお屋敷で騒ぎを起こすのはご法度ですから!」 思わず腰を浮かせて掴みかかろうとした女性を、給仕役の女性が三人がかりで押さえ込み、必死になって宥める。そんな騒ぎなど綺麗に無視して、秀明は怒りを燻らせつつ面白く無さそうに飲み続けた。 (今度からは、呼ばれても絶対来るか。美子も二度と出さんぞ) 段々剣呑になってくる秀明の形相に、給仕役達を初めとして、普段それなりに羽振りを聞かせている筈の女性達も、いつしか押し黙って薄気味悪そうに秀明の様子を窺う。そんな調子で一時間半以上が経過し、室内の雰囲気がさながらお通夜のそれに成り果てた頃、控え目な声と共に出入り口の襖が引き開けられ、笠原が姿を現した。 「失礼致します」 何事かと室内の全員が彼に顔を向ける中、笠原は一人無視を決め込んでいた秀明の元に歩み寄り、正座して彼に声をかけた。 「あの……、藤宮様」 「何だ?」 「その……、奥様を引き取って頂けないでしょうか?」 神妙な顔付きで、そんなお伺いを立ててきた笠原に、秀明はすぐに盃をお膳に置いて鋭い視線を向けた。 「美子がどうかしたのか? 酔って体調を崩したとか?」 「いえ、大層ご機嫌でいらっしゃいまして、体調も宜しい様です。先程から野球拳で、全戦全勝していらっしゃいますし」 一瞬、相手を締め上げようかと思った秀明だったが、予想外の話を聞いて自分の耳を疑った。 「今、何と言った? 野球拳? 何の冗談だ?」 「それが……、冗談では無くお客様全員が、お召し物を全て取られてしまいまして……」 「はぁ?」 言われた秀明は目を丸くしたが、その場に居合わせた者達全員も、何を言われたのか分からない様な表情になった。そんな戸惑いの視線を全身に浴びた笠原は、取り出した白いハンカチで額の汗を拭いながら、控え目に懇願してくる。 「美子様が先程から、旦那様相手に勝負を……。このままの勢いですと、間もなく旦那様が身ぐるみ剥がされる可能性が出て来てしまったものですから……」 そこまで聞いた秀明は笠原を怒鳴り付けつつ、勢い良く立ち上がった。 「そんな事を、悠長に報告している場合か!! どの部屋だ!?」 「廊下に出て右方向に進んで、突き当りを更に右に進んで、左側の奥から二番目の部屋になります」 「分かった。貴様も来い!」 言い捨てて廊下に向かって駆け出した秀明を、笠原が慌てて追いかける。一瞬遅れてその部屋の女性達も何事かと立ち上がり、二人の後を追った。
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