とある休日の昼下がり。都内某高級ホテルの趣のある日本庭園に面した広々とした和室では、一組の男女の見合いが進行中だった。 当人達に加えて、付き添い兼仲介者として男性側の上司の妻、女性側の叔母を交えてのその席は、昼時に茶会席に準じた料理を食べつつ、傍目には順調に進行していった。……当人達が殆ど喋らず、付き添い人ばかりが会話に花を咲かせている以外には。 「そんな風に、主人は白鳥さんの事を、とても買っておりますのよ?」 「優秀な成績を修めて東成大を卒業されただけでも素晴らしいのに、国家公務員試験も合格して官庁入りして前途洋々であられるなんて、本当に素晴らしいですわね」 「私も同感ですわ。それに白鳥さんは有能な上に、大変眉目秀麗でいらして。主人とは月とスッポンですもの」 「まあ、少しご主人がお可哀想。確かに白鳥さんの様に見た目涼やかと言う感じではありませんが、なかなか味わいのあるお顔をしていらっしゃる上に、ご主人程他人に存在感と信頼感を感じさせる方なんて、そうそういらっしゃいませんわよ?」 「ありがとうございます。美嘉さんがそう言っていたと伝えたら、主人は泣いて喜びますわ。美嘉さんの審美眼の高さは、つとに有名ですもの」 「まあ、そんな事仰らないで。恥ずかしいですわ」 途切れなく会話を続けつつ、合間に「おほほほほ」と高笑いしている叔母達を軽く横目で眺めた、明るい色調のスーツ姿の美子は、溜め息を吐きたいのを懸命に堪えた。 (もう帰りたい……。美嘉叔母さんの交友関係から持ち込まれた話だから、無碍に断るわけにはいかなくて了承しちゃったけど。やっぱり来るんじゃなかったわ) そしてこの間涼しい顔をして、供された膳を優雅な所作で平らげている、冒頭に「白鳥秀明」と紹介された、向かい側に座る男に目を向けた。 (政治家のイケメン三男坊で、官庁勤務のキャリアと言っても、農水省じゃなくて経産省勤務だなんて。旭日食品の業務とそれほど係わり合う事柄は無いから、結婚しても大したメリットは無いじゃない。美嘉叔母さんったら、どうしてこんな縁談を持って来たのかしら?) 隣に座っている叔母の考えが全く読めず、美子は軽く眉根を寄せたが、相変わらず上機嫌で話し込んでいる彼女達を見て、ふと思い至った。 (単に叔母さんが面食いだったから、とか?) 思わずそんな事を考えて、脱力しかかった美子だったが、心の中で自分自身を叱咤し、なんとか気を取り直した。そして向かい側からの視線を感じて、僅かに眉根を寄せる。 (だけどどうしてさっきから、あの人はずっと胡散臭い笑みで、私の事を見ているのかしら?) その視線が不躾とまでは言えない為、はっきりと口に出して非難する事も出来ずに、美子がモヤモヤしたものを胸の内に抱えていると、年長の女性二人が我に返った様に、二人に声をかけてきた。 「あら、ごめんなさいね。当人そっちのけで、年寄り二人で盛り上がってしまって」 「うるさかったでしょう?」 「いえ、お二人の仲が良いのは伺っておりましたし、遠慮なさらずお話し下さい」 美子は正直(寧ろ、最後まで二人だけでしゃべり倒していて)と思ったが、そんな事はおくびにも出さず、穏やかに微笑んで見せた。するとそれに賛同する声が上がる。 「そうですね。女性が楽しく歓談されているのに、それに水を差すような無粋な真似はしたくはありません」 「本当に白鳥さんは紳士ね。それに長年武道を嗜んでいらっしゃるそうで、姿勢がとてもお綺麗だし」 上司の妻に感心した様に褒められて、白鳥は恐縮した風情で軽く頭を下げる。 「恐れ入ります。空手歴は長いのですが、芸事などには疎いもので。休日にも気分転換に道場に出向く位ですから、父や兄達からは『とんだ不粋者だ』と、日々叱責を受けております」 そう謙遜してみせた白鳥に、女性二人は真顔で力強く否定した。 「まあ、無粋だなんてとんでもない!」 「そうですわ! 健康的でよろしいじゃありませんか」 「ありがとうございます。そう言えば美子さんは私とは違って、色々芸事に秀でておられる様ですが、普段気分転換にはどの様な事をされていますか?」 ここで唐突にこちらに視線と話の矛先を向けてきた秀明に、美子は訳もなく苛ついた。 (ついさっきまで全然話しかけてこないで、人の事を散々観察してたくせに、何でここで話を振るのよ) そんな風に少々やさぐれた心境で、しかし美子は口調だけは穏やかに話し出した。 「私の気分転換の方法ですか? それはやはりサッ」 「茶道です! 美子はお茶を立てると、心が落ち着くと申しまして!」 いきなり声高に会話に割り込んできた叔母の美嘉に、美子は軽く眉根を寄せたが、特に文句は言わずに話を続行させた。 「いえ、そうでは無くシュー」 「習字もこの子は上手でして! 書道で五段の腕前なんですの。写経なんかもう、惚れ惚れするくらいの流麗な文字で。あれは精神統一にはもってこいですわね!」 「まあ、素敵! 私、自分の書く字に自信がないから、羨ましいわ」 「安心なさって。私もそうですから」 そして無理やり話を捻じ曲げた挙句、女二人で「おほほほほ」と高笑いに近い笑い声を上げた叔母に、美子は些か呆れた気味の口調で囁いた。 「美嘉叔母さん……」 姪の何とも言えないその表情を見た美嘉は、微妙に顔を引き攣らせながら、小声で弁解してくる。 「あ、あのね、美子ちゃん。やっぱり物には、言うタイミングがあると思うの。最初から“あれ”はちょっと拙いんじゃないかしら?」 「……分かりました」 諦めて溜息を吐いた美子と美嘉の様子を、座卓の向かい側から秀明は興味深そうに眺めていたが、その隣から今更の様な声がかけられた。 「それではここら辺で、少し余人を交えず、当人同士でお話ししてみては?」 その提案に救われた様に、嬉々として美嘉が腰を浮かせる。 「そうですわね。私達はロビーでお話ししていましょう。このお部屋はあと一時間は使えますし、お庭の散策も素敵ですわよ? 白鳥さん、美子さんの事を宜しくお願いしますね?」 「畏まりました」 「じゃあ、美子ちゃん。白鳥さんと色々お話ししてみて」 (お願い。あまり無茶な事はしないでね?) 目は口ほどに物を言いとは良く言ったもので、叔母の表情から懇願する気配を読み取った美子は、溜め息を吐きたいのを堪えつつ、穏やかに笑って見せた。 「はい、分かりました。後程、叔母さん達の所に参りますので」 そうして年長者二人が部屋を出て行くと同時に、室内は静寂に包まれ、窓の外に広がる庭園に設置されている鹿威しの音が、心地よく聞こえてきた。
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