翌日の深美の葬儀と告別式の朝。滞りなく準備を進めていたにも係わらず、美子にとって予想外の事態が発生してしまった。 「すみません、田野倉さん。今から都合は付きますか?」 藤宮家はこれまで何度も法事などで同じ料亭から料理人と仲居を派遣して貰っており、美子がすっかり顔馴染みになっていたベテランの田野倉に、廊下の隅で人目を憚る様にしながら事情を説明すると、きちんと着物を着こなした彼女は、全く動じずに笑顔を返した。 「大丈夫ですよ、美子さん。多少の人数の増減など、想定のうちです。こちらはプロですから」 「ありがとうございます。宜しくお願いします」 「お任せ下さい」 安堵して頭を下げた美子だったが、田野倉は笑顔で請け負ってから不思議そうに問い返した。 「朝になって急に、遠方にお住まいの方が連絡も無くお見えになったのですか?」 「いえ、都内在住の方ですが、普段それほど親しくしていないのに、何故か息子さんを二人同伴して来まして。骨上げにも参加させると言い出したものですから」 苦々しげに口にした彼女に、田野倉が益々怪訝な顔付きになる。 「平日に、ですか? 何かで学校がお休みだから、連れていらしたんでしょうか?」 「二人とも社会人です」 「まあ……」 そこで田野倉が何とも言い難き顔付きで黙り込むと、廊下を制服姿の美野が小走りにやって来た。 「美子姉さん。ご住職と副住職がいらしたわ。今お父さんが挨拶してるの」 「分かったわ。今行くから」 「お膳の方はお任せ下さい。調理師に伝えておきます。器類も予備がありますから大丈夫です」 「お願いします」 田野倉がすぐに了承してくれた事で取り敢えず安堵した美子は、葬儀会場である部屋に向かった。 それから定刻通り、通夜と同様に菩提寺の住職と彼より若い副住職によって、つつがなく深美の葬儀が執り行われた。その後無事出棺し、斎場での骨上げも済ませてから再び家に戻り、近親者だけで還骨法要と繰り上げ初七日法要が営まれる。 その後、藤宮家側で人数分の膳を整え、下座の昌典が喪主として列席者に挨拶して精進落としが開催されると、喪主自ら上座の二人の僧侶の元に進み、御礼言上がてら酌を始める。 未成年である美野や美幸は、食欲の無さそうな顔で大人しく膳をつついていたが、美子、美恵、美実は手分けして親族や会社の重役達の席を回り、参列して貰った事に対する感謝の言葉を述べながら酌をしつつ、歓談を始めた。そしてここに至って朝からずっと気を張りつめていた美子も、漸く気持ちに余裕を取り戻してきた。 (幾つかの小さなトラブルは有ったけど、取り敢えず大きな問題はなく進められたわね。後はこの精進落としだけ終わらせれば良いし、気が楽だわ) そう考えて密かに安堵の溜め息を吐いた美子だったが、その一連の儀式の最後の最後で、最大級の揉め事が勃発する事になった。 「まあまあ、美子ちゃん。本当に大変だったわね。急な事でおばさん、本当に驚いちゃったわ」 何組かの参列者の席を回って、美子が母とは従姉妹に当たる橋田珠子の席にやって来ると、相手がやや大げさに馴れ馴れしく声をかけてきた。それに内心嫌気が差しながらも、それは面には出さずに丁重に礼を述べる。 「この度は一家揃ってお出で頂き、ありがとうございます」 その台詞には若干の嫌味も含まれていたが、生憎な事にそれは相手には通じなかった。 「それは藤宮家の一族としては、当然の事よ。深美も娘を五人も残して、さぞ心残りだったでしょうねぇ」 「そうですね」 (何よ、病院に一度も見舞いに来なかったくせに、如何にも親しげなふりをして、馴れ馴れしくお母さんの名前を呼び捨てにするなんて。しかも年始にも息子連れで来た事なんか無い癖に、急に一家揃って来るなんて、どういう了見よ) 厚かましい物言いの上、朝から余計な手間をかけさせられた事もあって、美子の機嫌は急激に悪化していったが、珠子の猫撫で声での会話が続いた。 「今後藤宮家は、色々と大変よねぇ。伯父様はとっくにお亡くなりになっているし、残っているのは婿養子で入った方と、お嬢さんだけだなんて」 「会社の事も家の事も、特に支障はないかと思いますわ。父は今の所、健康に不安もありませんし」 さらりと流そうとした美子だったが、珠子はさも当然の様に横柄に言い放った。 「それはそうでしょうよ。婿養子になった位ですから、しっかり会社を守って貰わないとね。そうじゃないと、後が困るわ」 「後と仰いますと?」 (本当に以前から思っていたし、お母さんも良い顔をしていなかったけど、お父さんに対して馬鹿にした態度を隠そうともしないわね、この人。何様のつもりよ? お父さんは……、いない? 会社から何か仕事に関しての電話でも来て、抜けたのかしら?) 全く悪びれずに会話を続けている為、珠子の言っている内容を耳にした周囲の何人かは、この時点で無言で彼女に咎める様な視線を送り始めた。美子もさり気なく父親の姿を探したが、取り敢えず席を外しており、不愉快な物言いを耳に入れていなかった事が分かって安堵したが、珠子の傲岸不遜な物言いは更に続いた。
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