半世紀の契約
(19)半世紀の契約②

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「さっきあなたが八十になったらここに戻ると言ったけど、頭ははっきりしてても、足腰が立たなくなってる可能性もあるのよ? そうなったら家族ぐるみで移住するっていうのは考えにくいし、私が一人で老々介護する可能性が大じゃない。その時地域の医療機関の在宅サポート体制が、どれだけ充実しているかが、重要になってくると思うの」 「……確かにそうだな」  彼女の主張に全く反論できなかった秀明は、大人しく頷いた。すると美子が、冷静に意見を述べる。 「見たところ個人の医院は散見できたけど総合病院とかは無さそうだし、地域医療体制は今でもギリギリっぽいんじゃないかしら?」 「こんな寂れた所は嫌か?」 「話は最後まで聞いて。タイムリミットまで五十年あるのよ? それだけあれば可能性は無限大じゃない」  突然、そんなとてつもない事を言い出した美子に、秀明は本気で唖然となった。 「可能性って……。この町のどこに、そんな物があるんだ?」  しかし美子は、平然と自分の持論を展開した。 「確かに今は何も無いかもしれないけど、逆に言えば広い土地が余ってるんだから、何だって好きな様に作れるわよ。都会みたいに狭い土地に地権者がゴチャゴチャしていないんだから、買収だって遥かに楽じゃない?」 「それは、そうかもしれないが……」 「鉄道が無いなら、民間会社を立ち上げて、作っちゃえば良いし。いっそ降りた駅と向こうを走ってるJRを結んで、循環鉄道にした上で相互乗り入れにしたりして。それなら営業キロ数は短くても、住民の利便性は飛躍的に向上するんじゃない?」 「ちょっと待て、美子」 「それから高速道路の出入口から、この町に伸びる道路を、片側四車線位にドーンと拡張しちゃうとか。そうすれば流通だって便利に」 「簡単に言うがな。出入口は隣町だから、異なる自治体を跨いで走る道路の場合、拡張するだけでもそれぞれ面倒な許認可関係が」 「でも、やろうと思えばできない事も無いんでしょう?」 「それは、まあ……。相当面倒で難しいが、全く不可能では無い事は確かだが……」  美子の話を遮ろうとしては、常に無い迫力に負けてしまった秀明が難しい顔で考え込むのと同時に、彼女はそれまでとは打って変わって明るい笑顔になって言い募った。 「そうは言っても、そんな旨すぎる話は、この町のトップによほどリーダーシップを取れる人が就任して、各種の専門知識を持つ優秀なブレーンが何人もその人に付かないと無理だとは思うけど」 「美子……」  そこで呆然と自分の名前を呟いた秀明に向き直り、美子は更に笑みを増して笑い飛ばした。 「今までが寂れていたからと言って、これから五十年もこのまま変わらないって決めつけるなんて、あなたらしく無いんじゃない? そこまで心配しなくても、きっと大丈夫よ。その頃には介護ロボットとかも色々開発されて、便利で楽になってるわ」  それを聞いた秀明は、漸くその顔に笑みを浮かべた。 「美子がそこまで楽天的だとは思わなかったな」 「現実的と言って頂戴」  そして真正面から秀明と向かい合った美子は、少し偉そうに宣言した。 「それじゃあ、あなたと結婚してあげるから、責任持って五十年間、私と藤宮家と私の大切な物を、丸ごと全部しっかり守ってね? その代わりにあなたの人生の最後は、ここで一緒に暮らしてあげるから」 「分かった。約束する」  笑顔で頷いた秀明だったが、ここで何か思い出したらしく、美子が慌てて付け足した。 「あ、もう一つ条件を追加して良い?」 「何だ?」 「このお墓、もう少し下に移設できない? 今は良いけど、年を取ってからここまで上がって来るのは厳しそうだから」  何を言われるかと若干身構えた秀明だったが、切実な訴えをしてきた美子の表情を見て、思わず笑ってしまった。 「尤もだな。お互い足腰が立たなくなる前に、移設しよう」 「お願いね」  そして全ての用事を済ませた秀明は、柄杓を入れた空の桶を持ち上げて、墓の仕切りの外に向かって歩き出した。 「じゃあ、適当に昼食を食べて帰るか。とんぼ返りで悪いが」 「じゃあせっかくだから町の中で食べていかない? 良く見てみたいし」 「……まともに食わせる所があったか?」  途端に懐疑的な顔になった秀明だったが、美子は動じずに言い返す。 「人が生活してるんだから、何とでもなるわよ。早速、五十年後の生活基盤のリサーチよ。それに秀明さんが暮らした所を、色々教えて貰いたいし」 「……そうか」  それを聞いた秀明は少々照れくさそうな表情で頷き、それ以上抵抗はしなかった。 「それから、日舞教室を辞めて、ジム通いをしようかしら?」 「どうしてだ?」 「脚力には自信が有るけど、腕力は全然無いのよ。今のうちに筋肉を付けておかないと、体位交換の時に辛いかも」  真顔で懸念を口にした美子だったが、秀明は負けず劣らず真剣な顔で反論した。 「変に筋肉を付けるな。俺を足で蹴り転がせば良いだけの話だろうが?」 「そんな事をしたら、忽ち鬼嫁って噂が広がるわよ!」 「俺は構わないが?」 「私が構うの!」  必死に言い募る美子を見て秀明は失笑し、それを見た彼女は少々むくれた。そんな自分を宥める秀明の言葉を半ば聞き流しながら、下りてきた坂道の曲がり角で、そろそろ見えなくなる墓に視線を送る。 (これからは時々来ますね、お義母さん)  心の中で呟いた言葉に返ってくる声は当然無かったが、美子はすっきりとした気持ちで、秀明と並んで緩やかな坂道を下りて行った。

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