「美子さんがここの会長に就任するのが決まった時点から、美子さんを含む藤宮家の皆さんは、全員警護対象になっている」 「そうだったんですか。存じませんでした」 「それで美子さん達に近付こうとする不埒な輩を、引ったくりを装って引き倒して動けなくさせたり、工事現場から事故を装って頭上に大量の砂を降らせて足止めしたり、自転車でひき逃げしたり。他にも色々な手段で、これまで二十回以上人知れず妨害を」 「ちょっと待って下さい! 今の話、明らかに犯罪行為が混ざっているんですが!?」 慌てて加積の話を遮って問い質した美子だったが、それに桜はあっけらかんと答えた。 「大丈夫よ。皆、経験豊富なプロばかりだし。警察に捕まる様なヘマはしないわ」 「そういう問題では無いですよね!?」 (やっぱり付いていけないわ、この人達!) 本気で頭を抱えたくなった美子だったが、ここで更に聞き捨てならない事を加積が言い出した。 「それで度重なる“偶然”で悉く失敗した連中は、無理に押しかけて心証を悪くするよりも、確実だと思う方法を考えたらしい。部下達の報告ではこの数日、美子さん達の周囲から姿を消しているそうだ」 「つまり、どういう事ですか?」 「どこからか、美子さん達の披露宴の日時を嗅ぎ付けたらしい。実の兄が出向くなら、他の人間の手前、排除する為に揉めて騒ぎを起こすのも外聞が悪いし、急いで席を設けるだろうと考えているのではないか?」 冷え切った笑みを浮かべている加積を見て、正直恐怖を覚えた美子だったが、それ以上に厚かまし過ぎる白鳥家への怒りと呆れが、それを軽く上回った。 「正気ですか? そんな自分達に都合の良い事を、本気で考えていると? 第一、身内なのに呼ばれない段階で、恥ずかしいとか問題があるとは考えないんでしょうか?」 「さあ。他の方の考える事は、良く分からないわ。それで、美子さんはどうするの?」 そこで唐突に桜に尋ねられ、美子は怒りも忘れて面食らった。 「私、ですか?」 「ええ」 「そうですね……」 そこで三十秒程俯いて考え込んだ美子は、ゆっくりと顔を上げてきっぱりと断言した。 「秀明さんは父と養子縁組をして、既に藤宮家の人間です。つまり彼に手を出す人間は、藤宮家全体の敵になります。それならただでさえ秀明さんが忙しい時は、私が蹴り倒しても問題ありませんよね? 寧ろこの場合標的が私の様ですから、私が手を下すべきかと思います」 その宣言に、加積が満足そうな笑みを浮かべながら、詳細について告げた。 「その通りだな。因みに当日は会場のホテルに、警備担当の者を十名程、目立たない格好で潜り込ませる予定だ。手を借りたい時は、金田に言ってくれ。これからは美子さんの部下になるわけだから、好きに動かして構わない。向こうの動きも引き続き探らせて、逐一、君に報告させよう」 「ありがとうございます。人手が要る時には、お願いする事にします。それからもう一つ、お願いしたい事があるのですが」 「何かな?」 「白鳥家からのちょっかいと護衛の件について、私が既に知っている事を、秀明さんに内緒にしておいて欲しいのですが」 それを聞いた加積は一瞬考えてから、確認を入れてきた。 「それは、あいつが美子さんに隠しているからか?」 「はい。私に心配させたくないとか、嫌な思いをさせたくないとか、見当違いな気遣いをしているのにちょっと腹が立ちましたので。自分から言うまでは、勝手に一人でやきもきさせておきます」 その容赦のない物言いに、加積は思わず笑ってしまった。 「分かった。その様に金田達には厳命しておこう」 「まあ、美子さんったら、存外悪い女だったのね?」 「あら、ご存じなかったんですか?」 冷やかしてきた桜に、美子がすまして言い返す。すると桜は笑みを深くしながら、楽しげに言い切った。 「でも確かに良い女程、抱えている秘密の数は多いし、ある程度の秘密を抱えておくのは、夫婦円満の秘訣なのよ。覚えておきなさいね?」 「分かりました。肝に銘じておきます」 「お前は本当に良い女で秘密だらけで、俺を驚かせるのが得意だからな」 その呆れ果てたと言わんばかりの加積の台詞に、女二人は同時に笑い出し、それに加積も苦笑いで加わった。それから世間話をしながら、楽しく時間を過ごしていると、秀明が金田を引き連れて戻って来る。 「待たせたな、美子」 「大丈夫よ? お二人と楽しく話していたし」 「そうか」 秀明は笑顔で出迎えた美子に、釣られた様に顔を緩めたが、反対に彼の顔を眺めた美子が、若干気遣わしげに尋ねた。 「秀明さんこそ、大丈夫? 大変そう?」 そう問われた秀明は彼女の横に座りながら、その懸念を打ち消した。 「それほどでもない。俺まで回ってくる案件は、そうそう無い筈だからな」 「私共も、なるべく社長とオーナーのお手を煩わせない様に心掛けますので」 「分かりました。今後とも、宜しくお願いします」 金田からも恭しく頭を下げられた美子は、取り敢えず納得する事にして、自分も頭を下げた。 そして秀明が戻るとすぐに、彼に促されて美子はその場を辞去し、金田と寺島に駐車場まで送られて、桜査警公社を後にした。内心で(そんなに露骨に、長居したくないっていう意思表示をしなくても)と思いながら、助手席で加積達との会話を思い出していた美子は、秀明を含み笑いで見やる。 「どうした?」 その視線を感じたらしい秀明が、運転しながら横目で尋ねてきた為、美子は明るい笑顔になって告げた。 「あなたって、ちょっと可愛いかもと思って」 その途端、秀明の眉間に皺が寄る。 「……何だそれは?」 「大丈夫よ。ちゃんと嫌がらずに面倒を見てあげるわ」 「だから何なんだ。今度はあの妖怪夫婦に、一体何を吹き込まれた?」 自分が席を離れている間に、また何か面倒な事になっていたのかと、信号で止まったのを幸い秀明が心底嫌そうな顔を向けてきた為、美子は笑い出しそうになるのを堪えながら微笑んだ。 「別に? 強いて言うなら……、良い女になる条件と、夫婦円満の秘訣を教えて貰ったわ」 「ろくでもない事を言われている気しかしないぞ」 「まあ、失礼ね」 途端に顔をしかめた秀明に、美子が多少拗ねた様に応じる。しかし秀明は、しみじみとした口調で言い出した。 「だが……」 「何?」 「俺の事を『可愛い』なんて評する人間は、深美さん位だと思っていたのにな」 「だって母娘ですもの」 「そうだな」 クスッと笑って当然の如く応じた美子に苦笑いしかできなかった秀明は、素直に頷いてみせてから、何事も無かったかのように、車を再び走らせて行った。
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