「頼む、江原君! 知らなかったんだ! つい、出来心で! 真希とは日本に戻り次第別れるから、ここは一つ穏便に!!」 「勿論、俺も鬼じゃありません。頼みを一つ聞いて頂ければ、事を表沙汰にする気はありませんよ?」 「そうなのか? いや、本当に恩に着るよ、江原君!!」 途端に喜色満面で秀明の手を取ろうとした松田に、秀明が訂正したスケジュール表を押し付ける。 「そういうわけですので、取り敢えず明日からの三日間で、残り五日分のスケジュールを詰め込みます。この様に、調整を宜しくお願いします」 「は?」 目を丸くしてそれを受け取った松田は、取り敢えず目を通してみたが、その内容を確認した途端、彼の顔から再び血の気が失せた。 「あの……、江原君。これはちょっと、どう考えても無」 「やれ。無理を可能にするのが、今からのてめえの仕事だ。俺はあと三日で、きっちり仕事を全部終わらせて帰国する。万が一仕事を放り出して帰国した日には、あの陰険親父がどんな難癖つけてくるか分からんからな」 「陰険親父って、誰の事で」 「そんな事はどうだっていい。今から死に物狂いで電話をかけまくれ。それに『ドゲザ』と『ハラキリ』は日本のお家芸だと認識してる外国人は多いからな。お前のなけなしのプライドなんか捨てて……」 松田の話を聞かずに厳命していた秀明は、ここで不自然に話を途切れさせて、鋭い視線で松田を見据えた。それに松田が、怯えながら問いかける。 「え、江原君? どうかしたのか?」 その声に、秀明は良い事を思い付いたと言わんばかりに、薄く笑った。 「そうだな……、手っ取り早く、てめえが『ハラキリ』すれば話は早いな」 「は、はいぃ!?」 「さすがに本社も、死人が出てまで出張を続行しろとは言わないだろう。即刻帰国できる」 「そっ、そんな冗談」 「人生、どんな事に巻き込まれる事になるか分からないし、考えられるありとあらゆる事に対する対応策を練っておくのが、俺のモットーでな。今回も海外での遺体搬送代行業者の連絡先を控えてある。安心しろ。遺体はきちんと連れ帰ってやる。家族にも愛想を尽かされないまま、心の籠った葬儀を執り行って貰えるぞ。良かったな」 「ひっ、ひぃぃぃぃっ!!」 「さあ、選ばせてやるぞ? 刺されて出血多量の失血死と、首を絞められて窒息と、浴槽で溺死だとどれが良い?」 「どっ、どれも結構ですっ!!」 とても冗談とは思えない顔付きで、自分に向かって両手を伸ばしつつ距離を詰めてきた秀明から、松田は腰を抜かしながら必死で後退した。その恐怖が浮かんだ顔を見下ろしながら、秀明が冷え冷えとした口調で最後通牒を述べる。 「それとも……、まだこの世に未練があるとか言うのなら、今からすべきことは……。もう一度言わなくても、分かっ」 「わっ、分かりましたっ!! 明朝までに明日の分を、明後日以降は明日中に、調整させて頂きます!!」 壁際に追い詰められ、ぶんぶんと首が千切れそうな位縦に振った松田の肩を叩きながら、秀明は爽やかな笑顔を浮かべて告げた。 「頑張ってくれ。俺は明日に備えて、寝させてもらう。それじゃあな」 そして言うだけ言って踵を返した自分の背後で、早速電話に飛び付く気配を秀明は察知したが、それには構わずに部屋を出た。 「さて……。もう一人、言っておくか」 そして自分が宿泊している部屋に戻った秀明は、無表情で再び電話の受話器を取り上げた。
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