半世紀の契約
(14)進退窮まる時①

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「もう、美実ったら、話の途中でいきなり走り出すんだもの。はい、忘れ物。カメラにノートに筆記用具。机から勝手に持って来たわよ?」  そう言って差し出された物を笑顔で受け取った美実は、ちらりと男二人に視線を向けながら確認を入れる。 「ありがとう、美子姉さん。ねえ、本当にこの人達、二時間好きにして良いの?」 「そうねぇ……」  そして美子も蒼白になっている二人に目を向けてから、真顔で妹に釘を刺した。 「美実。一応言っておくけど、お触り厳禁よ?」  さらっと言われたその内容に、美実から盛大なブーイングが上がる。 「えぇぇっ!? 何よそれっ! 今時場末のキャバクラだって、そんな事言わないわよ!?」 「その代わり、自分で脱いで貰ったり、当人同士で脱がせ合うのは構わないから」 「あ、なるほど。確かにそっちの方が、絵的にも話的にも良いわよね」  美子の言葉に一瞬安堵の表情を浮かべたものの、美実がうんうんと頷いた内容に、二人は絶望的な表情になった。しかし美子の注文は更に続く。 「それから、家の中でご先祖様やお母さんに顔向けできなくなる様な行為も禁止」  それにも美実は、不満を訴えた。 「えぇ~? じゃあどの辺りまでなら良いのよ?」 「仮にも社会人でプロだと言うなら、それ位自分で判断しなさい。その上で、何か問題があったと分かったら……」 「分かったら?」  思わせぶりに黙り込んだ姉に美実が尋ね返すと、美子は如何にも楽しげに微笑んだ。 「家から未来永劫叩き出すから、そのつもりでね?」  しかし長年の経験上、それが美子の最後通告である事を熟知していた美実は、素直に軽く右手を挙げて宣言する。 「了解しました。藤宮美実、社会人としての最低限の節度と、常識人としての一線を守る事を、ご先祖様とお母さんと美子姉さんに誓います」  それを受けて、美子は満足そうに微笑みながら、佐竹と柏木に向き直った。 「宜しい。それでは佐竹さん、柏木さん。この子に二時間お付き合い下さいね?」 「…………っ!」  ソファーの後ろで立ち尽くしたまま、盛大に顔を引き攣らせていた二人だったが、ここで押し殺した声で佐竹が柏木に囁いた。 「……浩一、覚悟決めろ」 「清人?」 「ちゃんと紹介して貰った手前、ここで引くわけにはいかないだろう」  その決意漲る表情を見て、柏木も瞬時に腹を括った。 「分かった。お前にだけ嫌な思いはさせない。こうなったらどこまでも、一蓮托生だ」  そんな悲壮な覚悟を決めた二人に向かって、秀明が笑いを堪える表情で再び拍手する。 「二人とも、良い心がけだな。安心しろ。今回は妻が手配したから、まだ俺への頼み事はノーカウントだ。これから困った事があったら、遠慮無くいつでも俺を頼って来い」 「……どうも」 「ありがとうございます……」  どこか虚ろな表情での感謝の言葉は、(今後どんなに困っても、この人にだけは絶対泣きつかない)との決意がほの見えていたが、秀明はそれはスルーして美樹を抱えたまま立ち上がった。 「さあ、それじゃあ俺達は席を外すか」 「そうね。お二人ともごゆっくり。二時間経ったら様子を見に来ますね。美実、くどいようだけどくれぐれも」 「分かってますって! 可愛い妹を信用してよね!」  上機嫌にウインクしてみせた美実に苦笑いしながら、秀明は美子と連れ立って応接室を出た。 「じゃあ美樹を、昼寝させて来るわ」 「ああ、行って来い」  部屋を出てから秀明から美樹を受け取った美子は、日当たりの良い和室に向かい、秀明は自分用の書斎へと向かった。そして三十分程読書をしてから、「俺も少し昼寝するか……」と呟いて腰を上げる。そして階段を下りて二人が昼寝している部屋に向かおうとして、反対の方向から微かに響いて来る声に気付いた。 「……のよ!……して、そ…………、……なの!」  それで「頑張っているらしいな」と興味をそそられた秀明は、少し様子を見てから和室に向かう事にした。しかしドアを開けて覗く必要も無く、ドアの向こうから漏れ聞こえてくるハイテンションな美実の声が、廊下に響き渡っている。 「ほら、そこで抜き取ったベルトで、両手首をぐるぐる巻きにして……、そうそう、焦らす様にファスナーを下ろすの! ……くっはあぁぁっ! 何その涙目、そそるわっ! 寧ろ泣いて!! 悶えて泣き叫んで!! 大丈夫、うちは広いから! ……いっ、嫌ぁぁっ! そんな睨み殺されそうな視線を向けられたら、背中がぞくぞくしちゃって、もう駄目ぇぇっ!! あ、そこでそっちの片腕をそこの腰に絡めて! ………そうそう! いやぁぁん、分かってるじゃない!! 実際男の一人や二人、口説いて押し倒した事があるんじゃないの!? ……はい次、両脚を持ち上げて………、そうよ。そしてそこに顔を寄せて…………、ああっ! 鼻血出たっ! やだっ、絨毯に落ちて染みになったら姉さんに殺されるっ! ティッシュティッシュ!!」  それを聞いた秀明は、廊下の壁に手を付きながら必死に爆笑を堪えた。そして「滅多に無い経験だろうな。強く生きろよ?」と呟きながら、妻子の元へと向かった。

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