望恵が日舞教室でやりこめられ、無様に敗走した翌朝。いつも通り、藤宮家では深美を除く家族全員で食卓を囲んでいたが、美実が嬉々として、ある事を言い出した。 「ねえ、そう言えば、昨日の夜からネットで騒然となってるけど、今日あたり、白鳥議員に逮捕状が出る可能性があるんだって」 「どうして?」 「そんな事、ニュースでやってた?」 姉妹達が怪訝な顔で疑問をぶつけてきた為、美実が得意気に話し出す。 「何だか極秘に捜査を進めた上、夜までは報道規制もしてたみたい。でも朝の番組なら、詳しくやってるんじゃないかな~」 「え? それなら」 そう聞いた途端、ご飯茶碗と箸を手にしたまま腰を浮かせた美幸の先手を打って、美子は叱りつけた。 「美幸! 食事中は立たない! それに食べながらテレビを見るなんて、以ての外よ!」 しかしそれを聞いた美幸は、如何にも不満そうに抵抗する。 「えぇ~? だって江原さんのお父さんの事でしょう? 気にならないの?」 「なるわけがありません!!」 「…………」 鬼の形相でバシッとテーブルを手で叩きつつの叱責に、食堂内は無言になった。その気まずい空気をなんとかするべく、美恵が美実に話の先を促す。 「それで? どういう事なの?」 「それが昨日の昼過ぎ、銀座四丁目の交差点で、四人の男が赤信号を無視して車道に走り出たかと思ったら、いきなり服を脱ぎ出して全裸になって裸踊りを始めたんですって」 「……なに、それ?」 さすがに呆気に取られた美恵だったが、美実は小さく肩を竦めてから淡々と経過を述べる。 「慌ててブレーキをかけた自動車同士の追突事故だけでも一騒動なのに、原因の人達がそんな事を始めたものだから余計に酷い騒ぎになって、通行人に一部始終の動画を撮られて早速ネットに流出したのよ。当然近くの交番から、警官がすっ飛んできたし」 「それは凄い騒ぎになったでしょうね……」 思わず美恵が遠い目をすると、美実が深く頷いて話を続けた。 「そこで大人しく捕まれば良かったのに、訳の分からない事を喚き散らしながら警官に殴り掛かって、警官がその人達を取り押えるのに十人以上の応援を呼んだらしいわ。そしてどうも様子がおかしいから所持品検査と血液検査をしてみたら、全員服のポケットから違法薬物が出て来た上、血液反応もばっちり。道交法違反、公然猥褻罪、薬事法違反で逮捕ってわけ。それで身元を調べたら全員、白鳥議員の私設秘書と選挙事務所スタッフだっていうじゃないの!」 「美実、あんた凄く楽しそうなんだけど」 ウキウキとした表情を隠そうともしないすぐ下の妹に、美恵が呆れた表情になると、美実は大笑いしながら続けた。 「だってもう、間抜けすぎて笑えるんだもん! それで事務所の関与を疑った警視庁が、証拠隠滅しないうちにと即行で捜査許可状を取って、その日のうちに白鳥議員の事務所と自宅を家宅捜索したら、予想外に脱税と収賄と選挙違反の証拠を見つけちゃったんだってー!」 バンバンとテーブルを叩きながら笑っている美実と窘めようと美子が口を開きかけたところで、美野のしみじみとした声が食堂内に響いた。 「そうだったの……。江原さん、不幸中の幸いだったわね」 「え? なんで江原さんが助かったの?」 キョトンとしながら美幸が尋ねると、美野が真顔で説明を加える。 「だって江原さんは今回の事が表沙汰になる前に、許認可権に大いに関係がある経産省を辞めて、全く関連のない旭日食品に入社したでしょう?」 そう言われた美幸は、合点がいったという感じで力強く頷く。 「あ、そうか。しかも勘当されて籍を抜いて名前を変えてから入社したから、職場の人達も白鳥議員と江原さんとの関係を知ってる人は殆どいないだろうし、事件で親の後ろ暗い所が表沙汰になっても、職場で肩身の狭い思いをしなくてラッキーだったね!」 「本当にそうよね」 下二人がうんうんと素直に頷き合っているのを見て、昌典と上二人は揃って顔を引き攣らせた。 「『不幸中の幸い』の筈が無いな……」 「ラッキー? 計算ずくじゃないの?」 「薬物使用の捜査中、偶々管轄違いの汚職の証拠を見つける筈無いわよ」 「それに捜査令状だって、そんなに簡単に出る筈がないしな」 「捜査当局に事前に情報が流れていて、どこにどんな物があるか分かっていなきゃ無理よね」 「どんな屁理屈をつけて、それぞれの捜査担当者が踏み込んだのやら」 ボソボソと年長者達が呟いていた為、美幸が不思議そうに尋ねてくる。 「お父さん? 美子姉さんも美恵姉さんも何か言った?」 「いや、何でも無い」 「さっさと食べなさい。早く食べ終わったら、登校時間までテレビを見て良いから」 「分かった! すぐ食べる!」 途端に美幸は猛然と朝食を食べ始め、それを見た美子は溜め息を吐いた。 (さすがにあの連中の事からそれだけの騒ぎになったら、加藤さんもこの前のあれが失敗した事に気付いたわよね。加藤さんが教室で墓穴を掘る様に、敢えて昨日まであの四人をどこかに隠しておいたとしか思えないわ) 秀明の抜け目の無さにうんざりしつつ朝食を食べ終えた美子は、後片付けを後回しにして自室へと向かった。そして社用車が迎えに来るまでの一時をのんびり過ごしていた昌典の元に、封書を片手に戻って来る。 「お父さん、お願いがあるんだけど」 「なんだ?」 「これを、江原さんの手元に届く様に取り計らって欲しいの。転職した時に引越しもしたらしくて、住所も電話番号もメルアドも分からないから。でも人事部に問い合わせるのもどうかと思ったし……」 差出人名も宛名も無記名の白い封筒を美子から差し出された昌典は、平然と手を伸ばしてそれを受け取った。 「分かった。社内便に紛れ込ませる」 「私用でごめんなさい」 神妙に頭を下げた娘を見て、昌典は軽く笑った。 「気にするな。便宜上差出人は私の名前にしておくが、それで支障は無いな?」 「ええ、中に私の名前は書いてあるから」 そして美子から預かった封書を手に、昌典は旭日食品へと出社して行った。
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