半世紀の契約
(6)藤宮家の掟②

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「うわあ……、凄い。やっぱり最高級品の和紙を張り合わせて、その間に極薄の鉄板を仕込んだハリセン。何年経っても威力が衰えて無いみたい」 「だって美子姉さん、毎年虫干しして、防虫剤もきちんと入れ替えていたしね」 「本当に、変な所で真面目よね」 「あの……、あれって何?」 「今、美子姉さんの手の動き、見えなかったんだけど……」  何やら納得している上二人とは別に、美野と美幸は驚愕の顔付きになっていたが、秀明は動揺を押し隠して無言を貫いた。そんな中、客間に美子の怒声が響き渡る。 「こんな素人が作った作品と、れっきとした美術品の見分け位付けられなくてどうするの!? それでも古美術商志望なの!?」 「そ、それはっ……」  頭頂部を押さえながら真っ青になっている佐藤を眺めて、美恵が物憂げに溜め息を吐く。 「……美貌だけじゃなくて美しい物を作り出す才能まであるなんて、私って本当に罪作りな女ね」 「贋作作りの才能なんて、文字通り罪作りよね」 「だから贋作じゃないって、言ってるでしょうが!?」  そんな言い合いをしている上二人を無視して、美野と美幸は果敢に美子の前に回って、宥めようとした。 「あ、あの、美子姉さん。弱ってる人にそれはあんまり……」 「美子姉さん、ちょっと厳し過ぎるんじゃ……」 「引っ込んでいなさい」 「……はい」 「失礼しました」  しかし二人は憤怒の形相の長姉に一睨みされて、すごすごと引き下がった。それと同時に、美子が木箱にかけられていた紐を何本か手に持ち佐藤に肉薄したと思ったら、あれよあれよと言う間に手際良く彼の手首を縛り上げてしまう。 「さあ、この機会に、じっくり性根を入れ替えてあげるわよ?」  そう言って至近距離で不気味に微笑んだ美子に、佐藤は僅かに後ずさりしながら問いかけた。 「あ、あの……、奥さん? どうして縛ったんでしょうか?」 「あら、嫌だ。体調が万全にならないうちに逃げださない様に、ちょっと拘束しているだけじゃない。主人が手錠を持っているそうだから、そちらの方が良ければ変えてあげるから、遠慮なく言って頂戴」 「て、手錠……」  秀明の方を視線で視線で示しながら、一見優しげに微笑んだ美子に佐藤は完全に腰が引け、益々顔色が悪くなった。しかし美子はそんな事には全く構わず、他の箱から緑色と取っ手の湾曲が美しい、変則的な角皿を二つ取り出す。 「さあ、次はこれとこれよ。安土桃山時代の古田織部作の皿で、もう一つはさっきと同じく妹が作った模造品。本物はどちらかしら?」  にっこりと問いかける美子に、佐藤は脂汗を流しながら口ごもった。 「……あ、あの、……奥さん?」 「さあ、どちら?」  ハリセンを手に、ゆらりと立ち上がった美子に心底慄きつつ、佐藤は震える声と指で片方を示す。 「そ、その……、こちらかと」 「このボケがぁっ!!」 「ひぃぃぃぃっ!!」  佐藤が選択した途端、美子が鬼神の形相で力一杯ハリセンを彼の頭上に振り下ろした。しかし一度受けて学習した佐藤は、手を縛られたまま上に上げて必死に頭をガードする。しかしそれを予測していた美子は、躊躇う事無く無防備な彼の顎に蹴りを入れた。 「甘い!!」 「ぐわぁっ!!」 (まともに入ったな……。あれは結構ダメージ大きいよな)  布団の上にまともに転がった佐藤を見て、かつて見合いの席で同じ目に遭った秀明は、思わず憐憫の情を覚えた。そこで美子が佐藤を見下ろしながら、冷たく告げる。 「さあ、夕飯の支度を始めるまでは、まだまだ時間があるわ。それまでじっくり、色々教えてあげようじゃない。……皆、後は良いわよ。ご苦労様」  そこで秀明と妹達の方を振り向いた美子は穏やかに微笑んだが、そのいつも通り過ぎる笑顔に、妹達はこれ以上この二人に関わってはならない事を、本能的に悟った。 「じゃあ、私達は戻ってるわ」 「年始客とかは私達で対応するから、心配しないで」 「ありがとう。お願いね」  美子の側でへたり込んでいる佐藤が、縋る様な眼差しを送ってきているのは分かっていたが、秀明以下全員がそれを見なかった事にして廊下に出て、静かに襖を閉めた。  そして一団になって歩きながら、美幸が不思議そうに姉達に尋ねる。 「ねえ、どうして美子姉さんは、あんなに怖い顔をしてたわけ?」  その問いに、美恵と美実はチラリと顔を見合わせてから、事情を説明し始めた。 「ああ、あんた達は覚えてないか。お祖父ちゃんが美術品に関しては、物凄く厳しかったのよ」 「何でもお祖父ちゃんの父親、私達の曽祖父に当たる人が、大して美術品を見る目が無かったのに、悪徳古美術商の口車に乗って模造品や贋作を高値で購入しまくって、一時期身代が傾きかけたんですって」 「そんな事があったの!?」 「それは初耳だわ」  目を丸くして驚いた妹達に、二人は淡々と話を続けた。 「それでお祖父ちゃんは、自分の身内に『すべからく本物に触れ、本物を見極める力を養うべき』と主張して、姉妹、義兄弟、娘や婿、孫娘に至るまで、美術品に関する知識を習得できる様に、徹底した指導をしたわけよ。美術館や博物館巡りはもとより、古美術商を回って実際に買わせて、その鑑定眼を見たりね」 「された方は、ありがた迷惑だったと思うけどね。特に母さんは総領娘、美子姉さんは総領孫だから、教え方も姉妹の中で一番きつかったわけ。ひいお祖父さんが買い込んだ紛い物と同じ作者の本物を並べて、間違った方を指定しようものなら、あのハリセンで正にあんなふうにビシバシ叩かれてたのよ?」  そこで既に亡くなった人物であり、好々爺然とした記憶にしかない美野と美幸が、本気で驚愕した顔つきになった。 「うそ! あの優しいお祖父さんが!?」 「私、叩かれるどころか、そんな見極めなんかもさせられた事ないけど!?」 「あんた達が小学校に上がる頃には、お祖父ちゃんも体調を崩して、弱ってきてたしね」 「いい加減、飽きたんじゃないかしら?」  そんな身も蓋も無い事を美実が口にすると、美恵が溜め息を吐いてからしみじみと言い出した。 「美子姉さんは我慢強い方だから、叩かれてもお祖父さんに反抗なんかしてなかったけど、結構不満が溜まってたみたいね。あの容赦のない叩きっぷりをみると」 「丁度良いんじゃない? 長年の鬱憤を、あの人相手に晴らして貰えれば。暫く衣食住を世話してあげるんだから、それ位良いでしょう。それに本調子じゃないんだから、幾ら美子姉さんだって手加減するでしょうし」  肩を竦めながら美実がそんな事を口にした為、美野は言われた内容について考え込んでから、神妙に頷いた。 「そうね……、この際佐藤さんに頑張って貰いましょう」 「うん、こっちにとばっちりが来るのは嫌だしね。私達もきちんとお世話するから」  なにやら姉妹間で話が纏まったらしく、そこで各自目的の場所に散って行ったが、彼女達を見送りながら秀明だけは(良いのか、それで?)と納得しかねていた。その為一人で客間に戻り、襖を少しだけ開けてこっそり中の様子を窺うと、相変わらず佐藤が叩かれている音と、美子の叱責の声が室内に響き渡っていた。

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