半世紀の契約
(23)決行③

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「お支度が終わりました。我ながら、惚れ惚れする出来映えですね」 「まずは江原様に見て頂きましょう。カーテンを開けても宜しいですか?」 「構いません。どうぞ」  満足げな二人がカーテンの向こうに声をかけると、秀明の落ち着き払った声が聞こえた。そして静かにカーテンが引かれると、当然美子よりも早く着替えを済ませていた秀明が、顔を向けてくる。 「さあ、どうですか?」  軽く身体を捻って秀明と視線を合わせた美子は、自分と色を合わせた白のタキシード姿に内心密かに狼狽したが、秀明は余裕で微笑んだ。 「完璧です。こんな所まで出張して頂いた甲斐がありました」 「新婦様、大きな姿見が手配できなくて、申し訳ありません。ですがとってもお綺麗ですよ?」 「いえ、とてもそこまでは……。素敵に仕上げて頂いて、ありがとうございます」 「こちらこそこういうお仕事をさせて頂いて、嬉しいです。きっとお母様に喜んで頂けますから」  手で持てる大きな三面鏡を広げながら、満面の笑みで言われた為、美子は感謝の言葉を口にしながら、目の前の女性まで騙している事に気が咎めた。するとここで若松が声をかけてくる。 「さあ、それではお母様に、お二人のお姿をご覧になって頂きましょう。私が裾を持つので、二人にはドアの開け閉めをお願いして良いですか?」 「分かりました」 「じゃあ一足先に、お母様の病室に行っています」  そしてカメラマンの男性が機材を運びがてら部屋を出て行った為、秀明は美子がハイヒールを履いたのを確認して、彼女に手を差し出した。 「じゃあ、行こうか」 「ええ」  若松から受け取ったブーケを左手に持ち、右手は秀明の手に乗せる感じで、美子は慎重に歩き出した。そして廊下に出た途端、直線の廊下をやや離れた所で行き交っている何人かの視線を感じ、その人達があまりにも場違いな自分の姿を見て、例外なく驚いた様に足を止めているのが見て取れる。 (う……、さすがに恥ずかしいわ。やっぱり幾らかは人の目が有るし)  しかし美子はそれを見なかった事にして母の病室まで移動すると、ベッドの上で上体を起こしている深美に出迎えられた。 「失礼します。体調はどうですか?」  秀明がまず声をかけると、深美は如何にも嬉しそうに笑った。 「とっても良いわ。それに秀明君がいつもより二割増し男前で、眼福ね」 「ありがとうございます」  思わず秀明が苦笑すると、深美は娘に声をかけた。 「とても素敵よ、美子。そのドレス、良く似合ってるわ。秀明君が選んだの?」  それに美子は軽く頭を振った。 「ううん、自分で選んだのよ。種類がたくさんあって、かなり迷ったけど」 「それなら披露宴の時には、何回かお色直しをすれば良いわね」 「……ええ、そうね」  楽しげに言われた美子だったが、咄嗟に何と返せばよいのか分からなくなり、口を噤んだ。そんな彼女の様子を見て、年長者らしく微妙な空気を察したらしい若松が、さり気なく話題を変える。 「お嬢様に良いお婿様が来て下さる事になって、良かったですね」 「ええ、安心しました。一時はどうなる事かと思いましたが」  そう言って穏やかに微笑んだ深美に、若松は意外そうな顔になった。 「何か問題でもございましたか? ご主人がこのお話に、快く思われなかったとか」 「いいえ、最初娘が彼の事を毛嫌いしていまして。なんでも見合いの席で蹴散らした挙句、彼が自宅を訪ねて来た時にはシュート対決に持ち込んで追い払おうとしたり、婚約指輪を持参した時は庭に投げ捨てたとか」  苦笑交じりに説明された内容に、秀明は笑いを堪え、若松は唖然とし、若手二人は嬉々として食いついて来た。 「うわ……、それはなかなか強烈ですね」 「それで!? それでどうやって結婚まで持ち込んだんですか!?」 「もう、お母さん! そんな事、こんな所で言う必要無いじゃない!」 「あら、だって本当の事でしょう?」  じゃれ合っている様な母娘の会話を、少しの間、他の者は微笑ましく見守ったが、頃合いを見て秀明が声をかけた。 「じゃあ、美子。お義母さんも疲れるし、そろそろ撮影をしないか?」 「あ……、ええ、そうね。お願いします」 「はい、お任せ下さい!」  そして気合い満々のカメラマンの指示で、秀明との二人での立ち姿と、深美を挟んでベッドに三人で座った写真を撮って貰った。  正直、深美を騙しているという罪悪感から、笑顔を作るのは難しかったが、美子はなんとか周りが違和感を感じない程度の笑顔を浮かべて乗り切った。 「それじゃあ、お義母さんが疲れない様に、そろそろ失礼するか」  そう提案した秀明に、美子は素直に頷いて椅子からゆっくり立ち上がる。 「そうね。じゃあお母さん、写真はでき上がり次第、持って来るわ」 「ああ、秀明君は少し残ってくれない? ちょっと話があるの」 「お母さん?」  訝しげな顔になった美子だったが、深美は笑って尚も告げた。 「花嫁と比べて花婿の着替えなんて、簡単なものでしょう?」 「……確かにそうですね。じゃあ少しお付き合いします」  そう応じた秀明が目線で促した為、美子は若松達に連れられて、先程の部屋に戻って行った。

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