「いや、俺の母も黄桃派だった」 「それは良かったわ」 「病み上がりに桃缶? そういう時は、パイナップルの缶詰じゃ無いのか?」 思わずと言った感じで淳が口を挟んだが、その途端二人が素早く彼の方に向き直り、揃って冷たい口調で吐き捨てる。 「貴様はそれでも日本人か」 「寝言は寝て言いなさい」 「何で缶詰一つで、そこまで言われなきゃならないんだよ!?」 当然淳は盛大に文句を言ったが、その叫びを二人は完全に無視した。 「この様子なら、これも全部食べられるわね。はい、どうぞ」 「…………」 美子は空になった深皿を床に置き、代わりに桃の入った器を秀明の前に置いたが、何故か秀明は無言で美子を見上げる。 「何? どうかしたの?」 「食べさせてくれ」 「……はぁ?」 真顔で淡々と言われた内容に、美子は盛大に顔を引き攣らせ、淳は慌てて頭を下げた。 「美子さん、すみません! もう今のこいつは俺から見ても、もの凄く馬鹿になってるんで!」 「しょうがないわね……」 深々と溜め息を吐いた美子は、立ったまま再び器を持ち上げてフォークでドーム状の桃を一口大に切り分け、そのうちの一つをフォークに挿した。 「はい、あ~ん」 半ばやけっぱちでそう呼びかけながら、フォークを秀明の口元に持って行き、パカッと開けた口の中にそれを差し込む。すると桃を舌と歯で抜き取った感触があった為、美子が彼の口からフォークを抜き取ると、半ば呆然とした表情の淳と目が合った。 「……マジでするとは思わなかった」 そんな理不尽過ぎるコメントに、美子は本気で腹を立てた。 「さっき、あなたがしろって言ったんじゃない!」 「いや、俺は『こいつが馬鹿な事を言ってすみません』の謝罪のつもりで言ったわけで、『して下さい』とお願いしたつもりでは」 「次」 そこで桃を咀嚼し終えたらしい秀明が、冷静にお代わりを要求してきた為、美子は無意識にフォークを掴んでいた右手を震わせた。 「本っ当にムカつくわね……」 「もう本当に、重ね重ね申し訳ありません!」 再び当事者の代わりに土下座して詫びを入れた淳に盛大に舌打ちしてから、美子は秀明のふてぶてしい顔にフォークを突き立てたい気持ちを懸命に堪えつつ、大人しく桃を食べさせてやった。 それからシンクも綺麗に片付けてから、美子は大人しく寝ていた秀明の元にやって来て、明朝の食事についての説明をした。 「じゃあ明日の朝用に、具沢山の煮込みうどんの汁を作っておいたから、朝に軽く沸騰させてから冷蔵庫に入れてあるうどんを入れて、弱火で数分煮込んでから食べて頂戴。思った以上に元気そうだから、帰らせて貰うわ」 それに秀明は素直に頷いて、傍らの友人を見上げる。 「分かった。助かった。淳?」 「ああ、美子さんは俺が責任を持って、きちんと家まで送り届けるから。お前はちゃんと寝てろよ? 鍵は今度返す」 そう言い聞かせて、淳は美子と連れ立ってマンションを出た。そして淳が玄関のドアを施錠して歩き出したのを見て、美子はエレベーターの前で尋ねてみた。 「さっきの彼女は持って無かったみたいだけど、小早川さんはここの合鍵を持っているんですね」 それを聞いた淳は、丁度やって来たエレベーターに乗り込みながら、不思議そうな顔で尋ね返す。 「普段は持っていませんが、土曜日に電話で様子を聞いて無理やり医者に連れて行った時に、室内であいつが意識不明になってたら拙いと思って、帰る時に借りておいたんです。あの……、『さっきの彼女』って何の事ですか?」 激しく嫌な予感を覚えた淳だったが、不幸な事にその予感は的中した。 「来た時に、玄関前で女性に出くわしたのよ。日曜にデートをすっぽかされて、仕事帰りに様子を見に来たんですって。なかなか見栄えのする美人だったわ」 「そうですか……」 (何て間の悪い。確かにあいつが、未だに何人かの女と切れていないのは知ってるが) 美子が小さく肩を竦めて、淡々と告げたまさかの鉢合わせ話に、淳は全身から冷や汗を流した。そんな淳の心中を知ってか知らずか、美子はマンションの一階に足を踏み出しながら、他人事の様に話を続ける。 「人の事を、上から下までじろじろ眺めて鼻で笑ってたけど、あの人が出て来た時に勢い良く開けたドアで全身を強打されて転がった挙げ句、『失せろ』とか言われてたわ。とんだ鬼畜っぷりよねぇ、いっそ感心しちゃうわ」 「口の悪い奴ですみません」 「あら、小早川さんが謝る筋合いでは無いでしょう?」 神妙に謝罪の言葉を口にした淳を振り返った美子は、おかしそうにクスクスと笑ったが、淳は愛想笑いも出来なかった。 (駄目だ。ここで下手に秀明を庇う発言をしようものなら、容赦なく俺まで切り捨てられる) ここで気を緩めたら更に状況が悪化する気がして仕方が無かった淳は、失言を防ぐ為に美子の顔色を窺いながら口を噤んだ。それからは美子も無言のまま歩き続け、淳が近くのコインパーキングに彼女を誘導した。
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