半世紀の契約
(19)予想外の醜聞②

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「実は……、父には二十年来懇意にしている女性がいるんだけど……」 「え? 懇意って……」 (後援会や常任委員会で、親しくお付き合いしている女性の方は何人も……。じゃなくて、この場合、意味する所はひょっとして!!)  何気なく切り分けて口に運んだ魚の身を噛みしめながら頭の中で考えた美子は、その意味する所を悟った瞬間、勢い良く口の中の物を飲み込んで声を張り上げてしまった。 「えぇぇぇっ!? まさかあの叔父さんに限って!!」 「美子さん! 声が大きいっ!!」 「ご、ごめんなさい」  血相を変えた俊典が中腰になって制止してきた為、美子は慌てて謝罪した。そして声を潜めて相手に抗議する。 「俊典君、こんな所で笑えない冗談は止めて。お願いだから」  それは本心からの懇願だったのだが、俊典は真顔で告げた。 「俺も初めて知った時は、冗談かと思った」  それを聞いた美子は、フォークとナイフを置いて本気で愚痴る。 「……お願い、勘弁して。この事、叔母さんは知ってるの?」 「全く。だからくれぐれも」 「言えるわけ無いわよ」 「ごめん」  申し訳なさそうに謝られたものの、美子は聞かされた内容に頭痛を覚えた。 (こんな事聞かせないで……。今度叔父さん達の前に出た時、平常心を保てるかしら? 第一、今までの話の流れで、どうしてこの話題が出るの? 全然意味が分からないわ)  短時間のうちに目まぐるしく考えを巡らせた美子だったが、全く相手の意図が分からなかった為、自棄になって再び切り身を口に運んだ。そして食べた事で幾らか冷静さを取り戻せた為、なるべく慎重に尋ねてみる。  「それで? どうしてそんな事を私に聞かせたの?」 「その……、美子さんが、それについてどう思うか聞きたくて」 「どうして?」 「まあ、ちょっと色々あって……。そう言うのって言語道断だと思うかな?」  顔色を窺う様にしてそんな事を言われた為、美子は渋面になりそうなのを堪えつつ慎重に述べてみた。 「幾ら身内と言っても、それぞれの家庭や夫婦間の事情は有るでしょうし、頭ごなしに否定するつもりは無いし、特に何も言うつもりは無いわ」 「そうなんだ。やっぱり美子さんは冷静だよな」 (何一人でほっとしているのよ。まさか……)  如何にも安堵した様に自分を評した俊典に腹を立てつつ、そこでろくでもない考えが頭の中を過った美子は、相手を軽く睨む様にしながら尋ねた。 「俊典君。まさか結婚話を進める為に会うって言うのは方便で、叔母さんには内緒で叔父さんとその女性との別れ話に、一枚噛んでくれとか言わないわよね?」  それに俊典が慌てて否定しようとした時、至近距離で女性の悲鳴が上がった。 「まさか! そんな事を美子さんに頼むなんて」 「きゃあっ!!」 「うあっ!! 何だ!?」  皿を運んでいたウエイトレスの一人が、自分達のテーブルのすぐ近くで何かに躓いて転び、彼女の手から離れた皿が宙を舞って、皿が俊典の右肩に、それに乗せられていた牛フィレ肉のローストと、その付け合せの野菜が彼の側頭部に命中する様を、美子はばっちりと見てしまった。 「お客様、申し訳ございません!」  あまりの出来事に、被害者の俊典同様固まってしまった美子だったが、その原因を作ったウエイトレスが勢い良く頭を下げて謝罪してきたのを耳にして、膝の上のナプキンを掴みつつ勢い良く立ち上がった。 「俊典君、大丈夫!? あなた、ここは良いから、急いで何か拭く物を持って来て。できれば濡らした物を」 「畏まりました!」  再度頭を下げて走り去るウエイトレスと入れ替わる様に俊典の横に来た美子は、取り敢えず自分が持って来たナプキンを使って、未だ呆然として微動だにしない彼の頭や肩に乗ったままの肉や野菜を取り除く。 「ソースがべったり付いちゃったわね。クリーニングで落ちれば良いけど」  取り敢えず落ちている皿に取った物を乗せてから、今度は俊典が使っていたナプキンで髪やスーツのソースを拭き取ってみたが、流石に簡単に拭き取れる物では無かった。 「全く! この店は、どんな従業員教育をしてるんだ!」  ここにきて呆然とするのを通り越して、俊典が怒りを募らせ始めていると、それを宥める間もなく、黒の上下で固めた責任者らしい初老の男性と、先程のウエイトレスが連れ立って戻って来た。 「お待たせしました。こちらをお使い下さい」 「ありがとう」 「お客様。この度はこちらの者が、大変失礼を致しました。誠に申し訳ございません」  おしぼりを受け取った美子は素直に礼を述べたが、俊典は憤然としてテーブルを拳で叩きつつ声を張り上げた。 「謝って済むか!! この店では皿の上にでは無く、客の頭に料理を乗せるのか!?」  その怒声に、店内の客が一斉に自分達に非難めいた視線を向けて来たのを察した美子は、舌打ちを堪えつつ事態の打開を図った。 (拙いわ。この店は客層が良くて、政財界でも利用している方が多いのに。確かにこの失態は酷過ぎるけど、俊典君も頭に血が上り過ぎよ。どこで誰に顔を見られているか、分からないのに)  そこで美子は、まず俊典に声をかけた。

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